第2章 少年と少女 ⑧

 俺は尋ねてくる夏姫に『小鳥遊清花は壊れている』と答えた。


「相馬拓巳と小鳥遊清花じゃ置かれた状況が違う。娘を攫われて、でもその動機から命は絶対安全と半ば保証されたような栞ちゃん――かたや佐木柊真は小鳥遊清花の恐らく目の前で殺されたわけで」


「うん」


「そういう意味じゃ小鳥遊清花に同情の余地もあるよ。今の俺が目の前で夏姫ちゃんが殺されでもしたら――まあ、ね。相手を殺したぐらいじゃ収まらないだろうな」


「あっくん……!」


 自分が大切に思われていると聞かされた夏姫が少し嬉しそうに言う。今にもテーブルを跳び越えて抱きついてきそうな表情なので、俺は無言で部屋の片隅を示した。夏姫がそちらに目を向ける。


 そこにいるのは、カズマくんをリスペクトしていそうないかついジェットモヒカンの男――そいつが申し訳なさそうな表情で夏姫を見ていた。


 何かを誤魔化すように居住まいを正す夏姫。俺は話を続ける。


「で、その小鳥遊清花がやってることは『異能犯罪組織の排除』を目標に掲げた上での異能犯罪者狩り――荊棘おどろが佐木柊真を殺害した犯人は見つかってないって言ってたろ? もう見つかんねえよ。小鳥遊清花とその協力者が死体に変えてるはずだ」


「協力者――昨日の人だね?」


「ああ。俺や爺さんは連中が組んでると見てる。狩った相手が相手だからな、他にもまだ協力者がいてもおかしくない」


 とは言え、小鳥遊清花も昨夜の少年も徒党を組むタイプには見えない。直感でしかないが、本質的には俺と同じ――一人か、あるいは限られた仲間だけでいいタイプだ。


「復讐は果たしたはずだ。それでも凶行は止まらない――多分、佐木柊真が殺された時にもうあいつは壊れてしまったんだ。自分が死ぬか、日本から異能犯罪組織を排除しきるまで小鳥遊清花は止まらない――あいつ、佐木柊真は自分の胸にいるって言ってた。佐木柊真の魂と一緒に生きるか、死ぬか――小鳥遊清花にはもうそれ・・しかないのかもな」


 T市の件について責任を感じているなんてのは、自分の行動を正当化するための理知的な言い訳だろう。装いと言ってもいい。あいつはただゆるやかな自殺を自分で正当化しているだけだ。それに手を貸してやるのは癪だが――


「まあ、同情の余地があるって言っても《スカム身内》に手を出すならそれをただ見ている理由はないけどね」


「お祖父ちゃんやカズマくん――《スカム》はなんて?」


「カズマくんは、T市の件が片付いたら足を洗う俺と夏姫ちゃんを安心させるために自分で片付けたいんだってさ。爺さんとシオリはそれに賛成だって。ついでに言うと、爺さんは俺に関わって欲しくなさそうだった」


「――でも、だからって傍観したりできないでしょう、あっくんは」


 夏姫と出会う前の俺なら、いや、出会ってすぐの頃の俺ならきっと誰がどこでどう死んでもそれほど気に留めなかっただろう。それがたとえ夏姫でも。


 だが、今の俺は。


「そうだね。でも俺からは動かない。カズマくんかシオリが手を出されたら、やられる前に割って入る――そんな感じで爺さんとは話をつけてる」


「そっかー。じゃあ今日はカズマくんだけじゃなく、お祖父ちゃんとシオリさんも夕ご飯に誘おっか」


「え?」


 夏姫の言葉――意図が読めずに尋ねると、夏姫は微笑んで――


「だってあっくん、カズマくんたちには手をださせないって顔してるもん。自分がいないところで襲われたらいくら俺でも守れないって顔に書いてある」


 ……むう。


「まあ、ね。荊棘おどろだっていつまで書類いじってるかわからないし、T市に向かう前に片付けたいなとは思ってる。夏姫ちゃんが言う通り俺が向こうに行っている間に襲われて万が一誰かが――なんてことがあれば悔やんでも悔やみきれない」


 言葉通りだ――小鳥遊清花に接触され、再び天龍寺家を訪ねて兼定氏に事を報告した後、俺はそんなことを考えていた。


 普通に考えたら能力が弱化してしまった兼定氏はともかく、カズマくんやシオリがその辺の仕事屋に負けるとは思えない。


 しかし今回に限って言えば相手が悪い。相手は異能犯罪者狩り――それもシオリやカズマくんの同格かそれ以上の異能犯罪者を狩った実績がある。俺だって場合によっちゃどうなるかわからない。


 ――……俺が小鳥遊清花だったら、兼定氏は後回しにする。正直今の兼定氏は戦力的に怖くない。他の《スカム》メンバーに守られていたとしてもそこにシオリとカズマくんがいなければどうにでもなる。


 そして小鳥遊清花が口にしたターゲットは《スカム》。昨夜の奴はカズマくん――どっちにしても連中の最大目標はカズマくんだろう。兼定氏はともかくシオリが残っても《スカム》は維持できないだろうし――妥当な判断だ。


「――三人を飯に誘うのはないかな。小鳥遊清花が《スカム》を潰すと明言した以上、カズマくんと俺で奴らを釣る方が話が早い」


「え、お祖父ちゃんとシオリさんは? 二人も《スカム》の重要人物でしょ?」


「それはそうなんだけど、爺さんは《スカム》の外から見たら過去の人だから優先順位はカズマくんより低いし、小鳥遊清花が《スカム》を調べてるならシオリに《スカム》をまとめることができるとは考えないでしょ。優先順位はカズマくん、シオリ、爺さんの順だろうね」


「お祖父ちゃんの能力弱化を知らないとしたら?」


「知らないで《スカム》に手を出そうっていうのなら本物の馬鹿だろ。天龍寺兼定の名前はそんなに軽くない。夏姫ちゃんのマンションまで抑えてるんだぜ、爺さんのことも調査済みのはずだ」


 そのあたりも踏まえて、シオリには黒服連中のバックアップをつけて爺さんの警護を固めてもらう方が安全だろう。二対二の状況を作ってやれば、小鳥遊清花は俺とカズマくんに食いつくはずだ。


 夏姫にそう説明すると、


「裏をかいてくることは?」


「そんな手を使うなら、そもそも宣戦布告はしないと思うんだよね」


 俺が小鳥遊清花は壊れていると感じた点の一つでもある。復讐に燃え、日本から異能犯罪組織を排除する――それ自体馬鹿げた目標だが、だからこそ本気なら粛々とベストを尽くすべきだ。わざわざターゲットであるカズマくんや、そのカズマくんと近い関係にある俺の前に姿を晒さず不意打ちでもすればいい。


 それをしないのは、『自分がやった』と知らしめて復讐心を満たそうとするある種の承認欲求だろう。


「という訳で、今夜はカズマくんと一緒に連中を釣ろうと思ってる」


「ん。私はどうしたらいい?」


 俺の提案に夏姫ちゃんが問うてくる。これが問題だ。小鳥遊清花たちが俺たちに見せた動き、態度が全てポーズという可能性はゼロじゃない。その上で目的最優先、犯罪者であっても異能犯罪者とは言い難い夏姫を狙うことは有り得るか。


 ――イエスだ。夏姫を手中に収めれば、俺たち《スカム》関係者全員に枷として機能する。


 一番安全なのは――俺の目の届くところか。夏姫自身体術だけならシオリやカズマくんを相手にできるし、ゲヘナシティを一人で歩く度胸もある。


 ――さて。


「それなんだけどさ、夏姫ちゃん――あれ」


 俺は話を切り出しつつ、途中で応接セットに面した窓から外を示す。


「うん?」


 指で外を示すと、釣られるように夏姫ちゃんが身を乗り出した。その瞬間、外を示したその指で夏姫の目を狙う。もちろん本気じゃない。夏姫が反応しなければ寸止めで終わらせるつもりだ。


 だが、夏姫は機敏に反応した。俺が繰り出した目を狙った右手の一撃――その手首を自身の右手で掴み、左手で肘関節を狙ってくる。


 俺は内側に腕を捻り、関節から逃れつつ左手をベルトのバックル――隠しナイフに伸ばす。夏姫は肘関節を取り損なったと見るや、即座に次の手を打った。スカートの裾を翻しながら、ソファに座ったまま足裏をテーブルの縁にかけ、蹴り出す――机とソファで俺を挟み、俺自身とナイフに手を伸ばした左腕を拘束する形だ。


 一瞬の攻防――突如始まった要人たちの攻防に、カズマくんの舎弟たちが息を飲む。


 そんな中、当の夏姫はテーブルの縁から足を下ろし、スカートの裾を整えて、


「――あっくんにしては仕掛けが雑だね?」


「一応カズマくんやシオリがギリ反応できるかなってくらいだったはずだけど」


 俺はテーブルを戻しながら答える。夏姫は完璧に反応して見せた。しかも俺は一切殺気を込めていない――反射神経だけで初撃に対応し、反撃に出た。それが失敗しても、俺の次手を防ぐには最善の行動。


 魔眼――俺の異能は使ってないし、本気でもなかった――それでも、カズマくんやシオリが反応できるかどうかというタイミングで満点を上げてもいい反応を見せた夏姫。


 夏姫の言葉通り仕掛けが雑だったことを考えても、これは――……


「で、私はテストに合格したのかな? 今夜はどう動いたらいい?」


 にっこりと微笑んで夏姫。どうやら迷っていたのはバレバレらしい。


「現場では俺の指示を絶対遵守ってことで、俺と一緒にカズマくんと街をぶらぶらでどうかな」


 シオリと共に兼定氏の警護を任せても良いが、それで夏姫を心配してやきもきするより目の届くところにいてもらった方が集中できそうだ。


 そう伝えると、夏姫は満足げに頷いた。

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