56. ヴィルジニーの井戸

 ダンス練習は、まだ続いていた。


「本当に井戸を作る必要はない……とは?」


 リオネルが怪訝に首を傾げ、僕は、そうだった、と思い出す。

 ヴィルジニーの目的である、王子に褒められる、を実現するためには、井戸は本当に必要ないのだが……真の目的を知らないリオネルに、それを言うわけにはいかないのだった。


「つまり……そこまで我々が心配する必要は、ない、ということです」


 まだ訝しげな二人を順番に見て、僕は続けた。


「いかな公爵令嬢とはいえ、井戸建設の資金をすべて供出する、というのは、とても無理な話。ですから我々にとって、最終目的である井戸建設を実現するために、まず、できることをすればいいのです」


 僕は再び、二人の顔を見比べる。何かをわかりかけているようで、十分ではない、そういう様子の表情を確かめてから、言った。


「ヴィルジニー様が、井戸建設のための協力を呼びかけて、資金集めを行うのです。つまり、募金活動ですよ」


 合点がいった、という様子のリオネル。ヴィルジニーの方は、まだ訝しげだ。


「募金、活動、とは?」


「目的に賛同してくださる方から、寄付を募るのですよ」


「寄付!?」


 ヴィルジニーはその顔を怒りの表情に変えた。


わたくしに、乞食の真似事をしろ、とおっしゃるの!?」


「いいえ、ヴィルジニー様、これは乞食の真似事、などではありませんよ」


 僕は首を振る。


「乞食は自分のために恵んでもらいますが、寄付は社会のために募るもの。とても崇高な行為です」


 ヴィルジニーが考えるようにする様子を尻目に、リオネルが口を開く。


「確かに……公爵令嬢であられるヴィルジニー様が寄付を募る、となれば、無視できる者はおりません」


 男爵の長男の指摘に、僕は頷いた。


「貴族令嬢の頂点であられるヴィルジニー様が、貧しい方々を救済するための事業を提案し、その寄付を募る。そう、リオネル殿の言う通り、これを無視できる貴族の子息はおりません。学内で始めても、少なからぬ額が集まるでしょう。それと同時に、ヴィルジニー様が提案していること、そのものが、貴族社会全体に広まるはずです。そうすれば」


「学外の、もっと広くから、寄付を募ることができる」


「そう。貴族家の当主様方が寄付をしてくださるようになれば、必要な額などあっという間に集まるでしょう。なにせ上級貴族の競争意識は……失礼」


 口を滑らせた僕を、ヴィルジニーは睨み、リオネルは苦笑いする。

 しかし、僕が口にしたのは、事実。


 おそらく、ヴィルジニーが言い出しっぺで、少なからぬ寄付をした、となれば、彼女の実家、デジール家も協力してくれるだろうし、となれば傘下の貴族家はもちろん、ライバルであるドゥブレー侯爵家やその派閥の貴族だって、無視はできなくなるはず。上手くやれば、寄付額を競い合う展開だって期待できる。

 まあ、そこまでは高望みし過ぎかもしれないが……


「それに、話が広まれば、技術的な協力者の出現も期待できます。学生だけで井戸建設ができないのは、自明ですから」


 僕はわざとらしく肩をすくめた。


「ここまでいけば、以降は然るべき筋に任せても良いでしょう。それでもこちらには、慈善事業としての井戸建設をスタートさせた、という実績が残ります」


 僕はヴィルジニーに目配せする。フィリップ王子に褒められる、という彼女の目的を満たすのなら、むしろで十分だ。

 これが、僕が、本当に井戸を作る必要はない、と言った、理由だ。


 ヴィルジニーも、目だけで頷く。どうやら理解してくれたようだった。


 そういうやり取りには気付かず、リオネルが嬉しそうな顔をする。


「我々だけで井戸を作る、などというのは、できないと思いましたが、なるほど、我々だけでする必要はない、ということですね」


 僕は頷きを返す。


「できないことは、できるひとに任せればいいのですよ」


 それから、考え込むように俯いてたヴィルジニーを、見る。


「それでも建設された井戸は、ヴィルジニーの井戸ヴィルジニーズ・ウェル、などと呼ばれるでしょうね」


 ヴィルジニーは何事か言いたそうにしていたが、彼女が言葉を見つける前に、その背後に、近づいてきた令嬢の姿があった。


 今日の課外授業、ダンス教室の講師役を務めた、子爵令嬢だ。


「あの、ヴィルジニー様。本日の練習は、そろそろここまでにいたしましょうか」


 振り返ったヴィルジニーは、「ええ、そうね」となかば上の空で返事をして、それからもう一度、窓のこちら側の僕らへ向き直った。


「お話の続きは、また、後ほど」


 そう言って、令嬢方の輪の方へと行ってしまう。練習には参加していないが、主催者として締めなければならないのだろう。


 僕とリオネルも、窓から離れる。


「しかし、やはりステファンはさすがですね。できないと思ったのに、俄然、現実味を帯びてきました」


 僕はリオネルを横目で見る。

 リリアーヌとベルナデットに言われてから、彼と二人でいるのは正直気まずいのだが、リオネルの態度は以前と変わっては見えず、二人の令嬢が言ったことはやはり眉唾ものだろう、と思いたいのだが――意識してみると、確かにただの男友達にしては、距離感が近いような気もするし。


 正直、さっさと逃げ出したい気持ちもあるが……ヴィルジニーに「後ほど」と半端な言われ方をしてしまったからには、最低でも次の会合の打ち合わせぐらいはしないと、帰るのは許されなさそうだ。


「目標をどこに設定するか、という話に過ぎないよ。それに――今回のプランはあくまでもヴィルジニー……様、彼女の、公爵令嬢という立場あってのものだからね」


 そう、例えばこれが、僕が募金を呼びかける、というのでは、現実味がまるで違ってきていただろう。先程も述べたが、貴族令嬢の頂点であるヴィルジニー・デジール公爵令嬢が……悪役令嬢として名高く、それでいて、最近心を入替えたと噂のあのヴィルジニー嬢が、よりによって貧困層のための慈善事業をする、そういうインパクトが、この作戦の要である。


「それに、本当に寄付集めをするなら、それなりにキチンとした計画を立てる必要がある。金を集めた後に実現不可能、などということになれば、その後の信用に関わるし……」

「なるほど。そうすると、早期に専門家の助言が必要ですね」


 井戸建設の専門家になど知り合いはいないが、いざとなれば父のコネを使わせてもらおう。めったに出番のない転生チート(と呼ぶのが適切かわからないが)だ、使えそうな時に使っておこう。


 校舎から、課外授業を解散した生徒たちが出てきた。


 ヴィルジニーを探していた視線が、早足で出てきたセリーズを見つける。若干、緊張した表情。

 彼女を追うように出てきた男子生徒が、声を掛ける。セリーズは迷惑そうに振り返った。


「あの……こういうの、困ります」

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