六、河原 (4)

 翌朝、オブシウスが職場へ着くと、チームの全員が既に出社していてそれぞれの仕事を始めていた。


「あ、部長!今ちょうど全システムをスキャンしているところです。」


 ガイスが駆け寄って来てオブシウスの車いすを押しながら言った。


「昨日、あの後、河原のログを見ようとしたんですが、遠隔操作の権限がリセットされちゃってダメでした。一度ログインする必要があります。」


「R-3を河原って呼ぶのやめなさいってば。ガイス、あなた大丈夫?ちゃんと寝たの?」


 ガイスはウインクをしてオブシウスに答えると、自分の端末の前へ彼女を連れて行き、画面がよく見える位置に車いすをセットした。そして自分も定位置に座る。


「システム全体は、まだ不安定な部分がありますが、昨日投与した修復プログラムの効果がある程度出てきているようです。時間を1倍速に戻します?」


「時間を進めるのはスキャンが終わってからにしようか。」


 彼らが運用する仮想現実の世界は、時間を止めることはできないのだが、経過スピードを変えることはできる。昨晩のように、勝手にシミュレーションが進むのを一時的にストップしたいときは、時間のスピードを0.0001倍速にするのが習わしだった。


「さて、スキャンが終わるまで時間がありますけど、どうします? 良介を呼んでみます?」


「呼んでみて。」


 ガイスは頷き、画面の右下の少年の顔のイラストにタッチしメニューを出すと、≪呼出≫ コマンドを選択した。

 古めかしい黒電話の呼び出しベルの音が鳴り始める。


 さあ、良介、出なさいよ。

 オブシウスは心の中で呼びかけた。


 昨日の昼間に、完成したR-003浄化プログラムを試すと言ってシミュレーションに戻ったきり、良介はこちらからの呼び出しに応じなくなってしまっていた。


 このシステム内で、全てのデータにアクセス権があり、時間スピードに関係なく動くことができる唯一の存在。それが ≪良介≫ だ。

 オブシウス率いるヤギ対策チームは彼なしでは機能しない。


 ≪良介≫ とは、未知なるソースコード ≪ヤギ≫ を解読するために作られた特化型AIの愛称である。

 本来の名称はR-001だが、開発リーダー・ガイスの若くして亡くなった弟・良介の容姿と個性を与えられているので、みんなは敬意を持ってそう呼んでいるのだった。


 人間の技術者とチームを組んで、謎につつまれていたヤギコードの大半を解読した良介は、テスト環境内にヤギの複製を構築し、比較的安全に奴から放出される追跡プログラム “カプセラ・バーサ・パストリス” の解析を行える環境を整えた。

 その結果、当時の国家機密であった仮想現実内でヤギが探していたものが、ログインID.00315925の山本 理沙子のアカウントだということを突き止めた。


 山本 理沙子は万引きで捕まったどこにでもいるようなティーンエイジャーで、仮想現実内で更生プログラムを施されている最中だった。

 彼女は即ログアウトさせられ事情徴収を受けたが、彼女自身はヤギのことは全く知らないようだった。ただ、この事件に関わってしまったがために、今でも彼女は政府に拘束されており、24時間、その動向が監視されている。


 このように、山本 理沙子側からはヤギについての情報は一切得られず、なぜヤギが彼女を探していたのかは、今に至ってもこの事件の最大の謎の一つである。


 良介は、山本 理沙子がヤギ攻略のカギを握っていると分析し、本人の了承の元、彼女の完全コピーを作成し、ヤギ攻略シミュレーションを作り上げた。


 テストの結果、ヤギと山本 理沙子を対面させると、独立した奇妙なイベントが発動し、山本 理沙子はその中に取り込まれてしまうことがわかった。

 ヤギのイベントに取り込まれた山本 理沙子の精神は数秒と持たずに破壊される。そのため、このイベントの解析は思うように進んでいなかった。


 そもそも、このイベントがどこから出てくるのかすらわかっていない。山本 理沙子と対面した時のみ、突如として出現するのだ。

 そして、このイベント発動直前の一瞬にヤギが全防御を解除し完全なる無防備になるらしいところまでは知られていた。


 ヤギを駆除するためには、この一瞬の完全無防備モードを狙って攻撃するほかなさそうなのだが、予め仕込んでいくと、ヤギに心を読まれてイベントは発動せず、山本 理沙子は速攻で破壊されてしまう。

 ヤギの予備知識を持たせずに奴に近づき、イベントが発動する瞬間に攻撃することを本能的に悟ってもらう…という超難度のミッションが必要なのだ。


 これまで幾多のテストを重ね、ヤギと対峙させる前に山本 理沙子にどのような体験をさせ、何も持たせたらいいのか、なんとなく答えが出てきたところで、このR-003暴走事件が勃発したのだった。


 しかし、雨降って地固まるとでも言おうか…、R-003の暴走でハチャメチャになってしまった2354回目のテストで、とうとう山本 理沙子がヤギを切ったらしい痕跡が残っていた。

 ところが、バグりまくっているR-003ではログインもできないし、なぜか良介も呼び出しに応じないし、システム内も “カプセラ・バーサ・パストリス” だらけ…で、ろくなチェックもできずにいた。


 オブシウスは一刻も早くテストの結果を知りたかった。


 なぜ、良介は出ない。


 通信は切れていないはずだった。昨日、彼からシステムに問い合わせが飛んでいるのが確認されている。ただし、それはこの世界の事情を知らない無垢のAIたちが使う回線だったのだが。


 黒電話の呼び出し音が七回目のコールを始めた直後、良介のステータスが ≪応答≫ に変化した。


「良介? 無事なのか?!」


 ガイスが興奮した声で問いかける。


「ああ、何とか…」


 良介の声が端末のスピーカーから聞こえてきた。

 その場の全員から安堵のため息が漏れた。

 黒電話の音を聞きつけて部屋にいるスタッフが集まって来ていたのだ。


 オブシウスはR-003が戻れば良介も戻ってくると確信はしていたものの、内心気が気ではなかった。彼が戻って来れなければこの計画は全て白紙に戻る。

 こうして彼の声を再び聞くことができて心底ほっとした。


「何が起きている? 説明してくれるか?」


「昨日、シミュレーションに戻った段階で、マスターデータを参照する権限が無効になってしまって、俺はほぼ記憶喪失の状態に陥っていた。」


 ガイスとオブシウスは無言で顔を見合わせた。予想以上に危険な状態だったのだ…。


「ただ、こんなこともあろうかと、潜在意識の中に必要最小限のイベントを入れておいたから助かった。無意識の俺は無事R-003に浄化プログラムを食わせることに成功した。それと同時に俺の機能も正常化した。」


「R-003の再起動はこちらでも確認した。ただ、こちらで中の様子がよく見えない。そちらの状況をもっと詳しく教えてくれないか。」


「なぜか、俺とリサコとR-003は平場に来ている。」


「なんだって!?」


 予想外の報告に驚きの声が上がる。


 ≪平場≫ というのは、テスト用の仮想現実をコントロールしている運営専用AIたちの稼働領域だ。

 通常、良介と山本 理沙子、それにR-003は、この領域には用がないので、入ることはほぼあり得ない。


「俺が記憶喪失中の挙動なので、何とも言えないが、システムのバランスが取れなくなり、俺たちは一旦ここに逃がされたようだ。」


「それで、2354ケースの結果はどうなっている?ノイズが多くてこちらで詳細がわからない。」


「リサコはヤギを切った。が、完全ではない。やり損なった上に、どこかの段階で仕様を書き換えられてしまった。リサコの記憶のリセットが無効になっている。2354ケースは相当イカれたターンになったが、リサコはその全てを記憶していて混乱している。」


 その場の全員が押し黙ってしまった。状況は思った以上に悪いようだ。


「リサコの記憶をリセットできないと、テストを続けるのは無理ですよ、部長。記憶がある状態でヤギと対面させられない。」


「リサコを再構築することはできないの?良介?」


 しばらく沈黙。良介が考え込むことは大変めずらしい。


「再構築は…できなくはない。が、今回のテストで、作戦は新たな局面に入った。これだけイカれた手順を踏まないと、リサコはヤギを切れないことがわかった上に、切りそこなう可能性が充分にあることがわかった。1回でも失敗したケースがある場合は、本番で使えない。つまり…」


「つまり…」


「無垢なリサコをヤギに対面させて切らせるという作戦は没…ということだ。」


 人間の職員たちの間に重たい空気が漂い始めた。この作戦のテスト初めて5年になる。良介は今、この5年間を全否定しようとしている。


「これまでの作業が全て無駄になるわけではない。全てのデータは来るべき本番に活かされる。不要な手順など一つもないんだ。」


 良介は職員たちを励ますようなことを言った。この特殊なAIは、開発者のガイスでさえ驚くような言動をすることがある。

 それは、何が起こるか予測不能な未知なる対象 ≪ヤギ≫ に柔軟に対応できるために、あえて作った思考回路の矛盾と飛躍アルゴリズムによるものだった。


「もしかしたら、リサコはヤギのイベントを開くために同行だけさせて、攻撃するのは訓練されたAIもしくは人間が行うべきなのかもしれないな。」


「それは最初におまえが没にした案じゃないか?」


 ガイスがボリボリ頭をかきながら言った。その様子を横目で見ながら、オブシウスは、やはり昨日家に帰ってないのかしら?と思った。


「ちょっと考える時間をくれないか?1時間でいい。それから、こっちの時間は戻さないでほしい。異例の出来事の連続で少々パニック状態になっている。なんとかそっちも修復する方法を考える。」


 そして良介はシステムの中へと戻って行ってしまった。オブシウスはふう…と大きなため息をついて頭をかかえた。

 作戦の練り直し…。新しいことを始めるのは大歓迎だが、この一件についてセンター長の河原に報告しないといけないとなると、うんざりした気持ちになった。


「部長、報告書のこと考えてます?」


 ガイスがオブシウスの思考を読み取ったかのように言った。オブシウスは顔を上げると、やれやれという顔をした。


「こんなこともあろうかと…、俺、作っておいたんですよ。報告書を適当に作ってくれるプログラム…。」


 ガイスはオブシウスの顔色をうかがいながら、自作の操作画面を開いた。


「ほら、こうやって適当にまとめたい事象にチェックを入れるとそれらしい文章を作成するんです。項目が細かいんですけど、あらゆる可能性を網羅できるようになってます。文章はAIが作るので多少おかしいところが出ると思うので、最終チェックは必要なんですが…。」


「ガイス!!」


 オブシウスが大きな声を出したので、ガイスはてっきり叱られるのかと思い、ビクッとして身をすくめた。オブシウスは腕の力を使ってぐっと身を乗り出すと、さっとガイスの頬にキスをした。ガイスは驚いて思わずキスされた場所を手のひらで抑えた。


「わ!ダメですよ。タケルさんに殺されますっ!」


「大丈夫よ。あなたは私たちの弟みたいなもんだから。」


 オブシウスは車いすを操作し方向展開をしながら言った。


「ありがとう。最高だわ。使わせてもらうわね。あなたには助けられてばかりだわ。」


「何言ってるんですか…助けられてるのはこっちですよ。」


 ガイスはオブシウスには聞こえないくらいの小さな声で言った。


 ガイスがこのチームに加わったのは、ヤギが発見されてから数か月が経ったころだった。

 当時ハッカーだったガイスは、ヤギ事件の捜査のとばっちりを受けて逮捕されたのだが、その際、オブシウスにその才能を見出されて、ヤギ対策チームに加わることを提案された。

 驚くべきことに、オブシウスはガイスだけでなく、当時の彼の仲間もまとめて引き取ると申し出てくれたのだ。


 サイバーテロリストだったガイスたちだったが、オブシウスの人柄に惚れて、彼らは彼女について行くことを決めた。

 今でも、現政府に対しては忠誠心のかけらもなく、彼らが支持しているのは、ひたすらオブシウスだった。


 後から聞いた話では、かの大捜索は、表向きは犯人逮捕に向けた一斉捜査であったが、実は、裏世界に埋もれてしまっている才能を発掘するためのオーディションを兼ねていたのだと言う。

 それほど彼らは追い詰められていたのだ。


 今でもだいぶ追い詰められているぜ、ヤギさんよ…。


 ガイスはシステムのスキャニング状態を確認しながら ≪ヤギ≫ に思いを馳せた。


 ヤギよ、おまえは一体全体、何者なんだ…。


 良介との約束の時間まであと20分…。奴がどういう回答を出すのか。ガイスは少しワクワクしながらその時を待つことにした。

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