第14話 二人の結末
「それで、ルデリアさんやレイテさんは?」
こちらでこそこそと交わされる内緒話を、きょとんとして待っていたルクレチアに気付き、俺は話を引き戻した。
知り合いだと言った手前、引き返すのは不自然だ。開きなおって会ってしまおうと思ったのだが、彼女は何故か再び笑みを歪ませて俯いてしまった。
「ルデリア様は、母の治療をしておいでです」
「え、もしかしてご病気に?」
すぐには返事がなかった。言おうとして息を吸うと胸がつかえるらしく、ようやく聞こえてきたのは
「昔の、苦労がたたって……心臓を悪くしたようで、もう、あまり、生きられないと」
そんな。一番大事なことを伝えたからか、それ以降はむしろ気丈にルクレチアは語った。
「今ここに住んでいるのは、ルデリア様と、私達家族5人になります」
隣の村まで買い出しに出ている父親と弟、病床にある母親と、家の中で遊んでいる幼い妹。たった6人で細々と生きているのだという。
彼女は説明し終えてから、最後に推し量るような瞳で言った。
「あなたがたは、ルデリア様のことを……その、ご存じなのですか」
何を意味するかは明白だ。二人ともが無言で頷いたのを見てとると、ルクレチアはようやく最後の警戒を解いて「どうぞ、お入りください」と促した。
屋敷内は相変わらず薄暗いものの、古い家特有のカビ臭さとは無縁で、代わりに廊下のあちこちに飾られた生花が、ほんのりと優しい香りを漂わせている。
どこかひんやりとした空気の中、今しがた出てきたばかりの屋敷の中へ招かれるとは妙なシチュエーションだ。
ルーシュは涼しい顔で、俺も表情に出さないよう努めながら廊下を歩く。
ここで待つようにと通された客間は、レイテに通された時とほとんど変わっておらず、まるで時の流れなど冗談だったみたいに思わせた。
「レイテ、あんなに元気だったのに」
「ついさっきは、な」
たとえ自分達にとっては「ついさっき」でも、この世界の時間では十年以上前のことなのだ。そう何度となく言い聞かせていないと、感覚がおかしくなりそうだった。
俺はソファに幼子をそっと寝かせ、顔にかかる銀髪をはらってやる。
きゃっきゃという、遠くから微かに聞こえてくる声はルクレチアの妹だろうか。
兄は父親の手伝いで、姉も様々な用事に追われていて、ひとり寂しい思いをしているのかもしれない。
「あら……懐かしい」
数分ののちに聞こえてきたのは、聞き覚えのある、それでいて年を重ねたとわかる女性の声だった。
ずっと横になっていたのだろう。寝間着に軽く上着を羽織っただけの格好だ。長く伸びた髪も後ろでまとめただけで、急いで来てくれたのだと分かった。
「レイテ……?」
思わずソファから立ち上がる。てっきりルデリアが来ると思っていたので驚いた。無理をさせたのではないだろうか。
「お久しぶりですね……。またお会いできるなんて思っておりませんでした」
三十歳は過ぎているだろうと想像してはいたが、娘に付き添われて顔を綻ばせながらやってくるレイテは、病気のせいもあってかより一層年を取っているように見える。
予め状況を理解していなければ、レイテの母親か親戚かと思ったに違いない。
「お久しぶりです。お体の具合がよろしくないと聞いたのですが、起き上がって大丈夫ですか?」
その細い手を取り、イリスとは反対側に座らせると、彼女は礼を述べてゆっくり息を吐き、ソファに落ち着いた。
「大丈夫です。たまには体を動かさないと、治るものも治りませんもの」
ベッドに寝たきりじゃあ、うずうずして仕方ない。笑った彼女の目元にも、苦労を物語る皺が薄く刻まれている。
それでも、根は昔の活発な少女のままなのがわかり、俺の胸にも暖かいものが広がった。
「お久しぶりですね」
彼女を追うように現れたルデリアは前に会った時の姿のままで、レイテと並んで腰かけると、
「もうお聞きになったでしょうが」
ルクレチアとも交わした昔語りを彼らとも話す間にも、二人は察したようにこちらの事情を聞いてこない。
扉の傍に立って控える娘も、口を挟むことはなかった。
「でも、このタイミングでお会いできてよかった」
一通りの事情を聞き終えたところでルデリアが言い、レイテも「本当に」と頷く。まるで遠くにでも行ってしまうみたいな口ぶりだ。
「引っ越しでもされるのですか?」
「えぇ、まぁ」
「ちょっと違いますけれどね」
どういうことだろう。
首をかしげると、悪戯を楽しむ子どもみたいに二人は微笑み合う。本当の夫婦のような仲睦まじさに、これが互いに選んだ距離感なのだと思った。
詳しく話を聞こうとしたその時、遠くからコンコンと硬質な音が響いてきた。玄関をノックした音のようで、ならばレイテの夫や息子が帰ってきたわけではなさそうだ。
「来客とは珍しいですね」
下の村がなくなってからは来客もめっきり減ったらしく、ルデリアもやや驚いた表情で外の方へ目を向けている。ルクレチアが「見て参ります」と告げて出ていった。
次に扉が開いた瞬間、ふわりと爽やかな香りが漂った。晴れた日の海を思わせるそれは、新たな客人の付けている香水のようだった。
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