第123話「少女」

 慶長十九年七月四日。


 秀頼ひでよりと分かれた慶一郎けいいちろう喜助きすけは宿へと戻って一眠りした後、昼には大坂を立とうと荷物を纏めて先日の河豚ふぐ料理の一件があった店へ向かっていた。この店へ行こうと云ったのは慶一郎であり、先日の食事代を払うと共にこの数日の間に店で異常が起きていないか確認するという目的もあった。

 二人が宿を出たのは既にの刻が終わろうかという時刻であり、昼前の大阪は一日朝晩の二食文化であった当時にも拘わらず飯屋に多くの客が入り、行き交う人々の顔にも活気が満ちていた。


(初日から感じていたが、この地は豊臣のお膝元という事など関係なく単純に人々の活気に満ちている。他とは明らかに異なる町の雰囲気がそうさせているのかも知れないな)


「きゃっ!?」


「む!?…おっと、すまないな。少々考え事をしていた故に避け損ね…早雪さゆき殿!?」


「あ?早雪さゆき?まさか…!?」


ってえなもうっ!どこ見て歩いてんだこのタコ!美形だからってなにしても許されると思ってんじゃねえぞ!」


(少女?しかし、今の気配は早雪さゆき殿と…)


 慶一郎は自身とぶつかった拍子にその場で尻餅をついた相手を早雪と云ったが、そこには十歳前後とも思われる少女がいた。

 その少女は自らぶつかって来たにも関わらず慶一郎を怒鳴り付けた。


「ぶっ…ぶわはははは!確かにこのガキの威勢のよさは早雪さゆき並みだぜ!つか慶一郎けいいちろう、お前一晩で鈍臭くなったか?こんなガキを早雪さゆきと云ったり、考え事してたとはいえ人にぶつかるとはねえな。くく、にしてもよく似てらあ。おいお嬢ちゃん、ほらてえ出しな。起こしてやるよ。…あでっ!てめえなにしやがんだ!」


「バカにすんなっ!アタイは女だ!お嬢ちゃんでもガキでもねえ!ふざけたこと云ってるとぶっ殺すぞ!このデカブツ!」


 少女は自らに手を差し伸べた喜助の右手を蹴り飛ばし、すぐに立ち上がると逃げる様にしてその場から去った。尚、七尺あまり義太夫ぎだゆうに比べるとかなりの差があるが、五尺八寸程の身の丈を有している喜助はこの時代では十分なである。


「なっ!こら待ちやがれ!っと、今はそんな暇ねえな…それにしても何一つとして可愛いげのねえガキだったな。ありゃあ大人になっても嫁の貰い手に苦労するぜ。なあ慶一郎けいいちろう、お前もそうおも…ありゃ?あいつどこに行きやがった?まあいいや。先に店に行ってりゃ来んだろ。ん?…あの野郎…!!荷物全部置いていきやがった!くそ!俺は荷物持ちじゃねえんだぞ!」


 気がついた時には慶一郎はその場から消えていたが、喜助はそれを特に気にする事もなく先に店に行って待つことにした。喜助が気になったのは慶一郎が刀を含めた自身の荷物を全て置いて行った事により、それら全てを自分一人が持ち運ばなくてはならないという事実のみだった。

 一方、消えた慶一郎はというと…


「はぁ、はぁ…やっりい!やっぱ狙うならいなかもんに限る!バレねえし平気でたけえもん持ち歩くしな!ふふ、重量おもさこそねえけどこの装飾なら中身は相当良いもんが入ってそうだぜ!」


「随分と楽しそうですね。一体何の話をしているのですか?」


「あん?なにってそりゃあお前、いなかもんからスったもんの中身の話に決まっ…ってうわあ!!?おおお、お前!?お前がなんでここに!?」


「ふふ、残念ですね。られた瞬間ときに気付いていましたよ。金子きんすならいざ知らず、それは盗られては困りますからあなたを追い掛けて来たのです。さあ、それを返してください」


 慶一郎は少女とぶつかった際にたもとから物を掏られていた事に気がつきながらも敢えてその場ではとがめず、去った少女の後を追って人目につかない神社の裏手に来ていた。その場で咎めなかったのは、往来の人目の多さと少女自身の心情が知りたかった為に二人きり、或いは喜助を含めた三人のみで話がしたかった為であった。

 結果として、喜助は少女の後を追った慶一郎の動きを見逃して後を追えず、少女と慶一郎は二人きりとなった。


「な、なにを云ってんだ!?こ、これはアタイんだよ!」


「ですがあなたは先程確実たしかに掏ったと云いましたが?」


「そ、そそ、そんなこと云ってねえし。これは拾ったんだ!拾ったもんはアタイのもんだろ!?あ、そうだ!し、証拠はあんのか!?アタイがこれを掏ったっていう証拠は!?」


「ふぅ…わかりました。仕方ありませんね」


「し、仕方ないってお前なにする気だ!?」


「………」


「な、なんだよ?アタイの顔になんか文句あんのか?なにされてもこれはアタイんだかんな!」


「…いえ、何もせずに去ります」


 慶一郎は屈んで少女と視線を合わせ、悲しげな表情かおで少女を見つめた後にそう呟いた。

 そして、身をひるがえすと天を仰ぎながら確実に少女へ聴こえる声量で更なる独り言を呟き始めた。


「はあ…義兄上あにうえ、申し訳ありません。あなたから斬り取った髪の毛を町中で落としてしまいました。怨むなら私ではなく拾った人物を怨んでください。私は必死に探したのです」


「え?髪の毛?まさか…ウソだろ……」


(ふふ、どうやら効いていますね)


 慶一郎は少女の反応を確認しながら更に大きな声で独り言を続けた。


「しかし義兄上あにうえ!例え今はあなたの髪がなくとも私は必ずや本懐を遂げるでしょう!ゆかりの深い社へと納めて欲しいとの義兄上あにうえの想いを私は重々承知しておりました故、あの髪には名高い呪師じゅし呪詛じゅそを込めて貰いました!それはそれはとても強力な呪いです!…なので数刻もすれば拾った者は全身のあなというあなから血を噴き出して怪死し、その騒ぎが広まれば私は自ずと義兄上あにうえの髪を取り戻せましょう。それ故に私はただ待てばいい。待っていれば義兄上あにうえの髪を持つ者の怪死体が見つかり騒ぎとなる。焦っても仕方がありません。なので私は一先ず飯を喰いに参ります」


「の、呪い!?…ウソだろ……これの中身ってまさかその…ひいっ!!?」


 少女は手にした絹製の布袋の中身を見た瞬間に小さな悲鳴を漏らし、それと同時に布袋を地面に落とした。その袋の中には髷が結われた状態ままの一束の髪の毛が入っていた。

 これは慶一郎が斬り落とした秀頼の髷であり、慶一郎はそれを京都にある豊国ほうこくびょうに納める様に秀頼から頼まれていた。

 豊国廟とは、豊臣とよとみ秀吉ひでよしの遺体が埋葬された墓であり、廟の周囲には絢爛なやしろ豊国ほうこくしゃが存在していたと云われているが、これらの廟と社は大坂の陣で勝利した家康いえやすの手によって破壊されている。尚、現代に残されている豊国廟はその破壊された跡地を大規模改修して再建造した物である。


「おや?ありましたね。こんな所にいました。よかったよかった」


 そう云いながら慶一郎は布袋を拾い、袂へと仕舞った。その様子を見ていた少女は呪いという言葉に怯えているのか、あおめた顔をして慶一郎に聴こえぬ程の小声で何かを呟きながら微かに震えていた。


「…ああ、気にしないでください。今の話は殆ど嘘ですから。ふふ、私の独り芝居は如何でしたか?その様子ですと騙されたみたいですね」


「なっ!?…お、おお、お前ーっ!!ふざけんなっ!!真剣ほんきで呪われたかと思ったじゃねえか!!」


 少女は顔を紅く染めて怒鳴りながら慶一郎を睨み付けた。


「はは、そう怒らないでください。それに先に偽りを述べたのはあなたですよ」


「えっ!?そ、それは……」


「…何か事情があるのでしょう?私で構わなければ話を聞かせて貰えますか?」


 慶一郎は優しい微笑みを少女へ向けた。

 だが、少女は何も云わずに下を向くだけだった。


「まあいいでしょう。人には様々な事情があるものですから。ところで、あなたはどうしますか?」


「は?どうってなにがだよ?」


「飯の話ですよ。さっき云ったでしょう、私は飯を喰いに行くと」


「アタイにはかんけーねえだろ…」


「そうですか…これを礼として御馳走しようと思ったのですが、関係ないと云われてしまったならば仕方がありません。では、機会があれば再びお会いする事もあるでしょう」


「ちょ、ちょっと待った!」


「はい?」


「そ、そんなに礼がしたいならぞ!」


「ふふ、そうですか。ではそうさせてください。さあ共に参りましょう」


 慶一郎は袂に入れた布袋を指し示しながら礼がしたいという口実を与え、少女はその口実に乗った。それは、普通に誘ってもそれに乗るとは思えない少女に対する慶一郎の気遣いであり、少女もまた言葉くちでは尊大な物云いをしていたものの素直にその気遣いを受け入れていたという証だった。

 これが、早雪と似た気配を感じさせる少女と慶一郎との出逢いだった。

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