五、体系 (1)

 真っ白な世界。振り返るとお土産屋は消えていた。ひたすら真っ白な空間。マシュマロ君もいない。


 いやだ、戻して!!!独りにしないで!!!


 リサコは叫んだが、この空間では音が伝わらないのか、何も聞こえなかった。自分の声すら聞こえない。


 真っ白すぎて、上も下もわからない。

 パニックがリサコの中にざわざわと広がり始めたと同時に、急に床と天井の区別がつくように景色に陰影が出現したかと思うと、「ターゲットを確認。転送します。」という機械的な女の声があたりに響き渡った。


 ザーーーと天井と床が動く気配がする。リサコの身体は宙に浮き、ものすごいスピードで移動をしているようだった。


 「転送完了しました。」チン、と音がして、リサコは四方が赤いカーテンに囲まれた小さな空間へと降り立った。まるで洋服屋の試着室みたいな空間だ。


 ベちゃっと音がして、上からヌルヌルの半透明の液体が降って来た。リサコは全身ヌルヌルになってしまった。


 気が付くと、持っていた登山用のスティックもなければ、着ていた浴衣も消えていた。


 急に足首の痛みが復活した。リサコはその場に倒れこみそうになり、咄嗟にカーテンをつかんだ。すると、カーテンが外れてしまって、リサコは前のめりにこの小さな部屋から転がり出た。


 足首の痛みに悶えていると、人の声がした。

 「まじか!?R番台だぞ。」

 見上げると、見知らぬ男がリサコを覗き込んでいた。

 20代中盤くらいの、眼鏡をかけた、黒髪短髪、無精ひげ。どこにでもいるような男だ。


 「チーフ、出ました。なんとR番台ですよ!」

 男は壁のスピーカーのようなものに話しかけると、再びリサコの元へと戻って来た。

 リサコは痛む足首をかばいつつ、力を振り絞って体を起こした。


 「ああ、ダメ、起き上がらないで。ああ、まだ言葉わからないか…」

 男に言われて、リサコは再び体を横たえた。

 「ん?通じた?まさかな。まってろ、いまアクティベートしてやるから。」

 男が言うと、彼の目の前に半透明な画面が出現し、何やらコードのようなものがその中を流れ始めた。


 あれは、ヤギが使っていたのと同じやつだ!!


 リサコは恐怖にかられて、体を起こそうとした。

 「大丈夫、怖がらないで、すぐ終わるから。」

 男性に肩を抑えられて身動きが取れなくなった。頭の中で、ジジジジジと音がしたが、それだけだった。

 「あれ?終わったのかな?何か変だな。R番台だからな…。あとは?どこか痛くない?」

 リサコは足首を指さした。男が再び半透明の画面をそちらへ向けて何か調べている。


 「これはひどいな、痛かったろうに。変な降り方をしたのかな?」

 足首のあたりに、チクチクと妙な感覚がした。

 「はい、これでよし。立ってみな。」


 リサコがぽかんとしているので、男性がリサコの腕を持って彼女を立たせた。足首の痛みはすっかり消えていた。何度か足踏みをしてみて、そして飛び跳ねてみた。

 「な、すっかりいいだろう?そしたら、まずはシャワー浴びようか。」


 そこでリサコは素っ裸であること思い出した。しかし慌てているのはリサコだけで、男性は気にもしていない様子だった。

 「シャワー、わかる?そこにあるから。体の保護剤を流したら、そこにある服を着て、1009号室に来て。」


 男は一方的に言い、そのまま部屋を出て行ってしまった。残されたリサコは、わけもわからずに部屋を見渡した。リサコが出て来た赤いカーテンと、その反対側にはいくつかパーテーションに区切られたシャワーがついていた。


 裸でヌルヌルのままではどうにもならないので、リサコは男に言われたとおりシャワーを浴びることにした。シャワーのついたパーテーションに入ると、自動でお湯が出た。ちょうどいい湯加減のお湯が最初からいきなり出た。


 身体にまとわりついたヌルヌルは、お湯できれいに流れ落とせるようだった。保護剤って言っていた?


 リサコはまたもや、まったく理解できない世界に来てしまったようだ。こうなったらもう、どこまでも行ってやろうじゃないの。


 ヌルヌルが落ち切ったところで、自然とお湯が止まった。そして、間髪入れずにブワーっと床から風が吹いて、リサコの身体はあっとゆうまに乾いてしまった。


 よくできている。こんなの、リサコが今まで暮らしていた世界では見たことがない。もしかして、私は今、未来にいるのだろうか?


 シャワーのパーテーションから出て、先ほどの男が服があると指さしていた方を見てみる。そこには、大小さまざまなサイズの服がかかっていた。サイズ違いで、どれもグレー一色、同じデザインの服だった。


 リサコは自分にぴったりのサイズを見つけて着た。木綿のような肌触りで着心地は最高によかった。


 さて、そして、どうするんだっけ?


 「1009号室に来て」


 男の言葉がよみがえる。


 リサコは部屋のドアを開けて、恐る恐る外を見てみる。そこは、まるで病院の廊下のような、会社の廊下のような、殺風景なドアだけが並ぶ廊下だった。


 人の姿は見えない。


 少しだけ警戒心を緩めると、リサコは部屋から出て廊下に並ぶドアの部屋番号を確認し始めた。ちなみにリサコが出て来た部屋には「STARTUP ROOM」と書かれていた。


 1009号室は少し行った先にあった。思い切ってノックしてみる。「どうぞ」と中から声がした。


 ゆっくりとドアを開いて入ると、中には二人の人物がいた。さきほど「STARTUP ROOM」にいた男性と、初めて見る女性。女性は部屋の中央奥にある立派な机の向こうに座っていて、男性の上司的な立場であると推測できた。長い髪をポニーテールでまとめて、きりっとした顔をしている女性だ。


 二人は黙ってじっとリサコを見ていた。「バグがありそうって?」女が男に聞いた。


 STARTUP ROOMにいた男が、例の透明な画面を出して、何かを確認しながら「そーっすね。どこがおかしいのかざっと見た感じではわからないんですが、明らかにほかの人間と違うパターンで動いているようですよ。」


 「R番台の情報は他にないからな…Rは全部ニュータイプなのかもしれないな…」女が言いながら、自分も半透明の画面を出して、何かやり出した。


 リサコは黙っていた方がよいかと判断し、成り行きを見守ることにした。女はしばらく画面のズラズラ動く文字列を見ていた。


 「うん、たしかにソース的にはおかしなところはなさそうだね。ひとまずマニュアルどおりに進めようか……。」女の前の画面がシュッと消えた。


 「あらためてまして、こんにちは。私はアイスリー。」

 女が名乗ったので、リサコも名乗ろうと口を開いたが、女は話を続けた。

 「ではモニターを出して、チーム登録をします。」


 モニターを出す? リサコにはどうやるのかさっぱりわからなかったが、「モニターを出す」と思った瞬間に、目の前にあの半透明のモニターが出現した。

 そこに「I-3 TEAM ENTRY」という文字が浮かび、「YES」「NO」のボタンが点滅していた。


 躊躇している場合ではない雰囲気に呑まれてリサコは「YES」を押した。


 続けて、「O-4 GROUP ENTRY」と表示され、再び「YES」「NO」ボタン。リサコは「YES」を押した。


 「はい、ではあなたは私のチームの一員となりました。よろしく」


 リサコはわけもわからないまま、ペコとお辞儀をした。沈黙が流れる。


 「まさかとは、思うけど、ひとつ聞いていい?あなた、もしかして、自分の状況を把握していない?」

 アイスリーと名乗った女が言った。リサコはおずおずとうなずいた。

 二人が顔を見合わせて驚いた顔をした。やがて、アイスリーが話し始めた。


 「アールツー…。あなたアールツーよね?自分が知っていることを話してくれる?」


 私?アールツー?

 リサコはアイスリーたちに今までの経緯をできるだけ簡潔に話した。ヤギの首を切ったことまで話すべきか悩んだが、この人たちには話した方がよいと感じ、包み隠さず話した。


 「というわけで、私はアールツーではなくて、山本 理沙子です。何かの間違いでここに来ちゃったのかも……」


 再びの沈黙。リサコはとてもまずいことを言ってしまったかと思い、後悔した。何も覚えていないフリをした方がよかったのだろうか…。


 「すげー…」男性が言った。「すげーよ、チーフ!!この子、第三節から来たんじゃねえの??」

 「まさか!あり得ないでしょう。記憶がバグってるとか? R番台ってみんなこんな調子なのかしら…。」


 しばらく二人はリサコがわからない内容で議論をしていたが、決着がつかなかったらしく、話すのをやめた。


 「まあ、いいわ。ヤマモトリサコ。あなたの主張を尊重して、そう呼ぶね。あなたはひとまず、予定どおり私のチームに入れる。Rもいることだし。あなたたちが何者なのか、調べさせてもらうね。でも安心して、ここでは予定どおり役割を持ってもらって、普通の人のように日常を送れるにしてあげる。慣れるまでは、ここにいるオーフォに教えてもらいなさい。」


 「STARTUP ROOM」の男がにっこり笑って少し頭を下げた。


 リサコはオーフォと紹介された男に連れられてアイスリーの部屋を出た。何もない廊下の突き当りにエレベーターがあり、それに乗り込むと、オーフォは例の画面を出して、「50」という数字を出して続けて表示された「YES」を押した。


 50階へ行く、ということだろうか?ここは高層ビルの一角なのだろうか?


 てっきり上るのかと思いきや、エレベーターは下へ降り始めたようだった。50階が下だとしたら、ここは何階だったのだろうか?部屋番号が「1009」だったということは??まさか100階??


 やはり、ここは未来なのかもしれない。年代を確認するのを忘れていたことを思い出した。


 「あの、オーフォさん…すごく変なことを聞きますが、今って何年ですか?」

 オーフォはリサコを振り返って怪訝な顔をした。

 「いえ、あの、さっき話したときに言い忘れてたんですが、ここで使われている技術に見覚えがないんです。それで、もしかして、私、未来に来ちゃったのかなー?なんて思って…」

 「え?どういうこと?」

 「私いま、時間感覚がぐちゃぐちゃなので定かではないんですが、記憶にある限り、2010年にいたはずです。今って、何年ですか?」


 オーフォはしばらく考えてこう言った。「それはユニックスタイムのことかな?今は、8857580027…とかその変。随時進むからこんな答えになるけど。」


 ここで、エレベータが到着して、会話が終わってしまった。


 ユニック……??? てゆうか、ここどこ?地球??


 リサコの困惑は、困惑の極みまで達し、思考が停止した。もう考えてもわからない。考えるのをやめよう。


 50階はリサコたちが降りてきた階とは雰囲気が全く異なっていて、20階分ほどが下方に吹き抜けになった巨大な空間だった。


 とても屋内とは思えないほど広く、一番下は公園のようになっているのが見えた。その周りを、年季の入った鉄骨で組まれたさまざまな施設が乱立しており、渡り廊下や階段が入り乱れて、雑然とした風景を作り出している。


 あちこちに人がいて、それぞれ仕事をしているか、ぶらぶら歩いているかしている様子だった。そのすべての人が、同じグレーの服を着ていた。ここの人たちは、ファッションには興味がないのか。それとも禁止されているのか。


 「すごいだろう、ここで君は暮らすんだ。何でもあるよ。」

 オーフォが言った。

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