六、河原 (5)

 自分を呼ぶ声がしてリサコは目を覚ました。いつのまにか眠り込んでしまったようだ。

 辺りは真っ暗だった。リサコは体を起こしたが、自分がどこにいるのかわからず、手探りでまわりを探った。


 すると誰かに手をつかまれて、ぐっと引き寄せられた。リサコは驚いてひぃっと小さな声を出したが、ふわっとお馴染みの香りがし、すぐに相手が誰なのか理解した。


「良介?」


 リサコは手探りで良介と思われる相手の腕を探しつかんだ。

 全く何も見えない。真の暗闇だ。


「リサコ、ちょっと来てくれないか。」


 良介の声が言い、リサコの手を引くと、歩きはじめた。


「どうしたの?何で真っ暗なの?」


「着いたら説明するよ。今は、とりあえず、来てくれる?」


 リサコは黙って良介に手を引かれながら歩いた。何も見えないので、上下左右全ての方向感覚が失われてしまったかのように思った。

 どうして、このような状態になったのか、リサコは全く思い出せなかった。


 そういえば、河原が変な光を発して…どうしたんだっけ?


 良介の誘導に身を任せながら、しばらく目を閉じて、そして再び目を開いてもやはり何も見えなかった。

 ここにはかすかな光さえないのだ。これは真っ暗なのではなく、自分の目が見えなくなってしまったのではないかとリサコは不安になってきた。


「大丈夫。もうすぐ着くよ。今、何もかもが止まっているから何も見えないんだ。」


 リサコの不安を感じ取ったのか、良介が説明をした。


「本当は、君はここまで来れないんだけど、ちょっとシステムを改ざんしたんだ。不便で申し訳ない。」


 そう言いながら、良介は歩くのをやめた。


「さて、着いたぞ。入れるかな?」


 目の前にうっすらと、縦に伸びる光の筋が現れたかと思うと、それが左右にゆっくりと広がった。

 良介がそこに立っているのが見えた。彼が扉のようなものを開けたのだ。


 良介が中に入り、振り返ってリサコの手を取ったので、彼女も続いて入った。


「よかった入れたね。」


 そこは、一昔前のコンピュータールームのような不思議な部屋だった。

 正面の台から学校の放送室にあるようなマイクが突き出ていて、椅子が一脚置いてあった。


 良介はリサコにそこへ座るように言い、自分はかたわらに立って、マイクの横の黄色いボタンを押した。

 ジジジジジ…と古めかしいアラームのような音が鳴り響いた。


 しばらくすると、目の前の赤いランプが点灯し、「CONNECTING」という文字が浮かびか上がった。


≪きっかり一時間だったな。≫


 壁につけられたスピーカーから男の声がした。


「最新のログを使って、5億6千パターンの戦略をチェックしてみたんだ。」


 良介がマイクに向かって言った。


≪5億…!? それで、何がわかったんだ?≫


「まずは、ここにリサコを連れてきた。」


≪なんだって?≫


「彼女をこっちに取り込むことしにした。もう記憶のリセットはできないから、駒にはなれない。協力してもらう側に回ってもらうよ。」


≪この状況を教えても、彼女、大丈夫なのか?≫


「リサコは2354ケースで相当ひどい経験をしたけど、それでも壊れずに正常を保っている。この世界の成り立ちくらい知っても大丈夫だろう。」


 リサコは黙ってこの会話を聞いていた。自分の預かり知らないところで何かが進行しているのはわかったが、それが何なのかさっぱりわからなかった。

 良介が何かを知っていてリサコを仲間にしようと、スピーカーの向こうの男に相談しているように解釈できたが。


 今は黙って彼らの会話の邪魔をしない方がよさそうだと、彼女は判断した。


「今回件でリサコは想定外の強さを手に入れた。この精神を使うべきだ。それに、今回彼女はヤギとも対峙してるし、解析の結果、奴のシミュレーションの中に体感的に約十年入っていたようだ。」


≪十年も!!!!≫


「そうだよ。十年だよ。信じられるか?それにも彼女の精神は耐えて、そのあとヤギを切っている。ボロボロの状態で平場にやって来たが、すぐに立ち直って彼女にとっては理解不能な環境も受け入れた。この状態のままの彼女を訓練すれば、確実にヤギを切れるようになる。」


≪今回のリサコがタフなのはわかったよ。で、何でそこに連れて来たんだ?≫


「この場所を彼女に教えたかったのもあるんだけど、君たちにも彼女から直接、話を聞いてほしかったんだよ。彼女の声で、彼女がどんな体験をしたのか。俺を介してしまうと生々しさが失われてしまう。これは人間が直接聞くべき話だと思ったんだ。それに、リサコはR-003の外見にトラウマがあるから、まず君たちと話してからじゃないと河原の外見には決して心を開かないだろう。」


≪なるほど…で、平場はどうなってる?まだ動かせないのか?≫


「平場はパニックだ。あっちの奴らには俺たちR番台に関わる記憶を消した方がいいかもしれない。」


≪だ、そうですよ。部長どうします?≫


≪いいわ。良介の考えてるとおりやってみて。≫


 スピーカーから女性の声がした。向こうには何人もいるような雰囲気があった。女性の声はどことなくアイスリーに似ているように思えた。


「了解。じゃあ、リサコに説明するからちょっと待ってて。数秒で終わる。」


 壁の文字が「MUTE」に変わった。


「リサコ、いろいろわからない話をしてごめん。≪ヤギ≫ って何のことかわかる?」


 うん、とリサコは小さく頷いた。忘れたくても忘れられない。あのこの世のものとは思えない気味の悪いヤギ。


「俺と、さっき話していた人たちは同じチームで働く同僚、みたいなものだ。彼らと俺は、どうやったら ≪ヤギ≫ をこの世界から消すことができるのか、長年研究してきたんだ。」


 良介の言っている意味が理解できず、リサコは黙ってしまった。


「ここのところ、いろいろ不具合があって、俺たちのこの世界がめちゃくちゃになっていたんだ。それはわかる?」


 頷くリサコ。


「で、俺も本来の仕事の記憶がなくなってしまっていたんだ。」


 ああ、とリサコは少し理解した。


「あなたがずっと自分が誰なのかわからないって言ってたのはそのせい?」


 ここでリサコは肝心なことに気が付いた。


「今は、記憶が戻ったっていうこと?あなたはやっぱり良介なの?おじいちゃんと私と一緒に暮らしていた良介なの?」


「そうだよ。その良介だ。」


「一緒にアイアンタワーに行ったのも覚えている?」


「ああ、覚えているよ。」


 それを聞いてリサコは両手で顔を覆って泣いた。


「何で泣くの?」


「あんたが良介だったからよ! 私はずっとあんたが良介だって思っていたけど、あんたが何も覚えてなくて違うって言うから…。」


「ごめん、怒っている? 俺には本当に記憶がなかったんだ。」


リサコは首を何度も横に振った。


「怒っていない! ほっとしたの。ほっとして泣いているんだよ。自分が自分なのかずっとわからなくなっていた。私が体験したと思っていることは、全文本当に起きたことなの?」


 良介はうんうんと何度も頷いた。


「そうだよ。リサコがここに来るまでに経験したことは全て本当だ。ちょっとした事故があってさ、世界が崩壊寸前だったんだ。」


「ぺんぺん草も?」


 良介は「ん?」という顔をしてすぐに思いあたり、あははと笑った。


「そうそう、ぺんぺん草も、そもそもそれが全ての原因だったんだ。あれはヤギが出す “カプセラ・バーサ・パストリス” という追跡プログラムなんだ。君を追跡しながらシステムを破壊していく。」


「ネットカフェでメールをくれたのはあなた?」


「ネットカフェ?? ああ、そう!そうだよ。あれは俺だ。君のエイリアスがどっか行っちゃって!!探すのに苦労したんだ。双子のおじさん覚えている?あれは “MIHO” というターゲットを探し出して保護するおじさんたちだ。」


「エイリアス? “MIHO”?」


「ああ、ごめん、細かいところは追々知ってもらうよ。まず、一番重要なことは ≪ヤギ≫ だ。」


「ヤギなら私が切ったよ。」


「そうだね。でもあれは実は本物じゃないんだ。本物そっくりだけど、偽物だ。そして、君はヤギを切ったけど、完全に切れなかった。」


「切りそこなった…? 確かにそれはそうかもしれない。でも偽物ってどういうこと?」


「ヤギは本来いるべき場所じゃないところに出現した。だから確実に消し去らないといけないんだけど、前例のない未知の存在だ。やり損ったら二度目はないかもしれない。だから確実に1回で完全に消し去らないといけない。だから、本物とやり合う前に、そっくりに作った奴でテストして、100%成功する方法を確立してから、本物を切りに行くんだよ。」


「うん、なるほど。でも、何で私がそれをやっているの?」


「それはね、君がヤギにとって特別だからだよ。」


 良介はリサコにこの世界の成り立ちを語った。彼女が現実世界の本物の人間の完全コピーであることも含めて、全て包み隠さず話した。この事実を彼女は受け入れるだろう。なぜなら、今までの不可解な出来事がそれできれいに説明がつくからだ。

 問題はそのあと、彼女の精神がそれに耐えるかどうかにかかっていた。もしもここで彼女が発狂するようであれば、良介はすぐさま彼女を削除するつもりだった。生身の人間ならともかく、永遠の時が流れるこの世界の中で、発狂したまま存在し続けること以上に残酷なことはない。


 話を聞き終わると、リサコはしばらく黙っていた。良介はじっと彼女の様子を観察していた。


「≪ヤギ≫ は、なぜ私を…、私の本体である山本 理沙子を探しているの?」


「それはまだ誰にもわからない。長年かけてそれを探っているけど、わからないんだ。」


「≪ヤギ≫ に会った時、私は何度も何度も自分自身を産む世界に迷い込んだ。ヤギが探しているものとそれが関係ある?」


「それを詳しく探るために、これから向こう側にいる人間たちにその話をしてくれる? 彼らはまだ ≪ヤギ≫ の夢の内容を知らないんだ。」


 ≪ヤギ≫ の夢…。面白い言い方だ。確かにあれは ≪ヤギ≫ の夢だ。

 リサコはおかしくなって、うふふと笑った。

 良介はリサコが笑った理由がわからなかったので、このまま彼女が発狂するのでは?と少し身構えた。


「わかった。人間たちに私が見た夢の話をするよ。」


 リサコはやれやれと言った表情で、首を振ったが精神の方は大丈夫のようだ。良介は、よし、と頷いて、再び人間との接続を開始しようとした。

 するとリサコが手を伸ばして、それを止めた。


「あとひとつ、教えてほしい。」


「何を?」


 リサコはじっと良介の目の覗き込んだ。


「あなたは一体何者なの?」


 良介は一瞬躊躇してからこう言った。


「俺? 俺はただの良介だよ。君も含めて、ここの全てを作った天才だけどね。」


 そして彼は、再び人間を呼び出すボタンを押した。

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