第9話 再びの消失
部屋を隈なく捜索したが、見付かるわけも無かった。
「……キルイェ?」
もしやと思い、取って返すと、少年は未だに玄関扉と格闘していた。ほっと胸を撫で下ろす。
目の前のことに夢中になっていたキルイェも、二人がいないことを告げると驚いて振り返った。
「なんだって? どうして」
「分からない。『ユーレイ』にとって俺達が邪魔になったのか……」
「そんな、今まで何もなかったのに」
或いは、やはりイリスが目的だったのか。でも、絶対的に情報が不足している今は、あまり憶測で喋らない方が良さそうだ。
キルイェは直情的なタイプのようだから、間違った方向へ突進しかねない。
リーダーを気取っていても、まだ子どもだ。目には恐れの色が浮かんでいる。どれだけ威勢が良くても、こんな闇の中に知り合ったばかりの男と二人きりでは怯えが生じても仕方ないだろう。
俺自身、冷静とは言い難かった。もし、イリスに何かあったらと思うと気が気でない。それでも大人だからと、少年を前に恐怖を押し隠した。
闇に慣れた自分が思考を停止したらお仕舞いだ。
「なぁ、合鍵はないのか? こうなったら助けを呼んだ方が賢明だ」
「そんなものがあったら、とっくに取りに行ってるさ!」
そういえばキルイェが、この館の鍵が開いていることを突き止めてきたのだったと思い出す。子ども達は自由に出入り出来ていたから、鍵など必要がなかった。
「他に出入り口はないんだろう? なら、窓を割るしかないな。相手が何人居るか分からない以上、動き回るのは無謀だ」
「それも無理だ。館の窓は特別製みたいで、ちょっとやそっとじゃ割れないんだ」
合点がいった。長年放置されていれば散らばっていてもおかしくない窓が綺麗に残っているのは、「割れない」からだったのか。
改めて置かれた状況を思い知り、絶句する。唯一、希望があるとすれば、自分達がここにいることを承知しているサスファだけ。
けれど、もし戻ってきたら、今度は彼女までが危険に晒されることになる。
「どうすれば……」
「アンタ、さっきから聞いてれば逃げることばっか考えて、ディーリア達を見殺しにする気なのか」
突然の、棘を含んだ声に驚いて少年を見ると、赤い顔でこちらを睨んでいた。
「イリスはアンタの主人なんだろ? 自分だけ安全なところへ行こうなんて、酷い奴だな」
「そんなつもりじゃ」
「俺は違う。一人でも助けに行く。仲間だからな!」
一瞬前までは恐怖に支配されていたはずが、今はいきり立っている。その変化に付いていけず、取り残されたような感覚に陥る。
「ま、待て。それじゃ、お前を危ない目に遭わせることに」
踵を返し、館の奥へ踏み込んでいこうとするキルイェを引き止めた。すると彼は更に怒りを増して言った。
「自分だけ良ければなんて考えている奴に、心配されたくない。アンタは他の大人とは違うと思ったけど、とんだ勘違いだったみたいだな」
吐き捨てるようにそれだけ言うと、すたすたと行ってしまった。その手元に下げた灯りも、すぐに闇に呑まれて見えなくなる。
間違ったことは言っていないつもりでも、それ以上手を伸ばすことは出来なかった。
「俺はただの使用人で、強いわけでも、頭がキレるわけでもないんだ。突っ込んで行ったら……結果は見えてるじゃないか」
子どもにはそれが分からないのだろうか。勇気を奮い起こしたつもりで、無茶とはき違えているだけにしか思えないのに。
「でも、この状況は本当にまずいな」
先ほどの灯りと共に闇に呑まれていくキルイェの姿が脳裏を掠めた。引き留め損ねてしまったが、せめてあの馬鹿に教えてやらなければ。闇の恐ろしさを。
歩き出しながらふと首筋に手をやると、指先が決して癒えることのない二つの傷跡に触れた。
歩くたび、コツコツと靴の踵が鋭い音を立てる。屋敷の闇はいよいよ濃く、孤独を一層際立たせる。俺はその中を歩きまわっていた。
伊達に何年も吸血鬼の側で生きてきたわけではない。ほんの少し居ただけの館の中を、まるで我が家のような足取りで進む。
しかし、理由は経験値だけではなかった。気付いたのだ。構造に妙な馴染みを感じることと、もう一つ。
「血の匂いがする」
口に出して改めて認識した。最後に住んでいたという金持ち夫婦と美しいお嬢様、そしてイリスの母親に似た女性。
周囲の建物とは明らかに異なる様子も合わせると、それらはここが、吸血鬼が建てた屋敷だという可能性を示していた。……間違いだと誰か言って欲しいものだ。
「吸血鬼の屋敷でユーレイ騒ぎに子供の消失か。とんだホラーだな」
胃がぐっと押されるような不快感に呻く。一階は異常なし。開けられる扉は全て開けて調べたけれど、何も見付からなかった。
続いて重い足を引きずりながら二階へ上がる。キルイェの足音がないかと耳を澄ましつつ、例の肖像画の横を過ぎた。その先には静かに扉が並んでいる。
「誰もいなかったら、本気で帰る方法を考えないとな」
呟いてから、一番手直な扉の前に移動した。深呼吸し、ノブに手をかける。冷や汗で滑りそうになるのを堪えて開く。
――ばたん。
「っ! な、何だ? この扉じゃなかったぞ……」
心臓が口から飛び出すかと思った。
物音一つ立たない場所で必要以上に大きく聞こえたそれは、俺が立っている場所の下で鳴ったように聞こえた。
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