48. 準備運動

──次の日の朝は、馬のいななきで目を覚ました。


「キールじゃないか!」


 テントから顔を出すと、朝日と一緒にすがすがしいまでに爽やかなキールの姿が目に飛び込んできた。

 どうやら騎士学部の訓練合宿が終わって、そのまま馬でこちらに駆け付けたようだ。


「おはようございます皆さん。あっアンリ先輩──!」


 すでに着替えも済ませ、朝食の準備をしていた女性たちに向かって、元気よく挨拶をする。そしてそのまま続けて何か言おうとしたがアンリのワンピース姿を見て続く言葉を飲み込む。そして、頬を赤らめながら顔をそらす。アンリも思わず同じように頬を染め顔をそらす。


「…………」

「…………」


 いつものように怒鳴りながら間に割って入ると思われたアスタは、ユアンの横から顔を出しそれを目のあたりにしたが「朝食ができたら起こしてくれ」とだけ言い残し再びテントに潜った。


「えっ、アスタ先輩どこか調子悪いんですか」


 おもわず心配してしまう。 


「おはようキール君、ちょっと手伝ってくれるかい」


 その時朝食のための薪を拾って戻ってきたアレクがキールに声をかけた。

 ユアンも急いで身支度を整えると。


「僕も手伝います」

「いや、キール君だけで大丈夫だから、ユアン君は女性たちの方を手伝ってやってくれ」


 それは遠慮しているというより、ついて来るんじゃないぞと念を押されたような気がユアンにはした。


「ユアン様、これは……」

「大丈夫でしょか?」

「アレク先輩なら大丈夫だとは思いたいけど」


 アレクとキールの立ち去った方をじっと見つめながら、ユアンたちがごくりと唾を飲み込む。


 アスタの異常な過保護ぶりが目立っているだけで、決してアレクが普通かといわれるとそうとも言い切れない。

 いつもおどけた態度で誰とでもすぐ打ち解けられておおらかそうに見えるが、キールが部室に入って来ると一瞬だけアレクの周りの空気がピリリとする。

 一年以上付き合ってようやく気が付く程度だが、アレクもアスタに負けず劣らず結構なシスコンである。


 刹那二人が消えた先からすごい突風がユアンたちを襲った。

 鏡のようだった湖畔に幾重にも波紋が広がる、小鳥たちも危険を察知して一斉に飛び去って行く。


「これは!」

「戦ってるのか!」


 ローズマリーとメアリーが青ざめる。


「止めにいったほうが」


 でも相手は魔法学部魔術大会優勝者と剣鬼だ、ユアンがいったところで止めるなど不可能。逆にユアンの命が危ない。


「大丈夫だって、ちょっと朝の準備運動してるだけだから」


 この騒ぎでようやくアスタがテントから這い出てくる。


「準備運動?これが……」

「死にはしないさ、あの二人なら」


 アスタはそう言って鼻で笑い飛ばすと「腹減った、朝食はまだか~」と、この騒動にも黙々と朝食の準備をしているアンリの方へ歩いて行く。


 みんなが朝食を食べ終わること、ところどころボロボロになっているにもかかわらず、そんな風貌とは裏腹に爽やかな笑顔で談笑しながら、アレクとキールが林の奥から帰ってきた。


「いやーいい運動した」

「アンリ先輩すみません、これ食べたら俺ちょっと寝かしてもらいます」


 キールはほとんど夜通し馬を走らせてきた挙句、アレクの準備運動という名の洗礼を受けたのだ。ニコニコしてはいるがさすがに疲れの色が濃い、でもその顔はどこか悟ったようなすっきりしたような、たった数分前に見たはずなのにその時とは違う何かを胸に秘めた男らしい表情になっていた。

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