第149話「吉岡潰し」

 自らの意思で武蔵むさしと吉岡一門との一件に関わる事を決断きめ慶一郎けいいちろうは、留守番をしていたかたちとなる喜助きすけへその旨を伝える為に兵庫助ひょうごのすけ義太夫ぎだゆうを伴って拠点としている家へと戻り、事情を聞いた喜助が慶一郎と同様に協力を申し出ると義太夫は自身と吉岡一門との関係、そして武蔵と吉岡一門との因縁について語った。


 義太夫ぎだゆうかつて京で暮らしていた頃に三代目吉岡よしおか憲法けんぽう昵懇じっこんとなり、その三代目に吉岡道場にて小太刀術の指導者となる様に頼み込まれた末に祗園ぎおん藤次とうじという名で吉岡道場へ客人として身を置き、時折顔を出しては四代目吉岡憲法こと吉岡よしおか直綱なおつなに小太刀術を教えていた。

 そんなある日、三代目憲法が亡くなって子の直綱が四代目を継いだ際、義太夫は「他流の師が一門に居ては当主の顔が立たん」と云って自ら道場を去った。

 義太夫が吉岡道場から距離を置いた後、四代目の直綱は道場破りを一切拒まず、戦闘たたかいを日常として躍動し、名門吉岡道場は廃れていない事を世間に知らしめた。

 そして暫くが経った頃、吉岡道場と直綱は単独ひとりの男によって仕掛けられた奸計を前に敗れ去った。

 その男が武蔵むさしだった。

 まだ新免しんめん武蔵たけぞうと名乗っていた武蔵に直綱は敗れ、その日から剣術の名門吉岡流は名門ではなくなり、数日後に直綱が生命いのちを落とすとが始まった。

 道場破りだけでなく地域の破落戸ごろつきまでもが参加した吉岡潰しは苛烈を極め、あらゆる人道にもとる行為が行われた。

 吉岡潰しが発生した原因りゆうは、圧倒的存在感と実力を有していた当主が当時はまだ無名だった武蔵との決闘に敗れて生命いのちを落とした為に吉岡道場の権威が失墜した事が発端きっかけである。しかし、その根幹にあったのは吉岡道場及び吉岡流が単なる剣術道場や流派ではなかったが故の嫉妬と怨恨であった。


『武を以てまこと心座こころざす』


 これは強者は弱者をしいたげないという意味である。

 武とは強者、真とは人の心。

 吉岡流は剣術によって『心身を鍛え上げて人としての真心を持つこと』を理念とし、単純なだけを求めず、吉岡道場では武士以外の者へも分け隔てなく剣術を教えていた。

 中には商人や農民など、本来は剣術と縁遠い身分の者も吉岡道場へと通い、対価を納めた。商人は取り扱う商品や金銭でを対価とし、農民は農産物を対価とした。

 それはまさしく、であった。

 武士による武士の為の剣術ではなく、人によるの為の剣術道場、それが吉岡流だった。

 だが、吉岡流はあくまでも実戦を想定した剣術を基本とし、である以上は強くなくてはならないという根幹は揺るがなかったが故に日々の稽古は厳しかった。だからこそ吉岡一門に属する者は武士でない者達も総じて強かった。そして、強いが故に他の武士や破落戸の心中には吉岡道場への嫉妬や怨恨と云った感情が募った。

 吉岡道場は弱者には慕われていたが、弱者をしいたげるにはことごとく嫌われていたのである。

 個人の資質ではなく、武士というが優れているという武家の思想、破落戸などが抱く他人の幸福や優れた部分を認められずに他人を虐げる感情が吉岡潰しを起こした者達の根幹に存在していた。


「───武蔵むさしとの一件以後、吉岡道場の関係者はあらゆる卑劣な行為をされたという。それでも殆どの者は道場へと通い続たらしい。だが……」


 義太夫はそこで一旦言葉を切り、早雪さゆきへと視線を送った。その視線対して早雪は義太夫の想いを悟り、ただ黙って頷いた。

 義太夫は視線で「聞く覚悟はあるか?」と伝えた。そして早雪は頷くことでその覚悟を示した。

 それを確認した義太夫は再び口を開いた。


「…だが、吉岡潰しの最中さなかで悲劇が起きた。そう、まさしく悲劇がな…」


「おっさん、勿体振るなよ。何が起きたんだ?」


 喜助が義太夫を急かした。

 苛烈な戦場を生き抜いてきた義太夫が言葉に詰まった事がその後に語られる内容を表していた。


「害が家族へ及んだ」


「…みなごろしってわけか?」


「いや、それよりも卑劣だ」


「なに?義太夫ぎだゆう殿…いや、憲法けんぽう殿、みなごろしよりも酷いとはどういうことだ?」


「聞きたいのか早雪さゆきよ?」


「…やめとけ早雪さゆき。飯が不味くなるだけだぞ」


「そうかもな…でも聞かせてくれ」


「おいおい、別に聞かなくてもいいだろ」


「いや聞く。喜助きすけ、お前の気遣いはありがたいが、 私も現在いまの世で何が起きているのか知らなくてはならない 」


「せっかく忠告してやってんのに相変わらず可愛げのねえ女だな」


「なんだ喜助きすけ、私が可愛げがないことを今更知ったのか?」


「ちっ…もう自由すきにしろよ」


早雪さゆき殿もまた覚悟を決めている、か…)


 喜助の忠告を断った早雪の真意は現実と向き合う覚悟にある。慶一郎はそう思った。

 現在の世が泰平ならば早雪の父である信繁のぶしげと豊臣が行おうとしている行為は泰平を揺るがす反乱に過ぎない。

 が差し迫っている事を感じている早雪はこれ迄よりも注意深く徳川の世に対する見極めをしようとしていた。

 発生から既に十年程が経過している事ではあるものの、徳川による治世が確りと為されていれば当時の吉岡道場の関係者に起きた悲劇は避けられたのではないか?

 幕府のある江戸や家康いえやすの統治下にある駿府は厳しく管理統制していながら京や大坂は放置している為に無法が成り立ってしまうのではないか?

 早雪はそう考えたが故に、その悲劇が何なのかを詳しく知ろうとした。


「では話そう。我輩が聞いた話では───」


 義太夫が語った内容はまさしく悲惨だった。

 ある者は妻子を人質に取られた末にを強要され、妻子の目の前で自らの腹の肉を手で引き裂き、介錯かいしゃくを為されぬ状態ままに悶え死んだ。その時に悶え死んだのは農民でありながら吉岡道場で剣の才を発揮し、数々の道場破りの武士を退けてきた強者もののふだった。

 尚、介錯とは、切腹を行う者が長く苦しまずに死に至る様に腹を切った後に首を斬るなどの止めを刺す事である。健康な人間の肉体からだは存外頑丈に出来ており、腹を裂いたくらいですぐに死ぬことはない。その為、適切な介錯を行わなければ切腹した人間の意識があるうちはその者は痛みに悶え苦しみ続けることとなる。

 この切腹した農民は介錯なしの切腹を自らの手指で行い、死ぬまでの間ずっと家族の前に晒され続けたのである。

 腹を裂いた農民の様に妻を人質に取られた者は多くいた。

 親と妻を人質に取られ、親を殺すか自らの妻を殺すかの選択を迫られた末にその者の親が自ら舌を噛み切ったことで涙ながらに親を殺した者、反撃をする度に子を打つと脅されて自身よりも遥かに実力の劣る者に負け、屈辱の中で子の前で死に至った者など、それらは一対一は愚か多勢に無勢でも勝てない者達が行った事だった。

 これら以外にも似た様な卑劣な行為が行われたが、その全部すべてに共通していたのは、単純に家族や本人を殺すのではなく、家族と本人が互いに目の前にいる場で卑劣な行為を強要するという、精神的に痛みを負わせる手口であった。

 その場にいながら家族を救えなかったという悔しさ、家族の前で自身が悶え死ぬ姿を晒さなくてはならないという痛み、吉岡潰しを行った者は肉体からだよりも精神こころを苦しめようとした。そして、それらの対象となったのは総じて武家出身ではない者、即ち武士以外の身分の者であり、それらの行為が起きた後に残った者達が吉岡道場から距離を置くのは必然だった。

 そうして門下生が激減した吉岡道場には当初から身を置いていた武士達のみが残り、その時を見計らった様に次々と他流派からのが訪れた。それらの刺客もまた正々堂々とは立ち合わず、相手取る吉岡側の者の家族へ手を出す事を匂わせた上で一切の反撃を許さない状態ままに一方的に打ち伏せたのだった。

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