幕間 ある日の二人②

※前回の幕間と第二話の間の話です。


 リビングの天井に吊った懸垂バー。そこにいつものようにぶら下がって腹筋をしていると、カチャカチャとパソコンのキーボードを叩いていた夏姫がその手を止め、話しかけてきた。


「ねえあっくん、ゲヘナシティって知ってる?」


 何で夏姫は俺が腹筋をしてる時に話しかけてくるんだろう。終わるまで待てないのかな?


 ……まあ目標回数はもうすぐだ。夏姫の相手をしていればノルマに達するだろう。腹筋の回数を数えるのを止めて答える。


「知らないなぁ」


 シティと言うぐらいだ、街の名前なのだろうが記憶にない。


「どこの国?」


「アメリカだよ」


「へえ。ゲヘナってなんか英語っぽくない響きだね」


「確かギリシャ語由来だったかな? 聖書にも載ってる言葉だから、ネイティブの人はそうは思わないかもねー。でもあっくんの言う通り、英語に馴染みがない人はそう思うかも」


 こう見えて夏姫はアメリカ生まれのアメリカ育ちだ。生まれながらの日本人のように流暢に日本語を操るが、実際英語の方が母国語と言えるのかも知れない。


「で、その街がどうかしたの?」


「や、どうも次のバトルアリーナのあっくんの相手選手、ゲヘナシティにいたことがあるみたいなんだ。それがちょっとね」


 やや不安げな様子で、夏姫。


「そのゲヘナシティ出身だとなんかあるの?」


「あると言えばあるし、ないと言えばない、かな?」


「なにその微妙な感じ……」


 がっしがっしと腹筋を続けつつ尋ねると、夏姫がえっとね、と言葉を続ける。


「新宿の歌舞伎町」


「……うん?」


「アメリカのデトロイド、コロンビアのカリ、イタリアのリミニ、昔の九龍城」


 ああ、なるほど。


「犯罪が多い街?」


「そ。私が知る限り、ゲヘナシティは世界一の犯罪都市」


「ふぅん? でもそれなら俺も知ってていいと思うんだけどな」


「ちょっとマイナーなのは、警察もグルだから。犯罪が犯罪として立件されないから表に出ないの。市警が街のマフィアやギャングよりタチが悪いって噂だよ」


「はぁん」


 いかにもな話だ。


「で、あると言えばあるしないと言えばないってなにさ」


「ゲヘナシティ出身ってことは、つまり悪党の生え抜きっていうか、ワルのエリートっていうか」


「ワルのエリートて」


 夏姫の言葉に思わず笑ってしまうと、心外だ! と夏姫が頬を膨らませる。


「もう! 私あっくんの心配してるのに!」


「ごめんごめん」


 デスクから立って俺を睨む夏姫に謝って、俺も懸垂バーからひらりと飛び降りる。


「大丈夫だって。そいつがワルのエリートだとしても、俺だって悪党のキャリアは長いよ?」


 汗が落ちないように床に敷いていたタオルを拾う。ついでにそのタオルで自分の汗を拭こうとして――


「――やん、床に敷いてたタオルで汗拭かないでよ」


「夏姫ちゃんが毎日掃除してるし、別に汚くないでしょ」


「それにしたってさぁ」


 言いながら夏姫はチェストから洗濯済みのタオルを出し、そのままそれで俺の汗を拭く。


「あっくんが強いのは知ってるよ? 私は一対一ならあっくんが世界で一番強い人なんだろうなって思ってる」


「……さすがにそれはどうかな。そこら辺の奴に負けるつもりはないけど、さすがに俺が地上最強だとは言い切れない」


 能力者――というか超越者の異能は様々だ。俺の異能は戦闘特化だし限定的な状況ならほぼ無敵と言ってもいい。例えば一対一での素手と異能の殺し合いならよほど無茶な異能が出てこない限り俺は相手に勝てるだろう。


 だが、それにあまり意味はないとも思っている。たとえばこの条件に拳銃の使用を追加して、かつ戦場を屋内の限られた空間に限定すれば俺はおそらくシオリに勝てない。限定空間における銃撃の使用に特化したシオリの異能なら、逃げに徹すれば俺の強力ゆえに時間制限のある異能から逃げ切ってしまうだろう。


「それにリングの上なら尚更な。能力なしの身体能力オンリーなら俺より強い奴なんていくらでもいるし」


 だから日頃から地力を鍛えるべくこうしてトレーニングを欠かさないのだが。


 そう言う俺を夏姫は心配そうに見上げる。


「だから心配なんじゃん」


 拗ねるような仕草で、夏姫。俺の汗を拭き終えても離れようとしない。あー、これは甘えたいんだな。


「汗臭いと思うけど?」


「別にいいよ。気にしない」


 そう言って夏姫が抱きついてくる。引きはがす訳にも行かず、彼女の背中に手を添えてやる。何分かこうしていれば夏姫の気も収まるはずだ。


「……あっくんに怪我して欲しくないな」


 俺の腕の中で呟く夏姫。先日の件で兼定氏が負傷して以来、どうも夏姫は以前より俺の身を案じるようになった気がする。この国で唯一の肉親で――それもこの街の頂点にしてアンタッチャブルだった兼定氏があんなことになったのだ、それもわからなくはない。


「――そんじゃ、夏姫ちゃんに心配かけないようにさくっと勝ってやろうかな」


「ほんと?」


「ほんとほんと。嘘つかない」


「……や、あっくんって結構な頻度でさらっと嘘つくけど……」


 ……そうかな?


「夏姫ちゃんを悲しませるような嘘はつかないよ」


「……もう、あっくんてば調子いいんだから」


 額を俺の胸に押しつける様にして、そして気が済んだのか離れて俺を見上げる。


「いつもみたいに勝ってね?」


「はいよ」


 くしゃくしゃっと夏姫の頭を撫でてやり、今度は腹筋ではなく腕を鍛えるため、懸垂バーに跳びついてぶら下がる。そのまま懸垂を開始。


 トレーニングに戻った俺に、夏姫は――


「あ、あれ? 今結構いいムードだったよね? もうちょっとこう甘い感じは続かないの?」


「さくっと勝つために鍛えないと」


「私をお姫様抱っこでベッドルームに連れて行くというトレーニングはどうかな?」


「夏姫ちゃんじゃ軽すぎてトレーニングにならないよ」


「もうちょっと構ってよー」


「……んー、じゃあこれ終わってシャワー浴びたら休憩するから、その時膝枕させてあげる」


「やったー! じゃあ私もそれまでに仕事一段落させるね!」


 喜ぶ夏姫。いや、それ嬉しいのか? 夏姫が膝枕をする方だぞ?


 ……まあ嬉しいならいいか。


「いっぱい甘えていいからね!」


「いや、甘えないよ。昼寝の枕にするだけだよ」


 告げるが、パソコンに向かい一心不乱にキーボードを叩く夏姫の耳には俺の声は届いていないようだった。




※ゲヘナシティは架空の都市です。第二話エピローグでアタルが辿り着いた街で、第三話の舞台になります。


第三話は鋭意制作中です、もうしばらくお待ちください。


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