70. メアリーの長い夜
「痛ッ──」
改めて自分の手の惨状を見たユアンが、そこで初めて痛みを覚えた。人生初めての戦闘で感覚がどこかに吹っ飛んでいたらしい。
「ごめんなさい、私にもっと魔力があれば」
痛みを消し去るほどの魔力がないと言っていたメアリーは、それでもユアンの手に回復魔法をかけ続ける。
床にメアリーの涙がポタポタと落ちる。
「ありがとう、もう大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃありません!」
ユアンの手がさらに眩いばかりの光で覆われる。
「いや、でも本当に、……もう痛くないんだよ」
やさしい声音にメアリーが顔をゆっくりと上げてユアンの藍色の瞳をじっと覗き込む。
「本当だよ、さっきより痛みが引いた気がする」
全く痛くなくなったわけではない、でも確かにドクドクと心臓がそこにあるのではないかと思うほど痛みを伝えてきていた手のひらは、少しづつではあるが痛みが和らいだいる気がする。
「でも、まだこんなに痛々しい……」
「本当だよ、完全に痛みがなくなったわけではないけれど、本当にはじめより痛くなくなってるんだ」
不安げに若草色の瞳を揺らすメアリーに、ユアンが手のひらをグーパーをして見せる。
「あぁ、でもやっぱり動かすとちょっと痛いかも」
ホラと言って見せといて次の瞬間には再び顔をゆがませたユアンに、思わずメアリーがプッと噴き出す。
色々な感情がごっちゃまぜになりすぎてもう訳がわからない。メアリーの泣き笑いの顔を見て、ユアンもようやく色んな感情が押し寄せてきたのか、その頬にツーと涙が流れた。
「ユアン様、無理しないで」
「いや、これは痛いんじゃなくて……──」
言葉がうまく出てこない。
「ハーリング様、ベーカー様。ありがとうございます。後はこちらで処置します。二人は一度王宮で手当てを」
ユアンに魔法石を渡してくれた隠密の一人がそういってユアン達を促した。
「そうだ、マリーたちは」
「大丈夫です」
その時外でヒューと空を割く音が聞こえたと思ったら、ドドドという爆裂音が鳴り響いた。
「なっなんだ」
ユアンが無意識にメアリーを守るように自分の胸の中に抱き寄せる。
「メアリー様が無事救出されたことを知らせる花火です」
隠密の男がそんな二人にニコリとほほ笑みながら説明してくれた。
「これで、全て片が付いたことが伝わったはずです」
「これで……全てが終わった……」
ローズマリーとレイモンドは学園長と生徒たちの前で婚約発表をして今夜のダンスパーティーは円満に終わりを迎えるだろう。
「だから、ハーリング様たちは医務室へ」という隠密の男の言葉は最後まで言えなかった。
「メアリー行こう!」
「えっ?」
「約束しただろ。僕にエスコートさせてくれるって?」
そういってメアリーの体を引き離すと一歩下がり、メアリーに向けてボロボロになった手を差し伸べた。
「はい、確かに約束しました」
メアリーは満面の笑みでそう答えると、ユアンのボロボロの手に自分の手を重ねる。
「じゃあ、すみません、僕らは」
隠密の男がやれやれという顔で首を振ると何かを呟く。
するとユアンとメアリーの体が一瞬ふわりとした浮遊感に包まれた。
「これくらいしかできませんが、少しはましに……」
キールと一緒に仕立てた、おろしたての
隠密の男は「うーん」とうなると、自分の身に着けている黒いマントを取り外すとユアンの肩にかけた。
「うん、まあこれで幾分ましになったでしょう」
「すみません、これは後で──」
「大丈夫です。今回の報酬とでも思ってください」
「でも」
「こんな汚いマントじゃ割りに合わないでしょうけどね」
そう言って隠密の男がハハハと笑う。その横で今度はメアリーがハンカチを取り出してユアンの顔を丁寧にふく。
「メアリーハンカチが汚れちゃうよ」
「大丈夫ですから大人しくしてください」
と、まるで小さな子供にいいきかすようにやさしく、だがぴしゃりと言う。
「完璧です」
そうしてメアリーもニコリと微笑んだ。
「それじゃあ行こうか」
「最後の曲までに間に合うかしら?」
「大丈夫」
そういうとユアンはひょいとばかりにメアリーをお姫様にするように抱き上げる。
「落ちないようにしっかりつかまって」
「重いですから下ろしてください。私も自分で走れますから」
「大丈夫ですよ。このために鍛えてきたんですから」
冗談か本気だかわからない真顔でユアンがメアリーを見る。顔を真っ赤にしてメアリーが恥ずかしそうにそっぽを向く。
そんなメアリーを見てニコリと笑むとユアンが魔法の言葉をつぶやく。
「風魔法”疾走”」
キャッ!とメアリーがユアンの首に慌ててしがみつく。
「よかったメアリー。本当に──」
ユアンが何かを呟いたが風を切る音でメアリーの耳には届かない。
ただメアリーを抱えて疾走するユアンの表情はすごく晴れやかなものだった。
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