第89話「地下牢の秘密」

「っ!?今のは義太夫ぎだゆうのおっさんの声だよな…どっから聴こえたのかわからねえがおっさんに何かあったんじゃねえだろうな……」


 地下牢の通気孔を伝い、喜助きすけもと迄も義太夫の声が届いた。その声に何らかの異常があったと思った喜助は無意識に独り言を呟いていた。


「貴様!何も…ぐえ!」


「っと、あぶねえ危ねえ。義太夫ぎだゆうのおっさんを心配している場合じゃなかったな。…にしても広いな。上にある詰所の倍どころじゃねえぞこりゃあ……」


 喜助の侵入した地下牢はその入口がある詰所よりも遥かに入り組んでいて、遥かに広い空間がそこにあった。

 そんな中を喜助は出会った役人をことごとく気絶させながら先へと進んでいたが、目的である役人二人は一向に見つからず、ともただ一人として会えてなかった。


「うう……」


「お?なかなか根性あるじゃねえか。まだ意識あるなんてな。ちょうどいい、俺の質問に答えろ」


 当て身によって気絶させたと思っていた役人がまだ意識があったため、喜助は周囲を警戒しつつその役人に問い掛けた。


「おい、何でここには囚人が一人も居ねえんだ?ここは地下牢なんだろ?」


「ぐ……答えると思うのか…?」


「…思ってねえよ。じゃあ眠りな」


「ぐえっ!」


 喜助は必要以上の質問はせず、答えを強要せずに役人を気絶させた。

 だが、役人は何も答えずとも確かに応えていた。


「へっ、答えると思うのかって事は何かしら答えが在るって事だ。さて、その答えを探しに行くとするか」


 喜助は役人が持っていた縄で役人を縛ると更に奥へと進んだ。そして、暫く進むと地下牢はその姿を変え始めた。

 まず牢が無くなり、囚人を収容する様な施設ではなくなった。更に進むと壁や地面が手堀りの侭で一切の手を加えた痕跡が消えた。

 そして、それを更に進むと地面や壁剥き出しの岩となり地下牢でも地下室でも無い単なる地下の洞窟、即ち地下となった。


「…何だ?奥から音が……」


 地下洞の奥から反響しながら微かに聴こえる音を喜助の耳が捉え、喜助はその音を頼りに奥へと進んだ。幾重にも枝分かれしている洞窟内に耳を澄ませ、微かな音を頼りに進んだその先には喜助の想像を超越こえがあった。


「なっ!?こいつは…!?」


 そこには大きな空間があり、大勢の人々がいた。

 その人々はいわれのない罪により捕らえられ、囚人として地下牢へと収監された人々であった。尤も、喜助はその人々達を知らないため確固たる証拠はなかったが、互いに縄で身を繋がれて逃げられぬ状態にされているその姿が何よりの証拠だった。

 そして、その人々がそこにいる理由、それは誰に訊かずとも喜助の常人離れした嗅覚が的確に暴いていた。


「ケシの匂い…ここで阿片あへんを作ってんのか。ちっ!藩が町人を捕らえて無理矢理阿片を作らせてるってのかよ…くそが……」


 そこは阿片を作るための施設だった。

 阿片とは、罌粟けしから生成することが出来る麻薬の一種であり、その症状と中毒性から悪魔の薬、史上最悪のと定義されている。その一方で、同じ罌粟を加工して医学的に有用な鎮痛剤として利用する事も可能であり、それらは奇跡の薬、史上稀に看るとも認識されている。

 以前、慶一郎けいいちろうに腕を斬られた男達が斬られた腕の痛みを消すために用いたのもまた阿片であり、阿片にはそれを可能とする程のを有している。

 日本に於いて阿片は十八世紀初めに阿芙蓉あふようの名でその存在を知られ始めたとされているが、実際には阿片や阿芙蓉などの名こそ広まっていなかったものの、それより遥か以前に日本に広まっていたという説も多く存在している。日本と交流のあった諸外国では十一世紀頃には既に阿片の存在が広く知られていたのだから日本に於いても同時期に広まっていたとしても十分にあり得る話である。

 尚、喜助はうつろ、慶一郎は甚五郎じんごろうより阿片という薬物の存在とその魔について聞かされていたため、それが阿片であるとすぐに気がつき、義太夫は朝鮮出兵に同行したことがあるために阿片を知っていた。


「ここから見える兵の数は三十六人か…刀と槍の奴は近づいちまえば何とかなるかも知れねえが、火縄を持ってる奴が十二人…俺一人じゃ無理だな。奴らが火縄の扱いに長けてなくても一斉に撃たれりゃ流石に全ては避けきれねえ。せめて矢がありゃあな……」


「おイ、矢ならあるゾ」


「うおっ!?誰だ!?」


「バ、バカ!?大声を出すナ!気づかれるだロ!?」


「…思議しぎ!?何でお前がこ…むぐ!」


「大声を出すなと云ったゾ」


 喜助は突然現れた思議に驚いて大声を上げ、思議はその声で見張りの兵達に気付かれる事を憂慮して喜助の口を手で塞いだ。

 しかし、思議の心配は杞憂に終わった。

 二人がいるのは阿片を作る人々がいる場所よりも高い場所に位置する洞窟内の横穴であり、入り組んだ地形と極度に乾燥した壁に空いた無数の隙間が喜助の声を吸収しているため、同じ高さならまだしも高低差がある場所にいる者にはその声は届かなかった。


「……どうやラ、大丈夫みたいだナ。手を離すが騒ぐなヨ」


 その言葉に喜助が頷くと思議は口を塞いでいた手を離した。

 そして、喜助は一呼吸置いてから口を開いた。


「…すまねえ。まさかお前がいるとは思わなかった。…お前なんでここに来た?つかどうやって来た?」


「フフ。ワタシはあれからすぐにオマエを追って来たんダ。オマエの残したこの白粉おしろいの跡を辿ってナ。ソレより、ワタシの業を簡単に避けたオマエがドウしてワタシの気配は感じられなかったんダ?」


「……んなもん知るかよ。音もなく近寄って来やがって。吃驚びっくりするだろうが」


 この時、喜助は咄嗟に嘘をいた。それは「どうして気配を感じなかった」という質問に対する返答、「知るか」という言葉であった。

 喜助は自分が思議の気配を感じていなかった原因りゆう理解わかっていた。それは、感じなかったのではなく、からだった。

 薄暗い地下をただ単独ひとりで歩みを進めている喜助はを感じることだけに全てを注いでいた。慶一郎や空の様に他者の気配を感じることが得意であれば敵味方関係なく全ての気配を感じればよいが、喜助はそれ程の感覚は持っておらず、敵陣の真っ只中で自分独りしかいないとわかっているのにの気配を感じようとする程の余裕はなかった。

 喜助は既に思議の事を味方であると認識していたが故に手の届く距離迄に接近されても気がつかず、声を出されて初めて気がついたのだった。そしてそれは思議もまた同一おなじであり、喜助に対して敵対心がないために気配を悟られることがなかった。


「マアいいヨ。矢を持ってきやったゾ」


「ん?おおっ!助かるぜ!これなら火縄にも対抗出来る!」


 思議は八本の矢が一纏めにされた矢束を喜助に手渡した。それは、先を急ぐが故に気絶させた役人を縛るだけで大した探索もしていなかった喜助の後を追った思議が喜助のために探してきた物だった。


「デモ…数が足りなイ……」


「馬鹿云え。動きながらり合うんだ。八本もありゃあ十分だ。残りは矢を射ちながら近寄って倒す。……最悪の場合は気は進まねえが火縄を奪って使えばいい。火縄は加減が出来ねえから好きじゃねえがな」


 喜助の云う通り火縄銃は加減が出来ない。

 逆に云えば火縄銃は加減、即ち発車の際に力加減による技術が必要なく、弓矢を扱うよりも容易に人を殺せる。

 しかし、その火縄銃を用いて殺さぬことを狙った場合は当てる場所は弓矢を扱うよりも慎重に選ばなければならない。だが、弓矢の場合は扱う者に技術さえあれば放つ矢に力加減が出来る。

 これは火薬を用いて機械仕掛けで鉛のたまを発射する火縄銃と人の力で放つ弓矢の決定的な違いであり、それらは互いに長所であり短所でもある。


「オマエ!…ワタシも手伝ウ!」


「なに?…良いのか?」


「無論ダ。ワタシも目的があル。だからオマエに協力してやル」


「協力してやる、か。…ま、助けてくれるってんなら歓迎するぜ。だが、その前に…」


「何だオマエ?」


「いや、そのオマエってのやめてくれ。俺の名は喜助きすけよろこびをたすけるって書いて喜助きすけだ。そう呼んでくれ」


「何だオマエ、名がったんだナ。そうか、キスケって云うのカ。キスケ、一緒に戦ってやるゾ!」


「その云い方もなあ…まあいい。思議しぎ、お前自分の武器は持ってんだよな?」


「無論ダ。残り百二十二個あるゾ」


 二人は互いの目的のために共闘する事を決め、三十六人の兵に対して二人だけで渡り合うための作戦を練り始めた。

 その作戦の根幹は相手の射手、火縄銃を持つ十二人をどう倒すかにある。射手さえ倒せれば勝機が生まれるというこの状況に対し、喜助は初めて慶一郎と共に戦ったを思い出していた。

 それは、慶一郎と早雪さゆきの案内のために同行した日、僧祈そうぎ那由多なゆたという二人の子供が命を落とした山での事である。

 あの日は出逢ってまだ数日だった慶一郎と早雪が共にいて三人で戦った。そして今、喜助の横にはほんの少し前に出逢ったばかりの思議という女が居た。


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