25. 新たなる作戦
僕たちは、学生ホールの隅、順位表が貼られている壁から一番離れたところに置かれたテーブルへ。いち早く動いたリオネルが椅子を引き、ヴィルジニーは当然とばかりに腰掛けたが、次の瞬間にはその顔に疑問の色を浮かべ、偉丈夫の顔を見る。
僕、そしてリオネルが丸いテーブルを挟むような位置に座り、ヴィルジニーはやはり僕、そしてリオネルの顔を順番に見た。
「あの……こちらは?」
「リオネル・ヴュイヤールと申します!」
社交界で幾度となく顔を合わせた相手に、リオネルは覚えられていないこともまったく気にした様子もなく、胸を張って答えた。
自己紹介を聞いても、ヴィルジニーはまだ怪訝な顔をしていた。
「それで……そのリオネル殿が、なぜ御一緒なのでしょう?」
機嫌が悪そうに、言う。
正直、僕も、リオネルが一緒に座っていることには、不満があった。
コレは僕とヴィルジニー、二人っきりの憩いの場――にはならないけど、とにかく二人っきりになれるチャンスだったのに。
リオネルは身を乗り出すと、悪巧みをするときのように、声を潜めて言った。
「ご安心下さいヴィルジニー様……
追い払う機会を逸したのは間違いないし、そろそろ彼女にもリオネルを認知してもらっていていいだろう。
「リオネルはヴュイヤール男爵家の跡取りで……実は先日、“課外授業”の成功のために、いくらか力を借りましてね。ヴィルジニー様、彼は大変使える男です」
僕はヴィルジニーに、リオネルとは反対側の目をつぶってみせる。
彼女は、先日僕が言った言葉を思い出してくれただろうか。とにかく何度か瞬きして、それからリオネルの方を見ると、その顔にわざとらしい微笑みを貼り付けた。
「どうもありがとう」
リオネルの方は驚いた様子を見せた。きっと、よりにもよってあのヴィルジニー・デジールに、微笑まれた上で礼まで言われるなどとは夢にも思ってなかったのだろう。
「それで?」
作り物の笑みを一瞬で消し去り、ヴィルジニーは僕の方を睨むようにする。
「王子になにがあったというのです?」
僕は遠くの壁の順位表を、立てた親指で指差した。
「原因はアレですよ」
ヴィルジニーとリオネルは、僕の指し示した先にやはり順位表があることを確認した。
「あれがなんだというのです。王子は首位です。何も問題は……」
「問題は、王子の順位ではないんですよ」
「はあ? ……意味がわかりません」
「王子は、別の人物が首位になるべきだと思っていたし、そうなると信じていた。でもそこに自分の名があると
「本当に?」
ヴィルジニーは疑わしげな目で僕を見た。
「
「そんな……僕が王子のことで間違っていたことがありますか?」
「お二人が友人関係なのは認めますが……見てもいないことをそのように断言など。それにそもそも、王子が自分より成績が上であるべきだと思う人物など、そのような人間が本当に――」
その間、ずっと順位表を眺めていたリオネルが、ようやくこちらに向き直って口を開いた。
「セリーズ殿、というわけですか」
僕は頷く。
「国王が推している特待生ですから、一位は彼女であるべきだった。首位が自分であることを知った王子は、彼女の名前を探した。名前はあったがずいぶん低いところにいる。これは問題だ――そう思って悩んでしまった、それがあの態度の原因です」
ヴィルジニーは疑い深い目で僕を見た。
「本当に?」
「間違いないと思いますが、それはあとで確かめましょう」
「えっ? 確かめるってどうやって」
「そんなことよりヴィルジニー……様」
僕はリオネルがいることを思い出し言い直した。
「もう少し、考え方を改めていただきたいですね」
「わっ、
「セリーズ・サンチュロンについて、ですよ」
「っ! ……また友達がどうのと言うおつもりですか?
「違います」
僕は遮るように言うと、首を振った。
「彼女の立場のことです。特待生、セリーズの存在は、すでに国王、王家の政策なのです。つまり彼女の成功は、彼女を特待生とした政策の成功を意味する。それは、常に王家と国王を支持してきたフィリップ王子にとっても、同義です」
ヴィルジニーは目を見開いた。
「セリーズの成功が――フィリップ王子にとっても重要なこと、だと?」
「そうです。それこそ、ご自分の成績以上に」
はっとした様子を見せたヴィルジニーは、顎に手を当てると、俯き、考えるようにした。
リオネルは公爵令嬢のその様子を真剣な目で見てから、僕の方を見て、頷いた。
僕は内心で、リオネルに申し訳なく思う。
彼はきっと、ヴィルジニーの様子を、将来王族になるものとして王家と政策を理解しようとしている、とても立派な姿勢だ、などとでも思っているのだろう。
だが実は、ヴィルジニーはただ、王子に認められ、褒められたいだけ。王子の歓心を買いたいだけなのだ。
そして僕は――そういう彼女の気持ちにつけ込み、利用して、彼女に近づきたいだけ。
王子に近づきたいヴィルジニーに協力するふりをして、最終的には二人を引き裂こうとさえ考えているのだ。
彼女も、そして僕も、一ミリたりとも王国や政策のことなど重んじてはいない。目的のために理解しようとしているだけに過ぎない。
この場ではおそらくリオネルだけが、忠心を動機にこの場にいるのだ。
だが――僕はリオネルに目配せを返しつつ、思う。
悪いな、とは思うが、しかし、せいぜい利用させてもらおう。
このことは、彼にとっても悪い結果にはならないはずだ。
「それで、ここからが本題なのですがね」
僕は身を乗り出すと、テーブルに両肘を付き、軽く組んだ手で口元を隠す。どこかで見た誰かの父親のポーズだ。
「この件を利用――あっ、いえ……我々で解決しましょう」
怪訝な顔をしたのはヴィルジニーだ。
「この件、とは?」
「もちろん、セリーズさんの成績下降の件ですよ」
ヴィルジニーは更に眉をひそめる。
「解決、とはどうやって?」
「貴女が言ったではないですか。週末に自主学習をせずに自宅に帰ったりしているから、成績が下がるのだ、と」
「えっ? いや、それは……セリーズに本当に首位を取る実力があるのか、わかった話では――」
しどろもどろになったヴィルジニーに、僕は頷く。
「まあ、そうです。実際には彼女の努力が必要です。しかし、彼女が週末に寮におらず、したがって学習時間が短くなっているであろうことは事実ですし、このことに成績悪化の原因を求めるのは、順当です。
王子は、セリーズの成績が悪化していることを、危惧しているはずです。そしてあの様子だとおそらく、そのことを誰かに相談したりはしないでしょう。もしかしたら、いずれ僕に話すかもしれませんが――その前に、手を打ちます」
まだよくわからない、というふうに微かに首を傾げているヴィルジニー。
僕は彼女を見て、続けた。
「貴女が王子のところに行き、聞いてしまうのです。王子の心配事は、特待生の成績のことではありませんか、と」
「それが先ほど申し上げられた、確かめる、ということですね?」
リオネルが聞き、僕は頷く。
「そうです。そしてそれが正しければ次は、成績下降の原因に心当たりがある、よければ確かめて報告する、などと伝えるのです」
「なるほど。解決するのは、王子の心配事の方、というわけですね」
「そういうことです」
僕とリオネルのやり取りを聞いていたヴィルジニーは、目を細めて僕を見た。
「
頷きを返す僕に、ヴィルジニーは怪訝に首を傾げた。
「なぜ
「貴女が聞くから意味があるんですよ」
僕は身を乗り出して続けた。
「ヴィルジニー……様、この件は大変有用です。貴女に王子の心配事を見抜くことができる洞察力、共感力があることをアピールできますし、問題意識を共有していることも伝えられます。王子は絶対喜びます!」
「王子が、喜ぶ?」
浮かない顔をしていたヴィルジニーの目が、キラリと光った、ような気がした。
「そういうことであれば……しっ、仕方ありませんわね! それで、えーっと……何をどう話すのでしたっけ?」
「……台本を書きますんでしばしお待ちを」
「しかし、原因を確かめる、というのは、どうなさるおつもりです?」
ノートとペンを取り出した僕に、リオネルが聞いてくる。
「もちろん、セリーズさんのお宅……サンチュロン家にお伺いして、事情を確かめてくるのです」
納得顔を浮かべたリオネル。対称的に、ヴィルジニーは顔をしかめる。
「物好きなことですこと」
「貴女も一緒に行くんですよ」
「えっ!? ……なぜ
「そういうわけにはいかないでしょう。王子は当然、理由があるなら知りたいと思うはずですよ」
「貴方が行って、結果だけ知らせてくれればいいでしょう」
「行かずに、報告だけなさるおつもりですか?」
「ヒトを上手に使え、と言ったのは、ステファン、貴方ですよ」
さも当然、という態度で自信満々に言う彼女に、僕は嘆息する。やれやれ、という気分だ。
「男の
「
「それに、実際に動いたのが
うぐっ、と口をつぐんだヴィルジニーに、僕は畳み掛ける。
「王子は、
悪役令嬢は返事をしなかった。そればかりか、すっと顔を背けた。
僕が彼女をじっと睨むと、ヴィルジニーは顔を背けたまま、目だけをチラリと向けてこちらの様子を伺っていたが、やがて、諦めたように言った。
「いつです?」
「早い方がいいでしょう。早速明日にでも」
「明日!?」
驚くヴィルジニーに、僕は頷きを返す。
「特待生の自宅を把握しているのですか?」
「いいえ。ですので、これから学生課に行って聞いてきます。ヴィルジニー様はその間に、フィリップ王子との話を済ませて来て下さい」
「えっ? ……ではこれからですか?
急にそわそわし始めたヴィルジニー。先程の、セリーズの家に行くと言ったときとは違う渋り方だ。
首を傾げた僕に、彼女はおずおずと言った。
「あの……一緒に行っては……くれないのですよね?」
僕は思わず眉をひそめてしまう。
「フィリップ王子ですよ? 何の問題があるのです」
「だって……緊張するじゃないですか」
そう言ったヴィルジニーは、頬を微かに赤らめる。
「殿方のお部屋を……訪ねていくなど」
あんた、僕の部屋には平気で来たじゃないか。
僕は思わず、がっくりとうなだれてしまう。
まさか、異性として見られてさえいないとは。
いや……現状の距離感がわかったのだ、良しとしよう。
詰めるべき距離がはっきりとわかった。
ここはそういうことにしておこう。
僕は良いとこ探しをするのは得意なのだ。
「ヴィルジニー様はフィリップ王子の婚約者なのですから、なにも遠慮はいりませんよ。それに王子の部屋にはお付きの者がおりますから、二人っきりにはなりません」
なんとか顔を上げた僕が言うと、ヴィルジニーはホッとしたような、それでいて残念そうな顔をした。
「そうですか、お付きの者……」
ヴィルジニーの見せた切ない顔。
それを見て覚えた嫉妬心を、僕は振り払うようにして、広げたノートに向かう。
僕はまだ、土俵にいない。今はそのための準備、下積み期間だ。
彼女の表情に、一喜一憂してる場合じゃない。
「王子の心配事が、まったく別のものであったら、いかがいたしましょう?」
ノート……台本を書き始めた僕に、リオネルが言う。
「ふむ。まずないとは思いますが……その時はヴィルジニー様が上手く聞き出してください。そのあとのことは、それから考えましょう」
「そんな……」
「大丈夫ですよ、まず、間違いありません」
「間違ったことを言って、王子の不興を買いませんか?」
「たとえ間違っていたとしても、女性の気配りを好ましく思うことはあれど、不快に思われることはありませんよ」
「だと……いいのですが」
僕は書き終わったノートのページを丁寧に切り取る。
「念の為に言っておきますが……覚えてから行ってくださいね。このまま一言一句言う必要はないので。くれぐれも、王子の前でこれを取り出したりしないよう」
ノートを受け取ったヴィルジニーは、僕の方をジロリと睨みつけた。
「言われなくても、わかっています」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます