第54話「凄絶な死」

 慶一郎けいいちろう早雪さゆき喜助きすけの三人はまだ信繁の目覚めを知らず、起きて早々に信繁を見舞いに行く支度をしていた頃だった。

 潮は慶一郎達へ伝えに行くことをせずに三人が見舞いに来るまで信繁と語り合って待つことにし、医者の男はまだ開いてもいない酒屋へ酒を買いに行っていた。

 信繁の目覚めを慶一郎達へしらせる者は誰もなく、三人は誰一人としてその出来事を知るすべがなかった。

 それは、信繁の心魂こころが死の縁より生還してから僅か四半刻も経過していない時刻の出来事だった…


「…はぁはぁ……もう一度訊く…貴様らは何者だ?…ぐぅ……なぜこんな真似を…いや、なぜここを……」


 潮は溢れる血反吐ちへどを呑み込みながら目の前の大男に問いかけた。

 全身を血で真っ赤に染め、血塗られた刀を手にした潮の目の前には身の丈七尺近い大男がいた。

 潮と大男の周囲には四体の死屍があり、潮の後方には両脚りょうあし脹脛ふくらはぎに刀の程の太さがあるとげの付いた管の様な物を突き刺された信繁がおり、その信繁の右手には刀が握られ、周囲には二体の死屍があった。

 座る信繁の脹脛を布団諸共に貫き、畳の奥深くまで突き刺さっているその管は信繁の身動きを封じ、きず口からは絶え間なく血が流れていた。

 数分前、二人は突如現れた黒装束をまとった七人の集団に襲われた。

 この七人の内の一人が潮の前に立つ七尺近い巨躯を有した男であり、他の六人は部屋に転がる死屍達である。

 その者達は、大男を除いてその者達の性別すら判断出来ぬままに信繁と潮へと襲い掛かり、大男を含めた五人が潮へ、残り二人が手負いの信繁へ一斉に凶刃を向けた。

 黒装束の集団は皆総じて強く、集団での共闘にひいでていた。

 その中でも大男は、共闘こそ他の者よりも劣っていたが、長柄の斧を巧みに操り、その巨躯に似合わぬはやさと巨躯に見合った力強さを兼ね備えた強者もののふだった。

 その大男に加えて四人、一挙に五人を相手した潮は苦戦し、信繁はその身に刻まれた創により思うように動けず、立ち上がる間も無く両脚の脹脛を貫かれた。だが、潮は肢体からだに多くの創を負いながらも大男を除いた四人を斬り、信繁は脹脛を貫かれて身動きが取れぬ状態ままで相手の持っていた刀を奪い、二人を斬った。

 七人の内の六人を殺した二人だったが、その犠牲は大きく、潮は既に満身創痍であり、信繁は座した状態ままで動けなくなっていた。


「ドケ…オマエニヨウハナイ…ドケ!」


「むうっ!!…ぐううう!!」


 大男は斧を右から左へ振って潮を身体ごと薙ぎ払おうとしたが、潮は刀を握る右手の峰に左の二の腕を添えて受け止めた。

 大男の一撃は鋭く疾く、そして何より重かった。

 受け止めた潮の全身の骨がきしみ、口からは腹より喉を伝ってきた呑み込めない程の量の血反吐が溢れ、肢体からだに出来た真新しい創からは鮮血が噴き出した。


「ムグウン!ンムガア!」


「うぐう!!ぐはっ!!」


 男が更に二度薙ぎ払うも、潮はその場から微動だにせず、二度共にそれを受け止めた。

 大男が一撃を放つ度、潮は全身全霊の筋力と胆力、現状で発揮出来る力の精一杯すべてを振り絞ってそれを受け止め、その度に口と肢体から血を噴き出している潮の姿はまるで、肉体から生命いのちそのものを削られ、それを噴き出しれているかのようだった。

 しかし、それでも潮はそこを動くわけにはいかなかった。

 潮がそこから退けば信繁は一瞬にして大男に斬り殺される。前へ出て大男を退けようにも満身創痍の潮にはそれを的確に為せる程の余力はない。

 それ故に潮は大男と信繁の間に立ち、ひたすら耐えていた。


うしお、もういい……」


 潮の後方にいる信繁が云った。


うしお、お前だけでも逃げろ……」


 その言葉は確かに潮の耳に届いていた。

 しかし、潮はそれを聞かず、聴こえぬふりをした。

 大男は何度も繰り返し斧を振った。

 その度に耳をつんざく斧と刀の衝突音と衝突した後でせめぎ合う、金属と金属が小刻みに擦れ合う様な金属音が響いていた。

 その渦中に在る潮の背中、その後ろ姿に向けて信繁は語りかけた。


うしお、このままではお前も俺も共に死ぬだけだ…もう俺を見限れ、うしお…この男を相手に俺という足手まといがあっては慶一郎けいいちろう達が来るまで持たん…頼むうしお、せめてお前だけでも生きてくれ……」


 この言葉の直後だった。

 潮の扱う刀から鈍い音がした。

 それは、刀が折れる前兆を告げる音だった。


「ぐっ……源二郎げんじろうおおお!!…がああああああッ!!!」


「ムグウッ!!!」


 潮が斧を受け止めている刀に込めていた力を一瞬弛緩ゆるめて信繁ともの名を叫んだ。

 その瞬間、潮の刀は弾ける様にして砕け散った。

 受け手を無くした強大な力は一気に横へと流れ、大男の身体が僅かに揺らいだ。それと同時に潮は前へ出た。

 前へ出た潮は揺らぎながらも斧を振る大男の攻撃を辛うじて掻い潜り、折れた刀で大男の喉を突き刺そうとした。だが、潮のその一撃は空手からてになっていた大男の左腕により防がれた。

 潮はそれに怯むことなく勢いのままに大男の喉元へ噛みついた。

 次の瞬間だった…


うしおォーーーッ!!!」


 その鈍い音は、信繁の声とほぼ同時に部屋の中へ響いた。

 まるで青々とした唐竹の中に堅い木材を詰めた棒が無理矢理し折られた様な、そんな鈍く渇いたが信繁の耳に届いていた。

 自らの耳に届いた音、自らが発した声、その二つの音が交錯した瞬間から交錯を終えた瞬間まで、信繁の眼は潮の姿を捉え続けていた。

 二つの音が交錯した瞬間、潮の頭と胴は人として不自然な向きへ折れ曲がった。

 二つの音が交錯し終えた瞬間、潮の頭と胴は人のままではいられない方向へ完全に折れ曲がっていた。

 一瞬前、まだそれらが真っ直ぐだった時、潮は刀の崩壊と共に自身の肉体に死が訪れようとしていることを感じた。

 その刹那、潮は尽き掛けている自身の生命いのちを賭して前へ出た。

 折れた刀による渾身の一撃を防がれた潮が、、大男に対する武器として選んだのは肉体そのものだった。

 そして、潮は大男に対して最後の武器による一撃を喰らわせた。

 それは、心魂こころ肉体からだ生命いのち全部すべてを込めた全身全霊の一撃だった。

 その一撃は大男の喉元を的確に捉え、潮の歯は肉を深く抉り、おびただしい血が大男の喉から噴き出した。

 しかし、潮の生命いのちの最期の灯火ともしびと云える一撃を受けた大男は、自身の喉へ喰らい付く潮の頭と胴を掴むと力任せに首の骨を圧し折った。

 信繁は潮の首の骨が折れるその音を確かに聞き、その瞬間に信繁は潮の死を感じた。


「ムガアアアアアア!!ガアアアアアア!!グガエエエア!!」


「こ、これは…!?」


 潮の死を感じた信繁は悲しむ暇もなく自らの死を意識した。

 その時、死を身近に感じた信繁の眼前には信繁自身にも信じ難い光景があった。

 信繁の眼は一切の脚色をすることなく、一切の先入観を挟むことなく、それを視た侭に脳へ届けていた。

 信繁が視た光景、それは…

 首が折れ曲がり頭と胴が人として不自然な形状かたちとなったにも関わらず、未だに力衰えることなく男の喉元へ噛みつき続けている潮の後ろ姿であった。


うしお!?…くっ!!」


「ウゲウガッ!?!?」


 


 信繁はそれを知っていた。それをわかっていた。

 信繁は潮に喉元を噛みつかれて悶えている大男に向け、渾身の力を込めて持っていた刀を投げた。大男はそれを防ぐことも避けることも出来なかった。

 信繁の投げた刀、放ったその一撃は大男の左目に深く突き刺さると後頭部の頭蓋骨にぶつかって止まり、大男はその勢いのまま後方へ倒れた。

 これは、普段ならば防がれる可能性の高い攻撃だっだが、この時はそうではなかった。

 潮が喉元へ噛みついていたことにより大男の動きは鈍く、信繁は確信を持ってそれを実行した。


「くそ…うしお…くそ………!!」


「…阿轟アゴウマデラレルトハナ…ダガオナジコト…ワレワレガテセイカイダッタナ…」


 首を折られた後で尚も戦い続けたとも、その凄絶な死様しにざまに涙を流す信繁の前に四人の人間が立っていた。

 その四人は、今倒したばかりの大男や他の六体の死屍と同じ様に全身に黒装束を纏っていた。

 男とも女とも判断出来ない声とその身形みなりによりその者達の正体はわからなくとも、信繁はそれが自身の生命いのちを奪いに来た刺客だとわかっていた。

 武器もなく、身動きも取れない信繁は為す術がなかった。


「……ふっ、俺の生命いのちもここまでか………すまんうしお…どうやら俺もすぐにそっちにいかねばならんみたいだ……」


 そう云うと信繁は、僅か数秒前に視た潮の最期の姿を思い出す様にして瞼を閉じ、自身に死が訪れるのを待った。


「キヒヒ…シネ!」


 そして、刺客の一人が手にした刀を信繁に振り下ろした…

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