第106話「羅刹の剣士」

 慶一郎と喜助が食事をしていた店の中に響いたその声は大坂をまもる任務を全うせんとする役人が発した声だった。


「この店にて禁止されている河豚料理を振る舞っているという情報が入り、実情を確かめに参った!!今すぐ真偽の確認を致す故、全員動かずその場にて待機せよ!!店主はどこだ!!」


(なんたる偶然だ…大坂入りした直後に偶々たまたま入った喰い物屋でとして頼んで出された物が禁制の河豚料理で、それを喰っている最中に手入れが入るとは…どうする?外には通行人の気配以外は感じないから役人は中にいる四人だけだが、理由もなく役人を斬るわけにもいくまい。…喜助きすけ殿と共に逃げる事は容易たやすいだろうが、そうなれば他の者は捕まるだろう。河豚食は捕まれば問答無用で死罪だ。……そもそも河豚を喰う行為ことがそれ程の重罪とは私には思えん。河豚以外にも毒を有する喰い物はいくらでもある。この様な事で人が死罪となるのを黙って見ている事は私には出来ぬ)


「……おい慶一郎けいいちろう


「…なんですか?」


 この状況でどう行動するのが最善なのかを考えていた慶一郎に喜助が話し掛けた。その時喜助は慶一郎にとって思いよらぬ事を口に出そうとしていた。

 それは…


「お前も喰え」


「!?……失礼ですが喜助きすけ殿、状況を考えて発言してください。今はそれどころでは…」


「バカ野郎、考えてるからこそだ。俺らと奴らとはまだ距離がある。だから今のうちにを消しちまうんだよ。喰い尽くしちまえば証拠はやみの中だろうが」


「!!…ふふ」


喜助きすけ殿は本当に奇妙おもしろいな。喰い尽くしてしまえば河豚はなくなってしまい、真偽は闇の中…的を射ている様にも大きく外れているにも聞こえる…だが、それでいい。私は深く考え過ぎていたのかも知れない。この出来事は偶然の重なりによって起きた事…思いもよらぬ物事を思い通りにしようとするのが間違いなのだ。この場は……)


「笑ってねえでさっさと喰え」


「ええ。では、早々に証拠を消してしまいましょう」


 喜助と慶一郎は四人の侍が近づく前に出されていた河豚料理を喰い尽くした。

 そして、他の客とのやり取りを終えた侍達が慶一郎達の所へやって来た。


「おいお前ら、何を食っていた?」


「あぁん?何ってお前、めしだよ飯。一日に朝晩の二食しか喰っちゃならねえって規則きまりはねえだろ?だから俺は朝晩に加えて自由すきな時間にもう三食、一日五食は喰ってんだよ。ま、それには金が掛かるから普段いつもは大したもんは喰っちゃいねえが、今回は遠路遙々はるばる大坂へと着いたからな。飯屋で飯喰ってたんだよ。飯屋で飯喰う事に文句あんのか?」


 江戸時代後期迄は戦場での武士や重労働者を除いて一日二食が主流であった。

 尚、現代社会に於いて一日三食が好ましいとされているが、その理由は『食糧難を脱して飽食時代が訪れた為に食糧を節約する必要がなくなった』、『二食では経済が発展しないために一日三食が推奨された』などの説があるが、三食が好ましいとされた真の理由やその根拠はわかっていない。


「だからその飯はなんだったのだと訊いている!!貴様まさか河豚を食したのではあるまいな!?」


「河豚だあ?なんだそりゃ?そいつはうめえのか?」


「河豚が美味びみか否かなど関係ない!!貴様は河豚を食ったのか!?それとも食っていないのか!?」


「さあな。何喰ったかなんて知らねえよ。…そんで、もし俺がそれを喰っていたとしたら何だ?ふん縛って首をねるってのか?」


「喰ったならばそれも致し方あるまい。だが、どうしても河豚食を見逃して欲しいと云うならば……ほれ」


「ああん?てめえこりゃあどういう事だ?」


 役人の内の一人が着物の袖のたもとの中を喜助に見せる様にして腕を上げた。


(この男…なるほどな。河豚食禁止令は明国へ戦を仕掛ける折に起きた大量死がきっかけとして秀吉ひでよし公が発布したと聞いたが、それからずっとこの様な無茶苦茶とも云える法が改正も取り消しもされないのは、こういう輩が店を強請ゆする為…腐敗した役人の私腹を肥やす為に据え置かれているという事か。死罪を免れるとあれば多少の金銭は払うだろうからな。…無知な民の生命いのちを毒から護る事を目的として定めた法が民を苦しめるなどあってはならない……)


 慶一郎の考察はほぼ的中していた。二人がいた店に来た四人の役人は情報など得ていなかったのである。

 この四人は何の情報もなく店へ押し掛け、河豚を扱っているか否かの真偽は関係なく死罪になるという恐怖をちらつかせて店主と客を脅し、場合によっては偽の証拠をでっち上げる行為を繰り返していた。

 これは役人という立場にる者を取り締まる法が殆ど無かった為に起きた事であり、豊臣政権から徳川政権へと移行をしつつある中でが始まっている事を意味していた。


「鈍い奴だな。田舎者いなかものか?」


「おうおう。確かに俺は田舎者いなかもんだ。役人のなんか見せられても何も面白くはねえ」


「なにい!?」


「まあ待て。常識知らずの田舎者に教えてやろう。これはな…」


「助かりたかったら金を入れろという事。そう云いたいのだな?」


「おっ?そっちのお前はよくわかってんじゃ…うっ!?お前は!?」


「ひいっ!?」


「うわあっ!?」


 喜助と役人との会話に慶一郎が交ざった瞬間、役人達は慶一郎の顔を見て驚いた。


「し…しし、死神だ!死神慶一郎けいいちろうだ!!」


「お助けー!!」


「殺さないでー!!」


「お、おい待てお前ら!おお、俺を置いてくな!こ、腰が抜けて…ひいっ!!?」


「おいお前。這って逃げるのは構わねえが、その前に奪った金を返してからにしろ」


 腰を抜かして逃げ遅れた役人の肩を掴んたま喜助が笑顔でそう云うと、その役人は袂から客と店主から奪った金を出してそそくさと這い出ていった。


「ほ、本物の死神慶一郎けいいちろう…!?」


「あれが…悪鬼ですら道を譲ると噂されている千人斬り…!?」


「嘘でしょ…あれが本当に立花たちばな慶一郎けいいちろうなの?あんな細身で八ツ胴を…!?」


神業かみわざを以て死をもたらす神業使い…実在していたのか…!?」


「ら、が遂に大坂へ来た…!?」


 死神、千人斬り、八ツ胴、神業使い、そして、羅刹の剣士。

 店内に居合わせた者達が老若男女を問わず各々おのおのに慶一郎を称した。

 大坂では他の地とは異なる立花慶一郎の噂が流れていた。

 その噂とは…


 そのもの神業かみわざもっ万物ばんぶつもたら死神しにがみなり

 るうけん一夜ひとよにして千人せんにんり、一振ひとふりにして八ツ胴やつどうす…

 常世じごくよりでて現世ちまた悪鬼あっきらい、刹那せつな修羅しゅら宿やどす…

 修羅しゅらとなり、刹那せつなあたえし羅刹らせつけんあつかうそのものは…

 立花たちばな慶一郎けいいちろう

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