第7話 潜む子どもたち

 彼は大人相手にも全く動揺を見せず、何者なのかと問いかけてきた。


「俺はフォルト。こっちはサスファ。二人ともイリス様の家の使用人だ」


 打てば響き、波が起こる。それは不規則に弾かれ、闇に溶けて消えたが、返事をしたのはリーダーの少年ではなかった。


「フォルト!」


 耳に慣れた高い声は頭上から降ってきた。見上げると、新たな灯りが空中に浮かんでいた。


「イリス様! 良かったぁ」


 サスファの、今にも崩れそうな安堵が零れる。ようやく暗さに順応してきた二人にも、二階から手すり越しに手を振るイリスの姿が確認出来た。


「あれ、サスファ、どうしたの?」

「何を呑気なことを言ってるんですか。捜したんですよ!」


 涙目のサスファと叱る俺を見下ろしながら、イリスが階段を駆けてくる。

 ランプを持ってディーリアがイリスの後ろを付いてきているのも、二人が踊り場に差し掛かった辺りで気が付いた。


「ごめんなさい……」

「イリスちゃんを叱らないであげて! 私が連れ出したの。すぐに戻るつもりだったのに、遊んでいたら楽しくて」


 謝るイリスを、ディーリアが庇うように前へ出る。顔が赤いのは灯りのせいだけではないのだろう。


 すでに、子ども達から注がれていた警戒の眼差しは失せていた。いくつもの光が音もなく近寄ってきて、俺達の傍へと収束する。合わせて十人程度だろうか。

 いずれも年端もいかない少年少女で、焼けた肌とやせ気味の体つきをしていた。


「お怪我はありませんか?」

「うん。ちょっと服が汚れただけ」


 サスファが膝を折り、抱きつくようにして体中を調べ、怪我の有無や体調の変化を確認している。

 ようやく笑顔が戻ったところで、ことのあらましを尋ねると、イリスがここへ来るまでの経緯を話した。



『わぁぁっ』

『わっ。イリスちゃん、わたし、ディーリアだよ!』

『……あれ?』


 腕を掴まれて、暴れながら悲鳴を上げるイリスの力強さに驚きながら、ディーリアは声を張った。イリスが後ろを確かめると、そこには本当に宿屋の娘がいたというわけだ。

 サングラスを外してしげしげ眺めても、状況の説明が付かずにしばし混乱した。



「あの絵、みて」


 話が屋敷の中へ入ってからのことへ及ぶと、イリスはおもむろに踊り場へと上がっていった。玄関正面の肖像画を照らすと、そこには美しい女性が描かれている。


「奥様に似てますね」


 サスファが素直に感想を述べる横で、俺も一瞬息を呑む。


「二人とも、あの穴を見たんでしょ?」

「はい。……私達には入れませんでしたけど」


 ディーリアの問いにサスファが応えている。

 照れ隠しに頬をかくと、数人の子がくすくす笑った。大人が穴を通り抜けようとして引っかかってしまう、滑稽こっけいな様を想像したのだろう。


「イリスちゃんと二人でそこを抜けようとして、私がこちら側に抜け出た時、このキルイェに捕まったの」


 ディーリアは自分が持っていたランプを俺に手渡し、リーダーらしき男の子を顧みた。


「この子はキルイェール。みんなはキルイェって呼んでるの」

「ふん」


 キルイェは返事の代わりに鼻を鳴らした。尊大な態度もいつものことのようだ。


「お前が、そいつを連れてくるからだろ」

「いいじゃない。ウチの大事なお客様で、お友達なんだから」


 さっきまで叱られてしょげていたとは思えない口振りが微笑ましい。二人は気の置けない間柄なのだろう。友達の言葉にイリスは「えへへ」と嬉しそうに笑った。


「はー、とにかく何事もなくて本当に良かったよ」


 すっかり毒気を抜かれてしまった。俺はサスファに宿へ報告のために戻ってもらうことにして、自分は後ろ髪を引かれているイリスにもう暫く付き合うと決めた。


「ここならおひるでも遊べるねー。みんなに、ひみつきちを見せてもらったんだよ。フォルトにもおしえてあげる」

「くれぐれも気を付けて下さいよ」


 小さな手に引っ張られて階段を上がり、絵の前で足を止める。やはり、この絵はイリスの母親に似ていると思った。白い肌に紅い瞳。人間には珍しい色だ。

 描かれているのは本当に人間か……?


「フォルト?」

「いえ、なんでもありません。それより、俺も一緒で良いんですか?」


 持ち主もなく、放置された屋敷。

 法的な云々はこの際置いておくとして、子ども達の遊び場と化している以上、大人が踏み入っていいのかといぶかる。その疑問に答えたのはキルイェだった。


「その子の側にいないといけないんだろ。他の大人にバラさなきゃ文句は言わない。それに」

「それに?」


 先を促すのが、少しばかり怖かった。


「アンタは他の大人とは違う気がする」


 ぎくりとした。何も知らないはずなのに、イリスが吸血鬼であることも、俺がその一族に仕える人間だという秘密も、全て悟られているような気がした。


「大丈夫? 顔色が悪いみたい」

「あ、あぁ。ちょっと疲れただけだよ。あちこち歩いたからね」


 子どものあなどれない勘に胸を突かれ、動揺が顔に出ていたらしい。ディーリアが覗き込んできた。


「体力無ェなぁ」


 キルイェが馬鹿にし、子ども達がまたもやくすくすと笑った。うち解けてくると年相応の素直さが感じられ、少し安心した。

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