第49話 遠慮します

 ブルペンに到着すると、まずはジミーが中に入っていった。

 私たち二人は、廊下から中を覗き込む。


「いらっしゃらなかったり、ご迷惑だったら諦めないといけないわよね」

「そうよね」


 私たちはひそひそとそんなことを言って、ジミーの姿を見守った。


「あ、殿下ー」


 ジミーが手を振っているのが見える。

 いらしているのだ。


「なに?」


 殿下の声がする。なんだかドキドキしてしまって、私は自分の心臓の上を手で押さえた。


 私はもしかしたら、殿下の投球が見たいというよりは、殿下のお姿を拝見したいという気持ちのほうが大きいのではないかしら、という気になってきた。

 だとしたら、キャンディも殿下の球を見たらいいのに、だなんてとんでもない欺瞞ではないかしら。

 キャンディのために、ではなくて、自分のためだ。

 やっぱり私は強くなんてない。


「コニーちゃんとキャンディちゃんに、投球を見てもらっていいっすか」

「ああ、構わないよ」


 そう殿下の声がして、ジミーがこちらに振り返り、私たちを手招きで呼んだ。

 私たちはおずおずと中に足を踏み入れる。


 昨日と同じように、ウォルター殿下は入り口に一番近いところのマウンドに立っていた。


「やあ、コニー嬢、それにキャンディ嬢。よく来たね」


 片手を上げ、にこやかにそう言う。

 私たちは慌てて頭を下げた。


 ジミーはすでに防具を装着にかかっている。

 用意できるまでの間、殿下がこちらに歩み寄ってくださって、そして私たちの前に立ち止まった。


 いけない、頬が熱くなってきた。

 ラルフ兄さまにも、ジミーにも、すぐに気持ちがバレてしまったのだから、私は感情が顔に出るほうなんだろう。

 気を引き締めないと。

 私は背筋を伸ばして、きゅっと唇を結んだ。


 殿下は困ったように眉尻を下げて私たちに言う。


「ちょっと今日はすでに球数を使っているから、あまり投げられないんだけれど、それでもいいかな?」

「えっ、あっ、もちろんです」

「わがままを言って申し訳ありません」


 私たちは二人してペコペコと頭を下げる。

 見せて欲しい、だなんてお願いは、もしかしたら負担になったのだろうか、と冷や汗が出る。


「いや、大丈夫だよ。むしろ見て欲しいから」


 にこにこと笑って殿下がそう返してきたから、私は胸を撫で下ろす。


「それに明日から、本選までちょっと忙しくてね。ちゃんと見てもらえるのは今日が最後だと思う」

「まあ」


 本選まであと五日。なにか諸々の準備があるのかもしれない。


「そんなお忙しいのに」

「いや、だから来てくれてよかった。あと何球か投げてから終わろうと思っていたし、ちょうどいい。気にすることはない」

「できたっす」


 防具を着けたジミーがこちらにやってくる。そしてネットの下のほうを持ち上げてくぐり抜けていきながら言った。


「じゃあ、ストレートとスプリットだけ。魔球は見ないほうがいいかもしれないっすから」

「そうだね。三球ずつってところかな」

「ういっす」


 ウォルター殿下はマウンドに戻っていく。

 そしてストレートを三球。スプリットを三球。

 私たちに見せてくれた。


「本当。ストレートは速いし、伸びてくるわ。スプリットも落ち方が鋭い。見れてよかったわ」


 感心したようにキャンディがうなずいている。

 マウンドを降りた殿下はこちらに歩み寄り、にこやかに言った。


「どうかな。参考になった?」

「はい、ありがとうございます!」


 明るい声でキャンディが言う。


「ありがとうございました」


 私も頭を下げてそう言った。

 殿下は満足そうにうなずいている。


 けれど、キャンディがおずおずと手を上げて言った。


「あの、訊いてもよろしいでしょうか」

「どうぞ?」


 殿下は少し首を傾げて答えた。

 それを見てキャンディは、ちらりとブルペンにいた他の投手へ視線を移すと、また元に戻して口を開く。


「腕を頭上に上げてから投げられる方もいらっしゃいますよね。どうして殿下はそうされないのですか?」

「ああ、ワインドアップ?」

「はい、あの……個人的な都合で申し訳ないのですが、腕を上げられたほうが、なんだかリズムが取りやすいというか……、これから投げるんだなってわかりやすいのですけれど」


 殿下はキャンディの言うことに、小さくうなずいた。


「ワインドアップでも投げられるよ」

「そうなんですか、ではよろしければ」

「けれど私は、そっちのほうが球速が出るし威力もある。どうする?」

「あ、じゃあ遠慮します」


 即座にキャンディがそう答えて、周りにいた人たちから小さな笑いが洩れる。


 けれどそうすると、疑問が生まれる。私は思い切って訊いてみた。


「じゃあどうして試合でワインドアップで投げないのですか?」

「身体を大きく使うからかコントロールが安定しないんだよね。あと、盗塁される危険性が高くなる。それから手元を隠しにくいというのもあるかな」


 腕を組んで、ため息混じりで言う。


「私は、ワインドアップのほうが好きなんだけれど」

「そうなんですか」

「そっちのほうが、かっこいい」


 にこにこしながら、殿下が言った。

 失礼だろうけれど、かわいいな、と思ってしまう笑顔だった。

 そして今でも十分素敵なんだから、ワインドアップならもっと素敵なんだろう。見てみたい、という気になった。


 私の顔に視線を移したあと、殿下はうーん、と斜め上を見上げて言った。


「今回はランナーもいないし、投げる球も決まっているし、ワインドアップでもいいか」

「遠慮します遠慮します!」


 キャンディが顔の前で何度も手を振って慌てて拒絶する。

 周りにいた人たちが、ははは、と声を出して笑った。



*****


球速が出るし威力もある・・・実は理論上は、ワインドアップしたからといって、球速や球威に影響はないそうです。

けれど実際、ワインドアップのほうが球が速くなる! って言っている人がたくさんいるのだから、なんらかの影響はきっとある。気分とか。ノリとか。


そして声を大にして言おう。

ワインドアップはかっこいい。

あと名前もかっこいい。変身するときの掛け声っぽい。

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