第160話「柳生の修羅」

 義太夫ぎだゆう宍戸ししどを斬ったその頃、一人の男が白煙の中で心魂こころに宿した修羅のかおあらわにしていた。


「クハハハハ!こい!もっとこい!もっともっともっと掛かってこい!武蔵むさしなんかじゃねえ!立花たちばな慶一郎けいいちろう但馬たじまのクソ野郎がなんだってんだ!この俺の剣こそが比類なき剣!俺こそが真の天下無双だ!」


「おのれ!その言葉聞き捨てならん!」


「我らの一刀流の極意を受けてみよ!」


「馬鹿かテメエら…」


「ごがっ!」


「ぎえっ!」


「この馬鹿共が!正式な立合たちあいならいざ知らず、戦場いくさばでわざわざ声掛けてから斬り掛かんじゃねえ!勝ちたきゃ背後から隙を衝きやがれ!自分てめえよりつええ奴に勝つには不意打ちだろうが!次は誰だ!正真正銘ほんものの天下無双はここにいるぞ!牢人だろうが破落戸ごろつきだろうが関係ねえ!曲がりなりにもを以て世をまかり通ろうってんなら一度は頂点てっぺん狙ってみろ!」


 まるで敵を求める様に大声を出して自らの居場所を知らせる男が見渡せる視界の外、白煙に阻まれた先の地面には三十人あまりの男達が転がっていたが、その男達は誰一人として

 しかし、とうそうを負わず、斬られていない男達の ことごとくが微動だにせず、喉、胸、額、水月みぞおちなどに打突だとつを受けた痕跡があり、それよってその者達は意識を失っているか、或いは致命傷に近い怪我を負っているのは明らかだった。

 そこに転がる男達の多くは武蔵の思惑によって集まった武芸者や付近に棲む破落戸ごろつきであったが、中には武蔵流の門下として認められた選りすぐりの強者もののふも少なからずいた。

 三十人余の者達を次々に退け、打突による衝撃で文字通り自らの視界から消し去った男の手にはがあった。

 袋撓ふくろしない…これは柳生流の稽古に用いられる武具の一種であり、現代の剣道で用いる竹刀しないの原点と云われいる。

 実戦用の武器を手にした三十人余の者達をの武具でことごとく倒したこの男は兵庫助ひょうごのすけである。

 視界すら儘ならぬ状態の上に予想外の軍勢が加わる乱戦となったこの場で同志なかまとはぐれた後の兵庫助はを隠す事が出来なかった。

 兵庫助の本性…それはまさしくである。

 しかし、その本性の片隅にある一面こそが秘めた本性であり、それは正に修羅であった。

 武によるこころざしを求めず、ただひたすらに闘争を追い求める修羅の心魂こころを兵庫助は秘めていた。


「これは奇妙おもしろいな。それがお前の真実ほんとうかおか?」


「っ!?いつの間に!」


「慌てるな。俺は味方だ。な」


 兵庫助は背後から声を掛けられた事でその者が接近していた事に気がついた。

 僅か数歩という至近距離まで音も気配もなく接近したその者は儀間ぎまだった。


「お前は確か…」


儀間ギマだ。闘士としてお前に興味が湧いた」


「偉そうにいいやがる。まるで但馬のクソ野郎だな。もっとも野郎とお前の力量うでは雲泥の差があるがな」


「ほう。お前の眼には俺は雲か?それとも泥か?」


「但馬のクソ野郎が泥だよ。奴は一番侍に剣を教えてるだけで一番侍になった気でいやがる腐った泥だ!ですらねえ!家康いえやすなんざに剣を教えてなんになるってんだ!せっかく天下人と対面する機会かあるんだからとっとと斬っちまえばいい!そうすりゃ残るのは強え奴が生き残る弱肉強食の戦国の世だ!の掟が支配する世なんだ!それなのに家康いえやすの剣術指南役なんざで満足しやがって!一族の面汚し野郎が!」


「………」


 歪んでいる…

 目の前にいる兵庫助という男が権力や名声に興味がある様には思えないが、それらを得ている者に対する感情が歪んでしまっていると儀間は感じた。

 但馬のクソ野郎、即ち柳生やぎゅう但馬守たじまのもり宗矩むねのりに対する兵庫助の怒りの根幹に何があるのか、果たしてそれが真実ほんとうに怒りであるのか、儀間は兵庫助の感情に疑念を抱いた。

 そして、兵庫助を試す様に口を開いた。


兵庫助ひょうごのすけだったな。お前は何故家康いえやすを斬ろうとしない?」


「なに?」


「言動から察してお前は家康いえやすに剣術を教えている者と関わり合いがあるのだろう?ならばその人脈つてを利用してお前が家康いえやすを斬ればいいだけの事だ。弱肉強食の乱世を望むならそれが一番単純にして明快な方法だ。違うか?」


「………」


 兵庫助は何も云わなかった。否、儀間の言葉が的を射ていたが故に何も云えなかった。


「……やはりな。お前は歪んでいる」


「なにが云いてえんだ?」


「その本性剥き出しの今のすがたと、それをひた隠しにしている普段いつもすがた、その狭間でお前は歪んだ。それ故に自分自身がのかすらも忘れているのだろう」


「ちっ!偉そうに!こい儀間ぎま!殺さねえ程度に加減してやるからかかってこいや!」


「かかってこい、か。望みとあれば…」


 そう云うと儀間は柔軟運動をする様に前屈をして地面に触れた後で拳を握り、その身に闘気を纏った。


「お前、素手で俺とやるってのか?」


「ああ。お前も真剣じゃないのは俺と変わらんだろう。だがな小僧。俺のこの肉体からだは全てが武器になる。その意味がわかるか?」


「なめるな!ゴタゴタ云わずにさっさとこい!」


 兵庫助は無形むぎょうくらい状態ままで殺気を纏った。


「やれやれ、餓鬼を甚振いたぶるのは好きではないんだが、なっ!」


「砂っ!!?」


未熟あまいぞ!闘士の動きは全てに意味があると思え!」


「なめるなあああ!!」


「む!」


 一瞬の出来事だったが、二人は互いに武を示した。

 儀間は前屈をした際に密かに手にしていた砂を放ちながら打撃を喰らわすべく兵庫助へと突進し、兵庫助は放たれた砂を顔面に喰らいながらも瞼を閉じることをせずに迫り来る儀間を迎え打つ一撃を放った。

 兵庫助のはやく鋭い一撃は儀間の攻撃を中断させるには十分であり、打撃を放つべく突進した筈の儀間は咄嗟に身体からだひねってその一撃をかわして兵庫助の横をすり抜けた。

 砂を放つことでこの立合の機先を制したのは儀間であったが、立合の結果を左右する攻撃を繰り出したのは兵庫助のみであった。


「くそ…眼がいてえ。この琉球野郎め味な真似をしやがる」


「退きも避けもせずに反撃、か。面白い」


「へっ!偉そうに…そんな事より追撃がねえみてえだがどうした?俺の剣に臆したか?」


「まあそう慌てるな。お前の眼には暫し休息が必要な筈だ。砂弾さだんをまともに受けて瞼を開けられているのは大したものだが、涙が止まらんのでは見通しが悪いだろう?眼が回復するまで少し待ってやる」


「……気に入らねえな、その上からの物云いと態度は」


「ほう、ならばどうする?」


「ふはっ!」


「む!」


 兵庫助と儀間、二人の強者もののふの二度目の衝突、先に仕掛けたのは兵庫助だった。

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