第70話「決闘の末に」
その音はそれ程大きな音ではなかった。
「ぬえええええええいッ!!!」
「…ッ!!」
「なっ!?やめろ!!
それは一瞬の出来事だった。
慶一郎と義太夫、二人の決闘は義太夫がたった一撃を放ったその刹那に終わった。
「………なぜだ?」
「…何故、とは?」
「なぜ避けん?なぜ受けん?なぜ動かん?なぜそれ程の凄まじい気を放ちながら
慶一郎は開始の合図と共に自身に迫る義太夫の放った唐竹の振り下ろしに対して微動だにしなかった。
この決闘、慶一郎が取った唯一の手段は気を放つ事であり、慶一郎自身は不動だった。
それに対して義太夫は放った一撃を慶一郎の頭上で寸止めにした。寸止めと云うには近過ぎる位置で止められたその刃と慶一郎の頭との距離は
仮にこの義太夫の一撃が完全に振り下ろされていたら慶一郎は死を免れなかった。義太夫は喜助の云った通りに振り下ろす瞬間に刃を返していたが、義太夫の
しかし、慶一郎は義太夫の一撃が振り下ろされた後も微動だにしなかった。
「これは
「………よく云うわ、この
「買い被り過ぎですよ、
「我輩を信じただと!?貴殿は我輩に命を預けたのか!?むははははは!!よし!!決闘は終わりじゃ!!戻って呑もう!!」
義太夫は心の底から笑った。それは潮の死を認め、死を含めた潮の生を
その笑いを引き出したのは紛れもなく慶一郎の不動である。命懸けにして命賭けなその不動という行動が義太夫の
人が死んだという事実は何をしようと変わることはない。だが、それを理解した上で拒みたくなるのが人間である。況してやこの時代はその事実を確かめるのも一苦労であり、誰かの死を時間が経過してから知る事が多かった。また、死を偽る策もあるために確信がなければそれを受け入れない事も間違いではない。
そして、どれ程の確信があったとしても、死人が生きていた頃の姿のみを知り、死んだ後の姿を見ていない以上は簡単には割り切れぬのもまた人として仕方がない事である。
「おいこら
既に決闘の幕を閉じた二人の元へ走ってきた喜助が慶一郎を怒鳴り付けた。その理由は慶一郎の放った殺気だった。
まるで
「…
「なにいっ!?つかおっさん!あんたもあんただ!
「まあまあ
「なっ!?
その後も喜助の怒りは暫く治まらなかったが呑み屋に戻る頃には落ち着きを取り戻し、三人は呑み直すことにした。
そして…
「むははははは!さあさあ皆の衆、どんどん
「フハハハハハ!俺は
(まさか
喜助と義太夫は近くにいる全ての者と意気投合して祭りの様に騒ぎながら呑んでいた。
「むははははは!よいぞ
「おうよ!それじゃいくぜ!全員で呑み比べだあ!」
喜助に声を掛けた義太夫は慶一郎の元へ近付くと正面へ座った。
「ふっ、
「
「うむ。……それで、
「………」
どうだった…
その端的にして深い言葉に、慶一郎はすぐには答えられなかった。
慶一郎と潮が知り合ってからそう長い時間は経過していないものの、その短い間で慶一郎は潮という男の
慶一郎は暫くの沈黙の後に口を開いた。
「熱いひと…最期まで熱い
「そうか…奴は熱いまま
「ええ…私も叶うことならば男として人として熱く生きたい……」
男という言葉は慶一郎の決意であり、人という言葉は慶一郎の迷意であった。
慶一郎は
(父上…私は男に
慶一郎は心の中で父である甚五郎と母である
「熱く、か。…慶一郎よ、貴殿は貴殿らしくあればよいのだ。我輩の
「!!…はい。その通りです。ありがとうございます、
(そうだ…私は私だ。
「むははは!礼を云うのは我輩よ!我輩を信じていたというあの言葉、実にありがたかったわ!…
「…それでは、一杯だけ頂きます。む…この
慶一郎が受け取った酒坏は丼飯が
「むはっ!気にするな!それよりも呑んでくれるのか!?あの時には下戸と云っておったが、なんたる天恵じゃ!ほれほれ、グッといけい!」
「はい!……えっ!?」
酒坏に注がれた酒を一息に呑み干した慶一郎は驚きの声を漏らしていた。
(味が…ほんの僅かだが味を感じる…この味は血の味とは違う…これが本来の酒の味、なのか?)
「どうした?やはり無理だったか?無理なら吐いてきても構わん。すまなかったな」
「あ…いえ、そうではありません。ただ少し驚いただけです。…それよりも
「むうっ!?
「…酒はこちらにあります。失礼ながら勝手に拝借しました。酒を
慶一郎は義太夫が気付かぬ内に右手で持っていた酒を奪い取り、義太夫へ返杯を受けるように促した。
「むおっ!?これは
「ああああーーーーっ!!ずりいぞてめえらっ!!二人だけで楽しみやがって!!俺も混ぜろっ!!」
「…
「あん?何か云ったか?」
「いえ、たまにはこうして酒を呑むのも悪くはないと云いました。ふふふ」
「おう!それだ!その
この日、慶一郎は久し振りに酒を呑んだ。
その酒は以前独りで呑んだ頃の様に匂いだけが感じられて全く味の無い液体でも血の味のする透明な液体でもなく、ほんの僅かではあるものの酒本来の味を感じる事が出来た初めての酒だった。
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