第149話「吉岡潰し」
自らの意思で
そんなある日、三代目憲法が亡くなって子の直綱が四代目を継いだ際、義太夫は「他流の師が一門に居ては当主の顔が立たん」と云って自ら道場を去った。
義太夫が吉岡道場から距離を置いた後、四代目の直綱は道場破りを一切拒まず、
そして暫くが経った頃、吉岡道場と直綱は
その男が
まだ
道場破りだけでなく地域の
吉岡潰しが発生した
『武を以て
これは強者は弱者を
武とは強者、真とは人の心。
吉岡流は剣術によって『心身を鍛え上げて人としての真心を持つこと』を理念とし、単純な力だけを求めず、吉岡道場では武士以外の者へも分け隔てなく剣術を教えていた。
中には商人や農民など、本来は剣術と縁遠い身分の者も吉岡道場へと通い、対価を納めた。商人は取り扱う商品や金銭でを対価とし、農民は農産物を対価とした。
それは
武士による武士の為の剣術ではなく、人による
だが、吉岡流はあくまでも実戦を想定した剣術を基本とし、
吉岡道場は弱者には慕われていたが、弱者を
個人の資質ではなく、武士という身分が優れているという武家の思想、破落戸などが抱く他人の幸福や優れた部分を認められずに他人を虐げる感情が吉岡潰しを起こした者達の根幹に存在していた。
「───
義太夫はそこで一旦言葉を切り、
義太夫は視線で「聞く覚悟はあるか?」と伝えた。そして早雪は頷くことでその覚悟を示した。
それを確認した義太夫は再び口を開いた。
「…だが、吉岡潰しの
「おっさん、勿体振るなよ。何が起きたんだ?」
喜助が義太夫を急かした。
苛烈な戦場を生き抜いてきた義太夫が言葉に詰まった事がその後に語られる内容を表していた。
「害が家族へ及んだ」
「…
「いや、それよりも卑劣だ」
「なに?
「聞きたいのか
「…やめとけ
「そうかもな…でも聞かせてくれ」
「おいおい、別に聞かなくてもいいだろ」
「いや聞く。
「せっかく忠告してやってんのに相変わらず可愛げのねえ女だな」
「なんだ
「ちっ…もう
(
喜助の忠告を断った早雪の真意は現実と向き合う覚悟にある。慶一郎はそう思った。
現在の世が泰平ならば早雪の父である
その日が差し迫っている事を感じている早雪はこれ迄よりも注意深く徳川の世に対する見極めをしようとしていた。
発生から既に十年程が経過している事ではあるものの、徳川による治世が確りと為されていれば当時の吉岡道場の関係者に起きた悲劇は避けられたのではないか?
幕府のある江戸や
早雪はそう考えたが故に、その悲劇が何なのかを詳しく知ろうとした。
「では話そう。我輩が聞いた話では───」
義太夫が語った内容は
ある者は妻子を人質に取られた末に空手による切腹を強要され、妻子の目の前で自らの腹の肉を手で引き裂き、
尚、介錯とは、切腹を行う者が長く苦しまずに死に至る様に腹を切った後に首を斬るなどの止めを刺す事である。健康な人間の
この切腹した農民は介錯なしの切腹を自らの手指で行い、死ぬまでの間ずっと家族の前に晒され続けたのである。
腹を裂いた農民の様に妻を人質に取られた者は多くいた。
親と妻を人質に取られ、親を殺すか自らの妻を殺すかの選択を迫られた末にその者の親が自ら舌を噛み切ったことで涙ながらに親を殺した者、反撃をする度に子を打つと脅されて自身よりも遥かに実力の劣る者に負け、屈辱の中で子の前で死に至った者など、それらは一対一は愚か多勢に無勢でも勝てない者達が行った事だった。
これら以外にも似た様な卑劣な行為が行われたが、その
その場にいながら家族を救えなかったという悔しさ、家族の前で自身が悶え死ぬ姿を晒さなくてはならないという痛み、吉岡潰しを行った者は
そうして門下生が激減した吉岡道場には当初から身を置いていた武士達のみが残り、その時を見計らった様に次々と他流派からの刺客が訪れた。それらの刺客もまた正々堂々とは立ち合わず、相手取る吉岡側の者の家族へ手を出す事を匂わせた上で一切の反撃を許さない
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