第65話 私の本当の名前

「まずは、助かった、と言わせて」


「えっと……」


 どういうこと?

 いきなり襲ってくると瞬時に判断し、その場から弾かれるみたいに飛び退いて。

 クルリと身を翻して、その途中で杖を拾って身構える私に、向こうの私がいきなり礼を言って来た。


「……何が?」


 ひょっとしたら、会話で隙を作る気なのかもしれない。

 その可能性を考えて、なるべく考えないようにして返答した。


 彼女は何もする気配がない。

 全く身構えず、私との距離も詰めようとはしないで。

 ただその場に立って、こちらを見据えている。


 対峙する私と私。


 そして、向こうの私は私の問いに答えて来た。


「その人を止めてくれて」


「は?」


 なるべく考えないようにして聞いたから、我ながら間抜けな声が出たと思う。

 いや、聞きようによっては感じ悪い?


「その人がそうなったの、私の責任なのよ」


「……どういうこと?」


 思考せずに聞いてるから、言い方が刺々しいし、感じも悪い。

 やや罪悪感めいたものがあったけど、私はそれを握り潰した。


 そんなことを気にしてる場合じゃ無いもんね。


 だってこの私は……


 混沌神官の側近をしている。

 それもとびきりヤバイ奴の。


 闇の、凶悪な人間の配下になってる。

 そういう人間。


 どんな恐ろしい意図をもって私の前に現れたのか。


 そんなの、分かったもんじゃない。

 油断できないよ。


「その人、出会ったときは洗脳状態で、まともな感情が無かったの」


 言ってる彼女……もうひとりの私は、辛そうな、悔しそうな口調でそう言って来た。

 言い訳がましい、と罵られるのを恐れているような、そんな言い方。


 洗脳状態……?

 それでどうして、ああなったの?


 自分の妹の今の主人の命を狙ってくるような?


 ……おっといけない。

 考えるのは危険だ。


 知りたいなら、言わせるべき。


「……それでどうしたの?」


 そしたら、彼女は言ったよ。


「私の上司にお願いして……」


 神の奇跡の「呪言の奇跡」で、心のままに動けるようにしてあげた。


 ……会話しちゃいけない。この子の話の内容を思考してはいけない。

 そう、自分に言い聞かせていたんだけど。


 思わず、言ってしまった。


「そんなの、上手く行くわけ無いでしょ!」


 どうしてそんなことくらい予想できないのか。

 ほとんど脊髄反射。


 それぐらい、オバカすぎるというか。

 本当にこの子、もう一人の私なの?

 そう思えた。


「あなた、本当にもうひとりの私なの!? なんとなく直感でそれを納得してたから何も言わなかったけど、今、とても信じられなくなった!」


 そう言葉を叩きつけると、もうひとりの私の表情が歪む。

 目が吊り上がり、睨みつけるように。


「なんですって!?」


「だってそうでしょ!? あなた、サイファーがどんな神なのか全く分かってない!」


 彼女は言った。

 自分の上司にお願いして「呪言の奇跡」を使用したって。

 それで「心のままに動け」って。


 それはつまり……


「サイファーは法を否定する邪神でしょ!? それが「心のままに」って言われたら当然「エゴもそのまま出せ」ということになるに決まってるじゃない!」


 ……そう。

 神の奇跡「呪言の奇跡」は。邪神である混沌神に祈り、呼び掛ける形で行われる。

 この私が言った、彼女の上司は「究極混沌神官・自由王フリーダ」

 サイファーの加護を受けた究極の混沌神官だ。


 つまり、祈る相手はサイファー。


 だったら、その「心のままに」の範囲が、エゴにまで拡大するのは当然だ。


「人間、好みの異性が居れば相手の意思を無視して関係を持ちたいって思うものだし、目の前に大金が放置されていたら、持ち去りたいって思うのが自然よ!」


 そういうことを、ほんのちょっとでも思わない人間が居るはずが無い。

 いや、居るかもしれないけど、まず居ない。

 私はそう思う。


 でも、大半の人はそれを実行に移さない。

 理性があるからだよね。


 私は続けた。


「そしてサイファーはそれを認める神! そんな神にそんなお願いをしたら、そうなるに決まってる!」


 ……私はなんとなく、今回の件の構図を理解した。

 セイリアさんは、エゴを抑えられないように呪いを掛けられたせいで、暴走したんだ。

 理由はハッキリとは分からないけど、オータムさんを殺してしまいたいと思う何かがあって、それを抑えられなかったんだ、と。


 大事に至らなくて良かった。本当に良かった。


 ……だから、許せなかった。

 この、私を。


「でも! フリーダはそんなことはしない!」


 そんな私に、彼女は言い返してきた。

 必死の形相で。


「フリーダは人間もどきの命は奪うけど、お金は奪わないし、正義感だってある!」


 だから?

 何が言いたいの!?


「私は呪いを掛ける人間の選定を間違えただけ! やり方自体は正しいのよ!」


 ……は?


 私は言葉を失った。


 そんな私に、彼女は続ける。


「あなたはサイファーが邪神だって言ったけど、それは単に大半の人間が邪悪だから結果的にそうなるだけよ!」


 私に指を突き付けて。


「あなたこそ分かってない! そんな邪悪な人間に、無差別に法なんてものを神のお墨付きで与えるとどういうことになるか!?」


 ここで、彼女の表情が歪む。

 怒りだ。


「法を悪用するクズが、自己の欲望を正当化して好き勝手やることになるだけ! あなたこそ、あんなことがあったのに何故それが分からないの!?」


 ……あんなこと?


 私は理解できなくなった。

 この私は、一体何のことを言ってるんだろう?


「……あんなこと?」


 私は思わず、呟くように言ってしまった。

 それを、彼女は聞いていて……。


「あ……」


 そう、我に返ったように真顔になり。


 そして


「……そういえば、変な名前を名乗ってるから、前の記憶が無いんじゃ無いかと予想してたけど、やっぱり、その通りだったんだね」


 にやあ、と酷く怒りと、蔑みと、哀れみが混じったような顔で嗤ったんだ。

 私を。


「それに記憶があったなら、新しく家族を作ろうなんて考えないもんねぇ……そんな、パパとママを捨てて新しい家族を作ろうなんて……」


 声にも怒りと、蔑みと、哀れみ、そして悲しみが含まれていた。


「クミって名乗ってるんだっけ? 頭の文字を1字忘れてるあたり、今のあなたを象徴しているみたいで面白いわよね」


 その目は、裏切り者を見る目だと思った。

 私を、糾弾していた。


「……何があったの?」


 ……恐怖を覚えた。

 肉体的な、命の危険じゃない。


 もっと、自分の存在に関わるような危険。


 でも、聞かずにはいられなかった。


 すると。


 彼女は、黙った。

 黙って、私を睨みつけた。


 よくもまあ、そんなことが言えるね。

 その目は、そういうことを雄弁に語っていたよ。


 どのくらい、そうして私を睨んでいただろうか。


 やがて、彼女は答えてくれた。


「……いいわ。教えてあげる」


 彼女は語りだした。

 薄笑いを浮かべながら。


「まず、私たちの本当の名前は『道本徳美みちもととくみ』H県立H高等学校の2年生」


 道本徳美……トクミ。


 だから「頭の文字を1字忘れてる」

 そういうことなの……?


 彼女の言葉。

 辻褄があってた。


 そして、それが無かったとしても。

 私には嘘と思えなかった。


 でも、そんなことは大したことじゃ無かった。

 続く言葉。


 それが、私にはとても、とても……


「私たちはね……」


 その言葉が耳に飛び込んできたとき。


「私たちはね、殺されてこの世界に来たの。こういうの『異世界転生』って言うんだっけ?」


 ころ……された?

 私、前の世界で殺されて、死んでこっちの世界に来た……の?




「なんで殺されたの……? どうして……? 私、何に巻き込まれたの……?」


 その言葉を口にできるようになるまで。

 私はだいぶ時間が掛かったように思う。


 だって……信じられなかったもの。

 トラックにはねられたとか。

 階段から落ちたとか。

 そういうのだったら、何も驚かなかったのに。


 ……殺された……。


 どういうこと?

 家に、強盗でも入ったの?


 そしたら。


 帰って来た返答で、私はさらに絶句した。


「……人を殺したからよ。30人以上は殺したかな」


 え……?


 人を……殺した……?


「前の世界にも異能みたいなものがあってねぇ。私たちはその異能使い。こっちでいうところの」


 私の顔を見ながら、何故か嬉しそうにこの私は語った。

 ……その笑みは、どこか自虐的に見えた。


「その異能で、周辺住民を無差別にたーくさん殺したわ。そしたらどっかから殺し屋が派遣されてきて、その人たちと戦闘になって、討ち取られちゃったのよ」


 くるくる。

 手を広げて、回って。

 おどけたようにして話す。


 とんでもない内容を。


 ……どうして


「……どうして……そんなことになったの?」


 前の世界の私は、殺人鬼だったの?

 周辺に住んでる人を無差別に殺すなんて……!


 呻くようにそう言ったら、彼女は答えてくれた。

 ほぼ、即答だった。


 まるで、その言葉を待ってたみたいに。


「パパとママを自殺に追い込まれて、私の家族を破滅させてくれたからよ」


 私の、大切な家族を!


 この私は、その言葉を血を吐くような声で吐いた。




 この私が語った内容は、理不尽極まりない話だった。


 元の世界の私は、父と母と私の3人家族。

 県内そこそこの進学校に通う、高校生だったんだって。


 普通の家族だった。

 いや、両親の仲はすごく良かったそうだから、普通より良い家族だったと思う。

 私は両親が大好きで、憧れだったらしい。


 でも。


 何故か、私は祖父母というものを知らずに育った。


 それが何故なのか。

 それを、高2の年に知ることになった。


 私の血縁上の父方の祖父は……広域暴力団の会長だったのだ。


 父と母はそれを私に隠していた。

 私にまともな人生を歩ませるために。


 父はそのせいで苦しい人生を歩んできたそうだ。

 父方の祖母は、血縁上の祖父がごろつきであることに気づくと同時に縁を切ったから、物心ついたときから父に父親は居なかった。

 そして父の母親は……つまり私の父方の祖母は、女手ひとつで父を育てるために働き過ぎて、父が独立すると同時に過労死した。


 そんな自分の出生の秘密を知っていた父は、結婚のときにも苦しみ、母と何度も相談をして、覚悟を決めて一緒になった。

 そんな2人だったのだ。


 仲が良いのはそのせいもあったのかもしれないと思った。話を聞いてて。


 でも……


「その血縁上の祖父が、組ごと皆殺しになってね」


 その広域暴力団に向けられていた憎悪が、私の家族に向いたのよ。

 パパとママは何もしていないのに。


 そして、パパもママも、自殺に追い込まれた。

 ママは死ぬ直前、ママの方のおじいちゃんおばあちゃんを頼ってくれって言ったわ。


 幸いお金の心配は無いから、そこで成人するまで育ててもらいなさい、って。


 でも、私は我慢できなかった。


 すべてが敵に見えて……家の外に出て、そのときに目覚めた異能で、出会う人間を片っ端から殺戮した。

 そしたら、殺し屋がやってきて、戦闘になって、倒されて、死んだ。

 そういう結末よ。


 向こうの私が語る、凄まじい話。

 そんなの嘘よ、って言いたかった。


 ……言えるものなら。


 聞いている私は、この私の話を納得してしまっていたのだ。

 この話は真実だ、と。

 だから、言えなかった。


 そんなの嘘だ、って。


 何故って……


 別にね、実感があるから、じゃないんだ。

 この私の話、自分の話であるとしか思えないとか、そういうのじゃない。

 だって、全く覚えて無いんだもの。


 でも。


 そうじゃなくて。


 思い出したんだよ。


 そういえば、って。


 ……そういえば。


 この世界で目覚めたとき、私、自分の記憶が全部消えてることに関して「不安だ」「嫌だ」「なんとか思い出したい」って思わなかったなぁ、って。


 それが何でなのか。

 それは、私が異様にポジティブだから……いや、そうじゃないんだ。


 きっと……


 忘れてしまいたい、辛くて、不都合な記憶が全部消えてしまって嬉しい。


 そういうことを、私の潜在意識が知ってて。

 だから、平気だったんだよ。私。


 ……ようやく、分かった気がする……!

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