第39話「豊臣の血を継ぐ者として」

 カチン………


 早雪が殺意込めて短刀の柄を握り締めた時には既に頭目の男の頭は宙を舞っていた。

 男の胴と頭は二つに分かれ、断面から飛び散る血飛沫ちしぶきが地面を濡らす音が辺りに響いていたが、早雪の耳には男の首をねた者が刀を鞘に納めた音、その音が確かに聞こえた。

 それは、悲しい音だった。


慶一郎けいいちろう殿…!!」


 男の首を刎ねたのは慶一郎だった。

 慶一郎は早雪ののを感じ取り、早雪の身体からだが殺意によって動くよりも先に男を殺した。

 慶一郎は早雪の意思気いしきが動作となるより先に男の剄部を斬り、胴と頭を二つにった。

 男の首を刎ねた慶一郎の刀には一滴の血すら付かなかった。刀に一滴の血が付着することもなく慶一郎はそれをおこなった。

 そして、早雪がそれに気がついた時には慶一郎は既に刀を鞘に納めていた。

 その時の音、刀を鞘に納めた時に生じる微かな金属音だけは早雪にも捉えられていた。


早雪さゆき殿、あなたはこの者を殺すべきではありません。この者はもっと早くに私が止めるべき者だった…この者を殺すこと、それもまた私の宿命だった。それだけの事です」


 慶一郎は早雪の表情から早雪の云いたいことを察し、訊かれる前にそれに答えた。

 早雪は何も云わなかった。

 早雪は何も云えなかった。

 早雪は自らの心の怒り、悲しみ、痛み、それら全ての想いを慶一郎が背負おうとしてくれていることを感じていた。

 そして、慶一郎は自らが首を刎ねた頭目の男の想いですら背負おうとしていると早雪は感じた。


(あなたの抱いたその怒り、その想い、豊臣の血を継ぐ者としてこの胸に確かに刻もう…あなたの行い、その非道、それは全て豊臣の血を継ぐ者として私が背負おう…あなたの行い、その罪は消えない…しかし、あなた自身の背負う罪、それはあなたが死人しびととなったこの瞬間に全て消えた…せめて死人として、怒りも悲しみも無念も全て捨てて、安らかに眠るがいい……)


 かつて、豊臣とよとみ秀吉ひでよしの下に集まり、豊臣家のため、そして世の中のために侍として、そして人としてこころざしを抱いて生きていた男は、秀吉の死後に起きた戦により志を失った。

 豊臣家の生き残りのために反逆者として豊臣家から切り捨てられ、豊臣家と世間に恨みを抱きながら山賊へと身を落とし、人として道を外れた。

 そして、その男は豊臣の血を継ぎながら豊臣家として生きてこなかった豊臣とよとみ慶一郎けいいちろうの手によって死人になった。

 それは、男が現在の豊臣家から切り捨てられる前に信じていた豊臣家、その主君である豊臣秀吉の血を継ぐ者として生きる覚悟を決めた慶一郎が初めて行っただった。

 本来、殺人という行為に意味はない。

 結果として何らかの意味が生まれることがあったとしても、殺人という行為そのものに何も意味はない。

 特に、慶一郎にとって人を殺すという行為は死合しあいなどによる命のやり取りの先にあるに過ぎなかった。

 死合をした以上は負ければ死ぬ。相手を殺そうとしているのだから相手に殺されて死ぬことは極当たり前の成行なりゆきであり、慶一郎はその殺人という結果に何の意味も抱いていなかった。

 何の意味も抱いていなかったからこそ、慶一郎は人を殺して生き長らえてきた自分自身に懊悩おうのうしていた。人を殺した結果として慶一郎は生き長らえ、懊悩し続けてきた。

 しかし、この時は違った。

 慶一郎は明確な意味を抱いて男を殺した。

 慶一郎が男を殺した時に抱いた意味、それは断罪であり、贖罪であった。そしてなによりだった。

 男の犯した罪は豊臣の罪であり、豊臣の血を継ぐ者として慶一郎自身の罪でもあると考えた。

 その罪を背負い、殺した者の意志を背負うという覚悟。

 慶一郎は初めて殺人という行為に覚悟と意味を持ってそれを行った。

 無論、慶一郎自身には何も責任はない。

 しかし、慶一郎は豊臣が男に与えた影響、豊臣の世が衰退したことで男に与えた影響、それらを全て背負う覚悟を決めてから男を殺した。


かしらァァァァ!」


「ぐううううう…」


「ぬおおおおお…」


 三人の山賊が声を漏らしていた。

 それは、首を刎ねられて死屍しかばねとなった頭目の男と共に豊臣家に切り捨てられた者達だった。


「お前ら何を悲しんでやがる!お前らは誰が見ても外道だろうが!他人を散々苦しめてきたんだ!殺されても仕方がねえんだ!お前らも俺がすぐに殺してやる!」


 鬼助はそう云いながら縛られた男達に近付こうとした。

 その時、頭目の男が死んだことにも感情の起伏を示さなかった五人が逃げようとした。

 しかし、その五人は次の瞬間には肉塊になっていた。


「………今さら逃げようとしても遅い…」


(追い詰められて逃げるくらいなら最初はじめから死合などするべきではなかったんだ……)


 逃げようとした瞬間、その五人を慶一郎が斬っていた。

 その殺人には意味はなかった。

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