五、体系 (3)
リサコはガタっと音をたてて立ち上がり、入って来た良介の方へと一歩踏み出した。
良介はちらっとリサコの方を見たが、何の反応も示さずに再び視線を外してリサコとは反対側の奥の席へと腰を下ろした。そして、画面を出すと、何やら操作を始めてしまった。
良介……じゃ、ないのかな?? いや、どこからどう見ても良介だ。リサコが最後に見た時そのまま、14歳の良介の姿そのものだ。
「おいこら、R、何してたんだよ。ヤマモトリサコに挨拶くらいしろよ。」
オーフォが言うと、良介は手を止めて再びリサコの方をちらっと見た。もっさりした前髪の隙間から両目が見える。それはリサコの知っている瞳だった。
「俺には関係ない。」かろうじて聞き取れるくらいの声で良介が言った。
「関係ないってさ―お前、見てただろう?彼女もR番台なんだよ。」
「だから?」
良介……いや、Rは表示させていた画面をシュッと閉じると立ち上がり、「第七区画の二層目にバグだぞ」と言って部屋の奥にあるドアをあけて中に入ってしまった。
その様子は、おじいちゃんの家で、良介が自分の部屋に入って行った時とそっくりだった。
オーフォはしかたないなぁ、と言った風に肩をすくめた。
「ごめんなー。ご覧のとおりRってこうゆう奴なんだよ。エル、ヤマモトリサコには手動の引継ぎが必要だ。仕事教えてやってくれる? それじゃあ、みんな、作業を続けてくれ。」
他の面々も立ち上がるとゾロゾロと奥の部屋へと入って行った。
リサコはRのことが気になってしかたなかったが、エルが説明を始めてしまったので、ひとまずそちらに集中することにした。
ここで暮らしている人の仕事にはおおまかに分けて2種類ある。
一つは、ここでの生活を維持するために必要な仕事。食物を育てたり、食堂を運営したり、公共施設の管理をしたり。ここの役2%の人間がその役割を担っているそうだ。
残りの98%の人は、≪節(セツ)≫ と呼ばれるものを常にチェックし監視する仕事をしている。
≪節≫ は現在のところ十六個までが確認されており、順次増えていくものらしいが、長い間新しい節は増えていないとのことだった。
リサコが所属するアイスリーチームはその中の第三節を担当している一群のひとつであると言う。
「≪節≫ ってゆうのは…まあ、見てもらった方が早いか。」エルはそう言うと、先ほどみんなが入って行った部屋へとリサコを案内した。
「モニタリングもできるんだけど、たぶん今のあなたは実際に見た方がよさそう。」
奥の部屋は、思ったよりも広く、薄暗かった。
まるで学校の教室の様に一人用の机が全部で10台ほど均等に並べられていて、それぞれにジオラマのようなものが乗っている。
先ほど部屋に入って行った面々が画面を出しながらその周りをウロウロしていた。
「これが、≪節≫。うちが受け持っているのは、第三節の第六区画から第十区画。で、各区画にはそれぞれ五層のレイヤーがあるの。」
エルの言っていることは何一つ理解できなかった。机のひとつに連れていかれたので、リサコはジオラマをまじまじと観察した。
これは…よく郷土館とかにあるような町のジオラマだ…。
しかし、この街並み、なんだか見たことがあるような…。
そこでリサコは気が付いた。
これは…東京だ…!!!
まぎれもなく、それは東京のジオラマだった。
あっちの机の上にある高層ビル群は新宿、そっちは六本木と東京タワー、建設中のスカイツリーもある。
割と雑な造りなのでよく見ないとわからないが、それは東京だった…。
「いま、ちょうどRたちがバグの処理をするから見てみようか。」
リサコはこの状況をどう言葉にしていいのかわからず、黙ってエルについて行った。
Rはジオラマの中を覗き込んで、何かを探しているようだった。その横では、後から部屋に入ったひょろっとした男性が画面を出してずらずら動く文字列を見ている。
「いたぞ。」Rはそう言うと、おもむろにジオラマの中に腕を突っ込んで、何かを引っ張り出した。
人形だった。昔のクレイアニメに出てきそうな妙に趣のある女の子の人形だ。
女の子の人形は、子供がよく遊んでいる着せ替え人形ほどの大きさだ。ジオラマの中にいたのであれば、少々大きすぎるような気もする。
人形はRの手の中でモゾモゾと動いていた。
「出所わかったか?」Rがひょろ男を振り返り問う。
「四層かな。」自分の画面を見ながらひょろ男は答えると、机の引き出しを開けた。引き出しの中にはいくつかボタンがあり、ひょろ男はそのうちの一つを押した。
ガゴンという音がして、机の上のジオラマが下に降りて、ガタンと再び上がって来た。
Rは街の中をしばらく覗き込んでから、握っていた人形を中に置いた。
ジオラマの中に入ると人形はスルスルと小さくなって、スタスタと街の中を歩いて行ってしまった。
「いまやったのが、≪節≫ のバグ処理。」エルが説明を始める。「…Rのやり方はかなり特異だから参考にならなかったかもしれないけど。時々、節には矛盾が起こるのね。それを見つけて修正するのが私たちのお仕事。今のは、よくあるバグなんだけど、節の中にいる駒があるべきところと違う層に移っちゃってて…」
茫然としているリサコに気が付いてエルが言葉を飲み込む。
「ヤマモトリサコ?もしかして、私の言ってる意味がわからない?」
「うん…全く何一つわからない…」
エルとひょろ男は顔を見合わせると、肩をすくめて、やれやれという表情をした。
「ま、いいか。じゃあヤマモトリサコ、やりながら覚えて行こう。あ、こちらはジェイフォーツー。」
紹介されたひょろ男、もといジェイフォーツーがペコっと頭を下げた。
「ここで作業するときは、必ずチームで作業することになっているから、安心して。」
リサコはRが腕を突っ込んでいたジオラマを覗いてみた。渋谷周辺のようだった。ビルの看板などが省略されているのでわかりにくいけど、この道の形、ビルの形は、渋谷で間違いない。
この人たちは、模型のことを ≪節≫ と呼ぶのだろうか?それとも、これは模型の様で模型ではない別の何かなのだろうか?
それとさっきの人形は何だ?生き物なの?ロボット?
例えば、ここがものすごい未来で、想像を超えるテクノロジーが使われているとしたら、意味不明なのはしかたない。千年前の人間にパソコンを見せているようなもんだ。しかし、なぜ ≪節≫ は東京の形をしているんだ?
そうして、まじまじとジオラマを見ていたら、小さな街の中に突然バスが走って来た。ミニカーのようなおもちゃのバスだ。それは何だか、その場にふさわしくない異様な感じに見えた。
リサコは眉をひそめて、そのバスをもっとよく見ようとジオラマを覗き込んだ。その様子に気が付いたのか、Rが近寄って来た。
「おい、おまえ、あれが見えるのか?」
「え?あれって、あのバスのこと?」
その答えを聞いて、Rがエルを見たので、リサコもエルを見た。エルは驚いた表情で、目をまんまるに見開いていた。
バタンと後ろでドアの音がしたので振り返ると、オーフォが入って来た。
「いいよ、続けて。R、サポートしろ。」
オーフォの言葉に無言でうなずくと、Rがさっきのバスを指さした。
「あれが、見えているなら、取り出せるかやってみろ。」
リサコはバスに手を伸ばして掴んだ。持ち上げると、細かい振動を手に感じて、バスがググググッと大きくなるのを感じた。自分の目の前に持ってくるまでにバスは両手でかかえないといけないほどの大きさになり、中にいくつか人形が乗っているのが見えた。
「乗り物まるごとは珍しいな。」
Rはバスに向かって画面を出し、何か調べると引き出しを開け、その中のボタンを押した。街のジオラマがガゴンと下がり、そしてまた上がって来た。
「そいつを戻してみて。」
Rに言われるがままにバスを街の中に戻す。今度はしっくり来た感触があり、リサコは本能的にそのバスをどこに置けばいいのかわかった。
街に戻すと、バスはシュルシュルと小さくなって、そのままブーンと街の中を走って行ってしまった。
まわりを見ると、この部屋にいる全員がリサコを見ていた。
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