第89話 片鱗
「周りの視線は気になりますが、相変わらず素晴らしい町並みですね」
「ああ。最初の頃とは大違いだ」
俺とニーフェは二人並んで、目的もなく下界を歩いていた。
「ええ、そうですね」
「……」
俺は笑顔で頷くニーフェを横目でチラリと見た。
下界に来てから十数分の時が流れたが、未だニーフェは本題に入ろうとしなかった。
これまでに何度か俺の口から本題に入るように促してきたのだが、ニーフェはどういうわけか話を逸らしてきた。
言いづらい話なのか、それとも単なるド忘れなのか。
まだまだ時間はあるが、それにしても引っ張りすぎだ。
それに、バベルではユルメルが一人でヘレンの面倒を見てくれているだろうし、話があるなら早めに済ませておきたい。
「ニーフェ。ヘレンのことでわかったことがあるなら、今から三秒以内に答えろ。でなければ、絶交だ。三、二……」
そこで、俺はあまり気が進まないが、強制的にその口から聞き出すことにした。
その場で立ち止まり、ニーフェの肩を叩く。そして、右手で立てた三本指をゆっくりと一本一本減らしていく。
「わわわっ! い、言いますから、絶好はダメですよ! あ……ゲイルさんの手、温かい……」
「よし、とっとと話せ。そして手も離せ」
ニーフェは本気で慌てたような顔をして、俺の右手を自身の両の手のひらで強く包み込んできたので、俺はギロリと目を細めて話すように促した。それと同時に温もりを感じる手を力づくで解放する。
その時の表情が若干恍惚としていた気もするが、今はスルーしておくとしよう。
「……何かハメられたような気がしますが、まあ良いでしょう。ゲイルさんの温もりをこの手で感じられたのは、大きな進展だと捉えることにしますね?」
ニーフェは普段よりもワントーン高い声でそう言いながら、音が聞こえてきそうなウインクをした。
「よくわからんが、本題に入れ」
俺はそんなニーフェの言動に辟易してため息をつきながらも、そう言い放った。
それにしても、久しぶりにニーフェの”深さ”を見た気がする。ニーフェと出会ってからまだそれ程の月日は経っていないというのに、ニーフェの人を信用しやすい性格のせいかおかげか、グッと距離が縮まったように思える。
「では、単刀直入に言います。ヘレンは何としてでも故郷に帰すべきです」
「ふむ……そう考える理由は?」
街の中心部からは少し外れた人気の少ない路地の真ん中で、俺とニーフェは真剣な顔で対峙していた。
「私はドワーフやエルフなどの種族が赤ん坊に思えるほどの長い時間を生きています。そのせいか、目の前にいる人間が呪いの類いに侵されているかどうかや、奴隷であるかどうかが文字通り一眼で理解することができるのです」
ニーフェは後ろで手を組んで俺の周りを歩きながら言葉を紡いでいった。そして、俺が頷いたことを確認すると、「例えば、ヘレンの場合……」と言いながら俺の目の前で立ち止まり、俺の背後に聳え立つバベルに目をやった。
「それはそれは強大な”何か”が体内に宿っています。それも、人間の力では扱うことすら不可能なほどの”何か”が植え付けられています」
「それを俺の力を使って取り除くことは可能か?」
植え付けられたなら取り除けば良い。それができるかどうかは置いておいて簡単な話だ。
「私には少々わかりかねます」
俺の問いにニーフェは苦々しい表情で首を横に振った。
俺のことを慕ってくれていることは確かだが、それは何も全部の言葉を肯定するということではない。
ニーフェは正直に自分の心を言葉にしたのだろう。
「そうか。それなら、ヘレンの病とやらの症状を教えてくれ。おそらく、それは病などではなくニーフェが言う”何か”だろう?」
俺にヘレンを押し付けたショーンさんは確か「この子は病に侵されている」と言っていたはずだ。
仮にニーフェの眼が正しいとするなら、それは病などという生易しいものではなく、奴隷契約魔法のような強制的な力の他にも、呪いのような”何か”が働いているのかもしれない。
「多くの症状が見つかりましたが、最も発症する頻度が高かったのは、血を含んだ細かい咳と胸部を締めつけられるような鋭い痛み……でしょうか。どちらも数分で収まるものでしたが、ヘレンの顔色はかなり悪かったと記憶しています」
ニーフェは悲壮感漂う表情を浮かべながら首を垂らしていた。
たった数日の間とはいえ、俺たちの中ではニーフェが最も長くヘレンと過ごしていたので、真実を知ると同情する気持ちが強くなってしまうのだろう。
「すまなかったな。全て任せてしまって。大変だっただろう?」
胸部というと心臓の辺りだろうか。ただの病なのだとしたら魔法ですぐに治せるのだが、ここまで放置されていたということは確実に違う。
あの頭の回りそうでズル賢いショーンさんが、売り物の病を治さないわけがないのだ。
「全然そんなことありませんよ。ユルメルも協力してくれましたし、ヘレンはゲイルさんの前だと内気でしたが、私たちに対してはとても良い子でしたから。それに……ゲイルさんの力になれて私は嬉しいです……」
序盤こそ明るかったニーフェの言葉は、最終的には光のない暗い瞳によって支配された。
しかし、お決まりのヤンデレ感はそれほど見当たらず、そこにあったのは照れるという純情な感情のみだった。
そんな姿が恋愛感情とは別に愛おしく見えた俺は、太陽の位置から日が沈むまでの大凡の時刻を瞬時に計算した。
「……よし! ニーフェ、俺と名も無き領地を一緒に観光しよう。日が沈むまではまだまだ時間があるからな。行くぞ!」
「あ……ゲイルさん、私、今胸の辺りがキュンとしちゃいました。これは私のことが好きってことで良いんですね? もうっ、ゲイルさんったら自分からこんな強引なことしておいて全く振り向きもしないなんて、本当は照れているんですね? そうなんですね! やった、やりました! 遂にゲイルさんとの距離がまた一歩縮まりました! この手は一生離しませんからね? 私が死ぬその時まで」
俺は特に先のことは考えずにニーフェの手を取り、街の中心部があるバベルの方角へ向けて走り出した。
手を引かれて俺の後ろを走るニーフェが、何やら喜怒哀楽様々な声色で独り言を発していることについては、あえて触れないでおく。
久しぶりにまともに向き合って話をしたから、その埋め合わせにとでも思って観光をしないかと誘ったのだが、どうやら思いもよらぬ方向に転んでしまったようだ。これは手を離してもらうのにも、いくつかの口実が必要になりそうだな。
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