第6話

 奪ったハイエースで、俺と可欣は東京都から脱出を図っていた。

 運転席には先程一人で見張りをしていた男が、首輪をつけられた犬のように素直にハンドルを握っている。ただし暴力で支配しているが。


 外見はいかにも優男然とした風貌の男だが、どうやら名前は大塚大亞ダイアという。

 まるで族上がりのヤンキー夫婦がつけたような、目も当てられない名前のことは置いとくとして、歳は二十歳で高校卒業後、やることもなくブラブラしているうちに地元の先輩に連れられ、組事務所に出入りするようになったと語っていた。


 ――住所は所沢か、まぁまぁ遠いな。

 奪い取った免許証に記されていた番地は、念の為に暗記しておく。血吸蝙蝠の足元にも及ばねぇが、多少の脅し程度ならこれだけの情報があれば十分だ。

 自分の情報がどう調理されるのか想像したのか、大塚はチワワのようにぶるぶる震えている。

 俺に個人情報をを握られるのが、よっぽど怖くて仕方ないのだろう。そこはまぁ、相手が悪かったと諦めてくれ。


「あ、あの。じぶんが間違ってました。なので命だけは」

「なぁ、大亜ちゃんよぉ」


 小一時間程前、俺が部屋から脱出を図る際、想定していた以上に番犬として使い物にならなかった大塚は、二階から飛び降りた俺にベレッタのグリップでこめかみを殴られると、対峙してものの数秒で気絶ノックアウトした。

 そのまま放っておいても良かったのだが、運転手兼使いっぱしりが欲しかったこともあり、白目を向いてのびている大塚を蹴飛ばして起こし、逃走の手伝いをさせていた。


 乾いた鼻血と紫色のあざのせいで、新進気鋭の作家によるアート作品のような顔となっていたが、少々起こすときと運転中に可愛がりすぎてしまったようだ。

 対向車線の運転手が、まるで幽霊でも見たような、ぎょっとした顔で凝視してきた。前見ねぇと事故るぞ。


「な、な、な、なんでもしますから、ど、どど、ど、どうか許してはもらえないでしょうか」

 車内に響く声量で叫ぶ大塚。

「大亜ちゃん。ギムキョウイクで習わなかったか?俺はろくに中学も通わなかったけどよ。先公に教わっただろ。『ヒトを殺すときは殺されても文句は言うな』って」

「そ、そんなの教わってましぇん……」


 あらら、コイツ泣き出しちまったよ。

 大塚はガキみたいにしゃくりあげながら泣き始めた。正真正銘のガキが後部座席でその姿を見てるってのに、生きてて恥ずかしくないのかね。



「とりあえずお前の住所先まで運転をしてもらうからな。まだ事務所に出入りして日が浅いお前なら住所も割れてないだろうし、そのあとは……まあ期待してろよ」

「ひぃ」

 車内に鼻を突くアンモニア臭が漂った。これから訪れるであろう未来に悲観したのか、お漏らしまでしたらしい。窓という窓を開け放って換気しても、まだ臭う。

 後で覚えてろよ。大亞ちゃん。



 三人を乗せた車の外の景色は、気づけば高層ビルが並ぶオフィス街から、次第にシケた郊外の住宅街へと変わっていった。

 どれも似たり寄ったりの狭小住宅で、こんな犬小屋のような家を建てるために人生の大半を費やしているサラリーマンの暮らしを思い浮かべると、とてもじゃないが自分には無理だと思った。

 大塚の自宅まで向かう道中、首都高は利用してない。追われている立場では逃走方面が割れやすく、追う側からすれば簡単にバリケードを張れるからだ。なので一般道で右折左折を繰り返し、チマチマと所沢に向かっていた。



「なあ可欣」

「なあに?」

「お前、本当にあの両親の子供だったのか」

 不思議、というより不審だった。最初から。

 初めて会ったときから、どうも犯罪の匂いがしてしょうがなかった。

 子供の頃から当たり前のようにあった劣悪な環境がそうさせたのか、人より優れたこの嗅覚で暴力が渦巻く裏の世界を生き長らえてきたが、その嗅覚がこのガキから放たれるキナ臭さを感知していた。


「ううん。違う」

 ハッキリと、迷いもせずに首を横に振って答えた。

「じゃあ養子か……って意味がわからねぇか。えーと何て言えばいいんだ。どっちも死んだのか」

「そ、その聞き方はどうかと……」

 俺を咎めるように大塚が割って入ってくる。自分の立場がわかってるのかコイツ。

「オマエは運転に集中してろ」

 適当にあしらい、尋問を続ける。

 いないということは、あのワンは養子で可欣を迎え入れたのか?ただでさえ二人のガキがいるってのに?なんのメリットがあるんだよ。


「わかんない。あのおじさんに連れてこられたから」

 淡々と、五歳児らしからぬ落ち着いた声で語る。そこからはブツブツと王家での生活の内容を話し始めた。たどたどしく話す内容は、聞いててイライラさせられたが、まとめると恐らくこうだ。


 ・上の二人のガキには、日本鬼子リーベングイズとよく馬鹿にされ苛められていた。

 ・義母には無視をされ続け、飯もろくに与えられず空気のような扱いを受けた。

 ・義父である王は普段は優しかったが、お風呂に一緒に入るときだけ人が変わる。触られていた。


 養子というにはまったく歓迎されていない。

 それどころか、ペドフィリアド変態の疑惑まである王の玩具として引き取られただけなのではないか?

 聴いてて胸糞悪くなる話だが、そういう事情も仕事柄、よく聴く話だ。


「それじゃあ、他になにをしてたんだ」

「わかんない」

 首を横に振る。まっすぐ俺を見据えながら。

「思い出せ」

「わかんない!」

 イヤイヤと、大きく首を横に振って答える。

 このクソガキ。一発殴らねぇとわからねぇか。

 すると、運転をしている大塚が子供をあやすような声で可欣に話しかけた。


「ねえ。可欣ちゃん」

「おい。誰の許可得て話してんだよ」

「あの中華料理のお店で、可欣ちゃんはお仕事を手伝ったりしたことあるかな?」

 さっきまでは小便を漏らすほど俺にビビってたってのに、まるで無視するかのように会話を続ける。気持ち悪い声で。

「うんとねぇ。ある!手伝った!」

「お仕事手伝ってるんだ。えらいねぇ可欣ちゃんは」

「えへへ。えらいでしょ」

 誉められて満更でもなさそうに笑う。

 なんだよ。さっきは知らねぇとか言ってたくせに。

「じゃあさ、どんなことを手伝ったのかな?」

「うーんとねぇ。たくさんの写真を見せられたよ」

「写真だと?なんの話かさっぱり見えてこねぇな」

「こういうときは、何を伝えようとしているのか汲み取って考えてあげなくちゃならないんです」

 まるで聞き分けのないガキを諭すように言ってくる態度が気に食わねぇ。そもそもなんでそんなにガキの事が詳しいんだ。まさかお前も変態かよ。

 尋ねると、少しスピードを上げながら語りだした。


「実は、高校生の頃までは保育士になるのが夢だったんです。でも専門学校に通う金がなくて、奨学金を貰えるほど頭もよくなくて、それで進学もできずぶらぶらしてたら、いつの間にかこんなことになってて……」

 次第に萎んでいく声は辛気臭くてしょうがないが、だいたいの事情はわかった。

 つまりは『悪』になりきれない中途半端な落伍者落ちこぼれ、というわけか。

「は、たしかにヘタレなお前は、ヤクザよりもガキを相手にしてる方がお似合いだろうな」


「可欣ちゃん。その写真に写っていた人ってどんな人だったか覚えてる?」

 無視しやがったなコイツ。

「うん。おぼえてるよ。こわーいおじさんとか眼鏡かけたおじさんとかいたよ」

 それから可欣相手に、会話のラリーを大塚は演じて見せた。何かを聞き出すなんて、これまで拷問くらいしかしてこなかった俺には到底できねぇやり方だ。

「クソ……」

「ぎゃっ」

 八つ当たりで運転席を蹴りあげると、やはり情けない声が飛んでくる。

 どうにもイライラしちまう――そもそも俺は何を落ち込んでんだ?


「あ、そういえばね」

 そこで可欣は思い出したように話した。

「写真のなかにね、おめめを怪我した髪が真っ白なおじちゃんがいたよ」


 眼を怪我した髪が真っ白なジジイだと?

 無意識に頭のなかでは該当人物がいないか検索を始めていた。

 すると、ある人物がヒットした。だが、同時に俺の嗅覚が正しかったことが証明された。

 ――なるほどな。

「おじちゃん。電話なってるよ?」

 可欣が俺のスーツを指差して教える。

 震えるスマホを耳に当て、電話に出た。





 歌舞伎町の端にはラブホテルが林立する一角が存在する。朝も夜も関係なく、夜の人間も昼の人間も関係なく、少々の端金と引き換えに欲望を吐き捨てていく。

 もっとも、この区画が有名であることは衆人の知るところではあっても、大多数のラブホテルに辻村組が関与していることは、世間にも警察にも知られていないことだが。

 そのうちの一つのビル一棟を、辻村御幸は系列の金融会社で首が回らなくなった債権者の名義で借り、ワンフロアを組事務所に改装して利用していた。

 高みから歌舞伎町を一望できる一室で、今まさに辻村による怒号と血飛沫しぶきが飛び交っていた。


「なんでガキ一人消すことすら出来ねぇんだよ貴様らはっ!!ガキの使いかボケっ!!」

「す、すみません……まさか、二階からガキを抱えて飛び降りるとは思ってもいなくて……」


 普段声を荒らげることが少ない辻村にしてみれば、今回の失敗ミスは額の青筋が何本あっても足りないくらいに、怒髪天をついていた。

 膝立ちを強要された四人は、今回の指令を受けた部下であった。とは言っても、辻村からすれば遥か下の、社会の底辺を這いずる名前も知らない有象無象の連中に過ぎない。

 幾度も拳やドライバーで殴打され、しまいには誰が誰だか区別がつかないほどに顔の形が変貌していた。

 各々おのおのが東南アジアの無免許モグリに整形手術を施された後のように、暴行前の面影はなくなっている。



 こんなはずでは――助けを呼ぶことも叶わない密室で、任務に失敗した準構成員の小僧たちは、己の運命を嘆いていた。

 先のない暴走族を引退したあと、今後の身の振り方をどうするか悩んでいたとき、声をかけてきたのが辻村さんだった。

 甘い誘いに乗ったまでは良かった。良かったはずだった。

 井筒会直参の超大物。その人が持ちかけた計画を成功に導けば、直々に盃をもらえるはずだった。将来が約束されていた、はずだった。

 なのに――蓋を開けてみれば、やれ人を拐え、出来なきゃ殺せ、と追い込みをかけられる始末。

 最終的に与えられた任務は失敗して、自らの命は風前の灯火ときた。


「そうは言いますけど、人間を二人も殺せなんて無理がありま、へ?んあ、」


 勇敢、もしくは蛮勇にも釈明を試みようとした名もなき小僧の一人は、辻村が放った弾丸によって額に風穴を空け、仰向けに倒れた。

 ドス黒い血と、頭蓋骨の内圧から解き放たれた脳味噌を小さなあなからスプリンクラーのように飛び散らせながら。

 ドロリと、弾丸が貫通した衝撃で視神経が切れた目玉が、音もなく床に落ちる。


「ひ、ひぃっ」

「次は、次こそは消してきますんで!」

「堪忍してください堪忍してください」


 残った三人は、次自分の番ではないかと必死に命乞いをする。

 その様を見下ろす慈悲の欠片もない男にとって、与えた指令を成功させるか、それとも失敗させるかでその人間の価値を決めていた。

 使える奴は重用する。

 使えない奴は処分する。

 それだけの、ごくシンプルな方程式だった。


「貴様らよく覚えとけ。俺はな、どんな奴でも仕事は任せる。だが、失敗したら二度目はない。どうしてか、わかるか?」

 青ざめた顔で四人は震えるしかなかった。

「お前らみたいな、クソの役にも立たない奴の顔はな、見てるだけで殺したくなるからだよ」


 屠殺前の豚を見下ろすような温度のない瞳で、それぞれにありったけの弾丸バレットを撃ち込む。

 家畜を殺す家畜銃キャトルガンのように。


「クソの役にも立たない蛆虫どもが」

 今はようとして場所が知れぬ劉の行方を探させるのに、本家にバレないように兵隊を動かすのは困難を極めていた。

 その結果、まだ盃もやってないような半端者捨てゴマを使わざるを得ず、思い通りの結果が得られないことに辻村の怒りは頂点ピークに達していた。


 ――もし、万が一組長オヤジにバレたりでもしたら、破門どころか絶縁状ものか。最悪俺が消されるかもしれんな。


 もしも、自分が秘密裏に行っているが本家の上層部に伝わりでもしたら、出世はおろか命すら絶たれかねない状況に、計画プランを一から練り直す必要に迫られていた。

 苛立ちを抑えるために、最高級のハバナシガーをデスクから取り出し、酸素の代わりに芳醇な煙で肺腑を満たしていく。

 酒も煙草も、女も金も暴力も、突き詰めれば根源は満たされたいという純粋な欲求だが、辻村にとってそれらは一瞬の快楽はあれど、プールに蛇口から水を一滴垂らす程度のものでしかなかった。

 己の欲望を満たすもの――それは全国で一、二を争う暴力団、井筒会のトップの座に座ったときこそ、この果てのない渇きは癒される。


「そのガキが生きてちゃ、俺の野望に支障が出るんだよ。劉」


 巨大な一枚ガラスのその向こう。

 大小様々な欲望が渦巻く歌舞伎町を眺め下ろし、自分の命令に背いた愚かな部下をそうするように、目の前のガラスを力の限り殴り付けた。



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