第3話 巻物とハンカチ

 テーブル上に広げられた長い巻物状の紙面に、つらつらと書かれていたのは、名前らしき言葉と関連を示す線。


「なぁ、おい。これって家系図じゃないのか?」


 分かったのは、見覚えのある名が幾つか並んでいたからだ。


「歴代の当主に受け継がれる、従者達の記録か。俺も見るのは初めてだ」


 ルーシュは厳かな手つきで巻物を持ち上げ、鋭く尖った爪先で先を辿り始めた。

 紙は分厚く上質で、更に布に貼り付けられた状態で包まれており、一見してとても長そうだ。


「ほら、お前の名前もあるぞ」

「あ、本当だ」


 良く見れば、自分の名前だけでなく、一緒に働く同僚達の名も書かれている。

 そして密接に繋がれた線によれば、思っていた以上に自分とあの者は近い親戚だったのか、などと驚きの事実なども仔細に記載されていた。


「あのさ。俺、見たらまずいんじゃ……」


 実は先ほどから背中に汗をびっしょりかいている。恐る恐る呟くと、その様子にルーシュは噴き出した。


「ほんっと、今更だな」

「笑うなよ。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ!」


 たとえるなら、一兵卒が軍事機密を盗み見るようなものか。胸は絶えずドクドクと脈打っている。恐らくそれもルーシュには聞こえているだろう。


「ま、いざとなったら多少はかばってやるよ。面白いものも見たしな」

「あっ」


 ルーシュの指先が滑ったのか、はらりと巻物が波打つ。巻かれた部分が地面に落ち、転がるようにして地面を這った。

 しゅるしゅるしゅる……衣擦れが部屋を満たす。


 その音を前に動けないでいると、やがて巻かれた紙のもっとも奥が現れた。目を奪われずにはいられない。

 家系図の奥には、吸血鬼に仕えてきた一族の根源、最初の人間の名前があるはずだからだ。


『!?』


 しかし、開ききったと思った途端、目の眩むような激しい光が巻物から発せられ、二人を包んだ。


 ◇◇◇


 随分と長い間、腕で顔を覆っていた気がした。やがて、目蓋を閉じていても瞳が焼かれそうな光の洪水がおさまると、二人はゆっくりと周囲を眺め直した。


「なんだったんだ、今の……」


 別段、部屋に変わったところはないように思える。どんな仕掛けが施されていたかは知らないが、今のところは巻物が光っただけに過ぎないようだ。

 きっと、盗まれないための防犯装置か何かだろう。


 ところが、ルーシュの意見は違っていた。口の端を笑みの形に押し上げて、なにやら楽しげである。


「すこーしばかり、面白いことになってるみたいだな」

「面白い?」

「さっきとは匂いが違うんだよ」


 彼はまたしても「わからないのか」と視線で問いかけてきたが、鼻で空気を吸い込んでも匂いの違いなど判らない。むっとして「俺は犬じゃない」と吐き捨てた。


「とすると、あっちか」

「おい待てよ」


 流れる動きで隣の執務室へ戻るルーシュを追う。こんな場所に一人で残されてはたまらない。けれども、出入り口で思わず足が止まってしまった。


「どうなってるんだ……!?」


 頭がおかしくなってしまったのかと思った。もしくは、まだ先ほどの光に目がやられて、変に見えているのだろうか?

 何故なら、執務室があった場所は大きく様変わりしていたからだ。


 まず、どんと鎮座していた机がない。代わりに二人掛けの丸テーブルが置かれ、たった一つ、ワイングラスが乗っている。底には濃い紫の液体が残っていて、今まさに飲まれたばかりのように見えた。


「これで頭の悪いお前でも分かっただろ?」


 ぐるりと部屋の内周を囲んでいた書棚も消え去り、グラスや食器が美しく並んだ硝子棚へと変貌している。


「分かるか。一体、何が起きてるんだよ」

「考えられる結論は一つ。ここは、親父の部屋じゃないってことだな」

「何だって?」


 ルーシュが用心しながらカーテンを開くと、シャッと音がして室内に陽がさした。暗がりでは確認できなかった細部までが照らし出され、磨き上げられたグラスがぴかぴかと輝く。

 そっとその光に手のひらで触れ、俺は愕然とした。


「なぁ、これ!」


 普段、空に浮かぶ吸血鬼の城は、彼らが編み出した術による作り物の光を受けている。

 何故そんなことをする必要があるのかは、考えるまでもない。闇の生き物は太陽の光を浴びることが許されないからだ。


「これ、本物の光だろ!」


 はっとして顔を向けると、ルーシュは光を避けるように部屋の隅に佇んでいた。直に浴びなくても良い気分はしないのか、眉根に皺が寄っている。


「どういうことだよ。ここはど……っ」


 今更ではあるが、声を荒げそうになる口を自分の手で押さえた。ここが当主の執務室でないとすれば、騒ぐのはより一層得策ではない。

 ルーシュは再び厚いカーテンを閉めると、廊下へ続く扉を薄く開いて外を覗き見た。その背中越しに窺おうとした俺は、床にあるものを見つける。


「見ろ!」


 ドアのすぐ傍に落ちていたのは、レースで飾られた淡いピンク色のハンカチだった。吸い寄せられるように柔らかいその布を拾うと、ほんのりと花の香りが鼻孔をくすぐる。


「ん、匂いがすると思ったらそれか。もしかして?」


 察したルーシュに、立ち尽くしたまま頷いた。


「あぁ、イリス様のものだ」

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