第5話 事を引っ掻き回す存在

「じゃあ、久しぶりに会えるってワケだねェ」


 本から発せられるむっとした香りの中、イルヤが小声で言った。サクヤも素直に喜んでいる。自分達の状況など全く関係がないらしい。


 やがて子ども達は想定通りにやってきた。隠し部屋からはせいぜい音と振動しか感じられないが、軽い足音がいくつも聞こえてきたことですぐに分かる。

 計画を実行に移す時を計り、イルヤが合図をしようとした瞬間だった。その上げた指先がぴくりと震える。


「全員揃ってないみたいだなァ」

「どういうことですか?」


 口の端が釣り上がる。尖った耳で何かを捉えながら、「足りない」と呟いた。

 子ども達が囁き合う、息の零れる音が届く。壁に阻まれて輪郭を失いがちなそれを、彼は聞いているようだ。


「女の子が遅れてくるから、キルイェが入り口で待ってるみたいだね」


 人間の聴覚の比ではない。彼が聞いた限りによれば、メンバーの一人がまだ到着していないらしい。


「宿屋の女の子、か。微妙だなァ」


 えっ、と呟きそうになり、ラクセスは慌てて唇を噤んだ。あそこまで強硬な姿勢を貫いていた主が見せる迷いに戸惑った。サクヤが応える。


「いないなら、すぐにでも始めましょうか?」


 一体二人は何の話をしているのだろうか。

 記憶を探れば該当の少女が思い当たるけれども、ただの子どものはずだ。確か、名前はディーリアと言ったか。イルヤ達にとっては格好の標的の一人だろうに。


 しかし、問いかけても無意味だと判断した。

 とにかくその少女が計画の重要な位置を占めていることさえ把握出来ただけ、マシというものだろう。


「もう少し待って、全員揃ったら計画実行……でよろしいですね?」


 確認をし、三人は更に待つことになった。隔絶された世界で時の経過を感じさせてくれるのは、大きくなったり小さくなったりする子ども達のはしゃぐ声や音だ。

 ラクセスは妙な安堵と同時に、迫る様々な緊張を持て余してもいた。あと少しで全てに決着が付く。それだけを考えようと必死だった。


「ん?」


 しかし、計画とは綻び始めると簡単に加速するものらしい。ようやくキルイェが戻ってきたと思われる足音が響いたと思ったら、今度はやけに騒がしくなった。


『なんでヨソモノなんか連れて来てんだよ』

『いいじゃない、私の友達なんだから』


 はっきりと聴こえるほどの音量で激しく言い争っている。内容から察するに、宿屋の少女が他の誰かを連れてきたことが、キルイェは気に入らなかったらしい。


『勝手なことするなよ!』

「“勝手なこと”ねェ」


 イルヤは口の端を吊り上げた。矛盾した台詞だと言いたいのだろう。仲間を裏切り、「勝手」をしているのは彼自身なのだから。

 それとも、だからこそ語気が荒々しくなるのだろうか?


「これも一つの自白……懺悔なのかしらね」


 赦す赦さないの範疇から遠いところでサクヤが言う。実際に彼に裏切りの罪を負わせたのはこちらにも関わらず、冷笑を浮かべたままなりゆきを見守っていた。

 のどを潰しそうな勢いの言い合いはしばらく続いた。それでも次第に双方疲れを見せ始め、声のボリュームが落ちていくのは当然の流れだった。


『そこまで言うんだったら俺が確かめてやる。仲間にふさわしい奴かをな』


 最後に聞こえてきたのはキルイェのその言葉で、あとは子ども達のばらばらという振動が壁伝いに感じられるだけだ。おそらく新メンバーの出迎えをするのだろう。


「一人増えるだけのようですね」


 口論は気になるが、子どもが一人増えただけなら支障はない。ラクセスは胸を撫で下ろしていた。

 子ども達が口論の末に出て行ってしまうという事態が防げたのだ。ほっともする。


 ただ一つ気になるのは、イルヤの表情だった。またしてもその瞳の奥に何かが閃いていた。



 相変わらず少ない情報の中で「新入り」の声が聞こえた瞬間、ラクセス達は今置かれている本当の状況を知ることになった。


 屋敷に足を踏み入れたその子どもはキルイェ達の歓迎を受け、予想に反してすんなりと馴染むことが出来たようだった。

 耳を疑ったのは、その子が発した内容である。


『イリスだよ。よろしくね!』


 まさか、という呟きが口の中でけて消えた。主を見遣ると、彼はさも面白そうに笑っている。聞き間違いではない。


「どうして、こんなところに……!」


 説明の付かないことが多過ぎる。

 ラクセスの記憶している限り、イリスとはルーシュの妹の名であったが、城で大切に育てられ、今まで外に出たこともない箱入り娘のはずだ。


 その令嬢が一人きりでこんな場所に現れるなどと誰が予想出来ようか。けれども、このタイミングで同名の別人とも思えない。


「何が起こっているのかしら?」


 ラクセスの中では、計画はすでに破綻しているも同じだった。

 秘密裏に事を運び、最後の締めとしてこの屋敷にやってきた子どもを捉える予定だったのに、ここでイリスを巻き込めば、完全に引き返せなくなる。


「もっと面白いことになったねェ?」


 主から笑みは消えないどころか、瞳の奥の光は増すばかりだ。そこにやがて、事態を決定付ける人物が訪れた。イリスを探しに来た従者である。


 イルヤ達がこれで諦めてくれればと願った。状況は不利の一途を辿っており、賭けに出て良い目を見そうな局面でもない。

 ……と、彼がぽつりと呟いた。


「諦めようか。他の子は、さ」

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