4章 破滅したくないから気持ちを育てなきゃ。

第22話 壊れるのは一瞬なんだよ?

 朝、目が覚めると、隣にサトルさんが寝ていた。


 ……いや、別に同じ布団じゃ無いんだけどさ。

 布団は別々ですよ?


 隣に敷いた布団で、彼は毛布を蹴飛ばしながら寝息を立てていた。

 私は枕元に置いておいた丸眼鏡を掛けた後、それを彼を起こさないように直す。


 風邪ひいちゃうでしょ。


 先日私はサトルさんと結婚したので、彼の家に引っ越してきた。

 個人の部屋は、サトルさんの亡くなったお母さんが使ってた部屋を使わせてもらってて。


 寝るときは彼の部屋で一緒に寝てる。


 ……同室で寝起きするのが重要だって。

 どっかで聞いた気がするんだよね……


 どこだろう?


「夫婦は所詮他人だから、絆の維持には同室の寝起きが大事なの。寝室を別にすると徐々に心が離れていくわ」


 ……また、例によって顔の見えない大人の女性に、そんなことを言われてる様子を思い出し、すぐに忘れてしまう私。


 布団をきっちり直してあげて、寝顔を見ていると確かに彼への思い入れのようなものが湧いてくる気がする。

 思わず洩れてしまう微笑み。

 こういうことの積み重ねが大事ってことなのかな?


 

 ……ああ、ちなみに。


 私、まだ彼と夫婦の営みというやつをしてません。


 越してきた日の夜……


 新婚初夜か。

 だったら、求められるかも……?


 そう思ってて、緊張してたんだよね。

 布団並べて一緒に寝ながら。


 でも、何もなくて。

 未経験のまんま次の日の朝を迎えたとき。


 んん?と思いました。正直。



 これが政略結婚なら分かるよ?

 でも、そうじゃないじゃん?


 サトルさんから私に「どうか奥さんになってください!」って言ったから、私がそれを受諾して結婚したわけじゃない?

 なのに、なんで求めてこないの?


 いや、求めて欲しいってわけじゃないんだよ?

 私の方がしたくて我慢できないとか、そんなわけじゃないんだよ?


 ただ単に、理解しがたいだけ。


 だって、私に「女」を求めて無いなら、何で求婚したの?って話。

 私の人格が気に入ったと言ってくれるなら、それだったら結婚する必要ないわけで。

 友達で十分じゃん。


 ……まぁ、一個だけ可能性は思い当たってるんだけど、どうなのかな?

 ありえるのかな?


 私の方から「同衾したい」って言ってくるまで待つって。


 初夜のとき「この生活に慣れるまで同衾は待って欲しい」ってサトルさんに言ったんだよね。

 でもサトルさん、別に「舐めてんのか」「ふざけんな」とか言わなかった。

 本心はどうなのか分からないなと思いつつ、私は甘えて別布団で寝たんだけど。


 そこから「まだ結ばれるには早い」って思って、手を出すのは控えてくれてるってこと?


 ……この世界としてはどうなんだろうか?

 この世界、妻は夫の求めに絶対に応えないといけないとか。

 そういうの、あるのかな?


 前の世界なら、夫婦間のレイプも成立するし、妻が夫の求めに応じないのも許されたはずだけど。

(まぁ、それが離婚の原因にはなるようですけど)


 この世界はどうなのか?

 でもこればっかりは他人に聞くのは躊躇われるなぁ。


 女の子相手に話せば女の子、返答に困るだろうし。

 男の人相手だと、サトルさんが恥をかくかもしれないし。


 聞けないよ……。

(まあ、それ以前に性の営みについて他人に話すのがハードル激高なんですけどね!)




 サトルさんの布団を直した後。

 私は夫婦の寝室兼サトルさんの自室を出て。


 炊事場に顔を出した。

 そこにはすでに人が居て。


「おはようございます。お爺様」


「おはようクミさん」


 ……サトルさんのお爺様。サトゾウさん。

 呪いでやられていたときも、炊事はお爺様がしていたらしく。

 そのせいかもしれないね。


 あの呪いで、完全には壊れなかったの。


 で、私がこの家にお嫁に来た後も、まだ炊事の役を継続してくれてて。

 嫁に来た私としても、この家のやり方を学ぶために、しばらくついてもらうことにした。


 ……今朝は先を越されてしまった。

 良くないなー;


 目覚まし、無いもんなー;

 この世界;


 お爺さん、炊事の準備にすでに取り掛かってて。

 なんともいたたまれない気持ちになってしまう。


「……起きるの後になってしまってスミマセン」


 昭和の日本だったら絶対叱責受けてるよなぁ……

 家の嫁が最初に起きてご飯の準備を始めないとか、ありえんだろ、って。


「ええて。ええて」


 サトゾウさん、笑顔。

 私が希望通りサトルさんと結婚してくれたことが嬉しいらしい。

 ……この状態を維持したいから、ちゃんとしないとなぁ。私。


 そのうち曾孫を期待されちゃうのかなー?

 いや、それを「嫌だ」なんて言うのはいくらなんでも妻の座に収まっておいてワガママなのは分かってるけどさ。

 子供が出来にくいってのはしょうがないにしても。

 ハナから作ろうともしないっての。

 サトルさんちヤマモト家の血を絶やしたいです、って言ってるのと一緒だし。

 いくらなんでも、ねぇ……?


 ヤマモト家の一人息子のサトルさんの奥さんになった時点で、それは確定事項でしょ。ある意味。

 そのためにも、このままじゃいけないよねぇ……。


 頭の中で思考しながら、朝ごはんの準備をする。


 新しくご飯を炊きながら……

 昨日の残りご飯を全て、ほうじ茶で煮込む。


 ほうじ茶で煮込まれた残りご飯は、お茶の粥のような状態になっていき……


 これを、新しく炊いたご飯の上にかけて、漬けてある大量の漬物と一緒に食べるのだ。


「チャガユ」っていうご飯らしい。

 サトルさんちの朝ごはんの定番なんだって。


 作るの楽だし、美味しいんだよね。

 お茶漬けとテイストかなり近いし。

 都合は良いんだけど、炭水化物×炭水化物。

 栄養学的にはどうなんだろう?


 お漬物あるからいいのかな?

 ……これは、誰かに相談した方がいいのかもしれないなー。


 頭の片隅で考えながら、ご飯を炊く作業を続ける。


 慣れたもんで、今ではすっかり炊飯器無しでご飯を炊けるようになった。

 セイレスさんに任せっきりが嫌で、たまに勉強させてもらってたのが役に立つとは……。


 オータムさんの家に居た経験、役に立ってるなぁ……


 異能の修行をさせてもらえただけでなく、実質花嫁修業まで受けさせてもらえた、ってこと?


 ……うん。久々に言うかもだけど。

 私、やっぱり運が良い。




「いただきます」「いただきまーす」


 ヤマモト家一家勢ぞろいして朝食開始。


 私の隣に、私の旦那さんであるサトルさん。

 正面に、サトルさんのお父さんのサトシさん。

 サトシさんと私の間の、左手側にサトゾウさん。


「あ、親父。武具関連の研ぎ依頼は俺が全部やっとくから。それでいい?」


「……じゃ、頼むぞ。失敗すんなよ? お客さんからの預かり物で、商売道具なんだからな?」


「任せといてよ。俺がいい加減な仕事したことなんて一回も無かっただろ? ……まあ、実力足りてなくて失敗はあったけど」


 サトルさんとお義父様は食事しながら仕事の話をしてる。

 二人とも、同じ工房で仕事してるから当然かもだけど。


 なんだか、男の会話って感じで、聞いてて気持ちいいな。


 私は思わず顔がニヤけていたようだ。


「クミさん、嬉しそうだね」


 それに気づいたサトルさんに、そんなことを言われてしまったから。


 研ぎの仕事は、研ぐ対象を自分の身体の一部と認識できるところまで対象物と意識的に一体化する。

 そこが大事なんだ。


 ……一緒に住むようになって、彼に仕事について聞いたとき。

 そう、真剣な顔で答えてくれた彼は正直にかっこよいと思った。


 仕事に打ち込んでる男の人ってやっぱりカッコイイよ……。




 その後、午前中に家事を済ませて、私は仕事に出た。

 一応、結婚前と同様に働くことは認めてもらってる。

 何も、不満は無い。




 その日、一日の仕事が終わって帰ってきたら事件があった。


「クミさん、これで服を作って欲しい」


 ちょっと遅くに帰宅してきたサトルさんが。

 そう言って、綺麗な反物を数個、私に渡してくれたんだ。

 主に緑系。


「えっと」


 別に今日、結婚記念日でも誕生日でも無いんだけど?

 結婚してまだ1年経ってないし、私の場合、誕生日がそもそも分からないし。


 それなのに……


「高かったでしょう?何でこんなものをくれるの?」


 彼に聞いたら


「クミさんに着てもらいたいからに決まってるだろ」


 ちょっと照れ臭そうに言ってくれる。

 私の機嫌を取ろうとしてくれてるの? でも……


「受け取ってやってはくれんかな」


 その様子を傍で見ていたお義父様が、フォローに入ってくれた。


「お義父様。でも、いくら夫婦でもこんなもの理由もなしに貰うわけには……」


 私がややパニック状態になりながらそう言うと。


「男の稼ぎは、女房と子供のために使ってこそ価値がある。自分のために使うお金は汚い、って僕はこいつに教えて来たんだ」


 僕自身も親父にそういう風に教えられてきたし、これはこの家の伝統だな。

 悪いが受け取ってやって欲しい。こいつはお前に良いものを着て欲しいんだよ。


 ……じーん、と来た。そっか……そんなに大事に想ってくれてるんだ、って。


 それにじーん、と来たんだ。来たんだけど……。




 その日の晩、いつものようにサトルさんの部屋……つまり夫婦の寝室で一緒に寝ながら。

 私はこんな夢を見た。




「キミ、カワイイね。キミみたいにカワイイ子は見たこと無い」


 勤め先の甘味処に、ある日ものすごいイケメンが現れて、私にそう話しかけてくる。

 それはもう、アリ中のアリ。私の好みドンピシャのイケメンだ。


 正直、ちょっとドキっとしてしまう私。

 すでに結婚しているのに。


「はぁ、ありがとうございます」


 相手がお客さんだからと、私はそうお礼を言って対応する。

 邪険には出来ないし。


 そのイケメンからのアプローチ、それだけでは終わらなくて。

 その後も


「ここで働いて長いの?」

「働きぶり、真面目だね」

「立ち振る舞いが清楚だ」

「え? 結婚してるの? 旦那さんは幸せ者だよね」


 そのイケメンに褒められまくって。


 私自身、まんざらじゃなくなってきて……


 ある日、店が終わった後、「友達とご飯を食べてくる」とサトルさんに嘘を言い、私は彼と会った。


 燃え上がる恋心に夢中になり、一緒に食事をして……


 そのまま、連れ込み宿に一緒に入り、激しく彼と愛し合う。


 彼は慣れているようで、この世で最高の快楽を与えてもらい。


「はぁ……女に生まれて良かったと思いますぅ。最高に気持ち良かった」


 夫でない彼の腕の中で、生まれたままの姿の私がうっとりとそう気持ちを口にしていたら。

 私の隣で私を抱いているイケメンが、耳元でこう囁いた。


「……へえ、そんなに良かったんだ?」


「ええ」


「旦那さんより?」


「もちろん」


 ……そこで、はたと気づいた。


 私を見下ろしている誰かが居ることに。


「……そっか」


 サトルさんだった。

 彼は、諦めと、寂しさ、悲しみが入り混じった複雑な表情で。


「さよならだね。離婚だ」


 背を向けて歩き出す。


 私は慌てて


「待って!違うの!」


 浮気の彼との行為の跡を隠すように、大事な部分を手で覆い隠しながら


「何が違うんだよ。俺以外とそういうことをする女とは夫婦では居られない。お別れだ」


「出来心だったの!気の迷いなの!だから許してよ!ごめんなさい!!」


 ……サトルさんは一度も振り返らずに居なくなった。


 いつのまにか、イケメンは消え。


 素っ裸で、その暗黒空間に取り残される私。


 その暗黒空間に、また人影が現れる。


「……クミちゃん。あんなに良くしてくれた旦那さん裏切って、浮気しちゃったんだ? ……人よりも獣に近いヒトだったんだね」


 私の一番の友達。蕎麦屋で働いている純な女の子。センナさん。

 彼女は、冷たい目で私を見る。


 そして、そんな人影は他にも居て。


「見下げ果てたわね。自由恋愛がしたいのであれば、そもそも結婚するべきじゃ無かったんじゃないの?」


 ゴミを見る目で、黒衣の絶世の美女。オータムさん。


「クミ様……いや、獣人クミ。あなたのお世話をしたことは、私の人生の汚点です」


 同じく道端の汚物でも見るような目で、私を見下ろすセイレスさん。


 知ってる人が全員私を糾弾する。

 とんでもない浮気女、獣人、悪鬼だと。


 ボロボロ泣いた。

 泣いたけど、誰も許してくれなかった。


 私、馬鹿だった……!

 一時の恋心を抑えられなくて、自分で自分の世界を壊しちゃったんだ……!!


 どうしよう……どうしよう……!

 頭を抱え、蹲る。


 するとそこに


「旦那以外に股を開いた牝豚はどこかなぁ?」


 ……誰かの声が声がして。


 振り返ると。


 黒いセーラー服を着て、ものすごく見事なプロポーションを持った金髪の女の子が立っていて。

 顔は良く見えないんだけど、目が赤い光を放ってて。

 両手が激しく発光していた。


 直感で分かる。


 あの手、刃物だ、って。


「牝豚、みぃつけた♪」


 女の子は両手をクロスさせて突っ込んで来る。


 ……殺される!!


 同じく直感で理解した私は、裸のまま背を向けて走り出そうとするも。


「……逃がすかよッ!」


 そんな私の前に、瞬時に回り込んで来る女の子。

 女の子の輝く手が振りかざされ


 次の瞬間、私の五体はバラバラになった。


 ……そこで、目が覚めた。




「……夢で良かった」


 布団の中で、私はガタガタ震える。

 隣を見る。


 サトルさんは、普通に寝ていた。

 私の事を好きで居てくれて、結婚しても「釣り上げた魚に餌はやらない」って態度はとらず、気にしてくれるサトルさん。

 そんな彼を裏切るなんて、人としてありえないし、正直そんな奴が居たら「死んでしまえ」って思うよ。


 ……でも。


 人間、意思の制御を志だけで完全制御できるなら、世の中不摂生で病気する人も居なければ、犯罪だって起きてないはずだよね?

 私だって、わかんないよ?

 もしかしたら、やっちゃうかもしれない……!!


 でも、そうなったら、私は全てを失う……!


 どうすればいいんだろう?

 彼を絶対に裏切らない自分を作るためには……?


 私は考え込んだ。

 だって、死活問題だよ!?

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