第26話 お夜食と夢ある噂
初めてのガルバーでのお勤めが終わり、私は寮に戻った。お腹が減ったので寮のコンビニで夜食でも買おうと思い、コンビニに入ろうとした時に店の前で管理人のお婆さんに話しかけられた。
「初めてのお勤めはどうだった?うまくいったかい?」
「はい。ロミオの御かげでなんとか…。お婆さん今日はどうしてこんなに遅くに?」
「ただの残業。手のかかる子がこんな時間まで仕事してるもんでね」
ようは私のことが心配だったって事か。いい人なんだな。なのに私はこの人の名前さえ知らない。
「あの…。今更ですけど、お名前を教えてもらえませんか?初めて会った時聞きそびれちゃったままだから…」
「やっと愛想が出始めたね。いいよ。私の名はオリヴィア・スオラハティ。まあ皆ババアって呼ぶけどね。あるいはオリヴィアババアでオリバーなんて仇名で呼ぶ奴もいる。リズとかアリスがここにいた頃はそう呼んでたよ」
「男の名前じゃないですか。ひどい仇名ですね…。私はオリヴィアさんって呼んでいいですか?」
「構わないよ。まあ、オリバーは結構気に入ってるんだ。あんたたちは男の名前を名乗ることを強制されてる。なら私だってそれに合わせてもいいさ。あんたたちがそう望むならね」
そういう捉え方もあるのか。大人なんだな。私はこういう人たちの支えを無視していたわけだ。恥ずかしくなる。
「見たところ夜食を買いに来たってところかい?」
「ええ。そうです」
「ならついてきな。食堂に残りもんがある。弁当よりもずっと美味くてせいがつくさ」
私はオリヴィアさんと共に食堂に行った。オリヴィアさんは残り物とさらに冷蔵庫のものを使った料理を私に振る舞ってくれた。
「美味しいです!」
牢屋から出て何も口にしていなかった分、箸が進むこと進むこと。さらに言えば初めてお仕事の高揚感もあったのかも知れない。
「あんたバイトもしたことなかったんじゃない?」
「はい。そうです。母に禁止されてました」
「だろうね。あんたはなんか世間知らずみたいなところがある。ここの子は皆大なり小なり歪んでるけど、あんたはその中でもさらに歪んでた。私は研究者じゃないから正確なことを言えないけど、後天的にサキュバスになった子は皆どうも元々母親と上手く行ってない感じがあるのさ。ユリシーズもあんたに似てたね。ここに来たばかりの頃はすごく荒れてた」
「ユリシーズと私が似てる?」
「ああそうさ。あの子も外の世界じゃキャリアを順調に積んでた。貴族院にも議席のある由緒正しい貴族の家に生まれたお姫様。そして帝国軍士官学校をトップの成績で卒業。海外の紛争で勲章を取りまくってた英雄だった。あんたも飛び級で修士を取ってて研究では実績もあった。よく似てる」
「あの人そんなすごい人だったんだ。でもサキュバスになったちゃった」
その先は想像に難くない。キャリアは絶たれて家族にも捨てられて。ここで生きていく以外の手段はない。それはどれほどの屈辱だったのだろうか?
「そう。あの子は海外での作戦中に高濃度魔力暴露事故に遭遇したらしい。それでサキュバスになって除隊させられてここに来た。一時期は本当に酷かったよ。軍に戻ろうとしたり、実家に戻ろうとしたり。でも全部無駄になってしまって、諦めちまった。私はあの子のことを心配してるよ」
あの人はここにもいいものがあると言っていた。今日の接客はたしかに素敵なものだったと思う。だけどそれは私が望んで得たものではない。
「あんたたちの可哀そうなところって恋愛にさえ逃げられないこと」
「別に恋愛に興味はないです」
「まあ一般論として聞いてくれ。よく言うだろ?女はいざとなったら結婚で人生の上がりを決められるって」
「まあそういう意見はわかります。私は納得できませんけど。人に頼るような弱い生き方は私にはできません」
「あんたの今風な考え方はいいことだけどね。だけど何にも取り柄がない子や、あるいは理不尽に打ちのめされてしまった子なんかは男に逃げて守ってもらうっていうのもありなんだよ。それを弱い生き方っていうのはわかるけど、本人たちは必死なんだ。それは選択肢としてはありだと思う。だけどあんたたちはそれすら許されてない。ここは男たちに媚び売って生きるしかない子しかいないのに、その男たちに頼ることは許されていないんだ。私はおかしいと思う。ここは何もかも狂ってる」
サキュバスという生き物そのものがきっと不自然なんだ。吸血鬼とかみたいに人間を明確に捕食するような強者ではない。精気を吸うには感情を揺さぶるしかない。そのためにサキュバスは性欲と言う人間の根幹を揺さぶる能力に特化しているわけだ。なんと惨めな生き物なのか。成長すれば戦闘能力は髙くなるという、だけど結局はそれさえも男たちがいないとどうにもならないものでしかない。捕食ではなく依存こそがサキュバスの本質。私がコピーした剣術だって元は男が努力して得た結果だ。それを色香で掠め取る。卑しい生き物と私は自分自身を蔑む他ない。
「ユリシーズは今は落ち着ているっていうか。余裕がありそうな感じですけど。なにか立ち直った切欠があったんですか?」
「あの子の場合は闘技場に出入りするようになってから落ち着いたかな」
「闘技場…。あるのは聞いてたけど」
「そうさ。結構人気だよ。あの子はもともと軍人で貴族だからね。ガルバーとかレンタル彼女とかキャバとかにちっとも馴染めなくてね。もちろん他の仕事も駄目。だけど闘技場は別。そのままハマって今や序列三位までのし上がった。異常な熱意を込めてる。いずれはクイーンになれるかもね。さらにはエンプレスにも手が届くかもしれない」
「クイーン?エンプレス?なんですかそれ?」
「クイーンはパーク序列一位の称号。このパークで一番偉いサキュバスのこと。んでもってエンプレスは…。私もよくわからないんだ。帝国にある全パークの中で一番優れたサキュバスに贈られる称号らしい。過去に一度だけ選ばれたサキュバスがいるけどその子はもうパークにはいないらしいんだ。噂じゃエンプレスは政府からどんな願いでも叶えてもらえるらしくてね。それで取引してパークから出て行って今は外で暮らしてるとかなんとかって話」
「外に出たねぇ…。でてもサキュバスのままじゃあんまり意味がない気がするけど」
「あくまでも噂だからね。詳しくはロミオあたりに聞くといいさ。あの子はここの最古参だからね。そういう話は何でも知ってるはずだよ」
「そうですか。まあ気が向いたら聞いてみます」
所詮は都市伝説の類だろう。ここから出られないサキュバスたちが作り上げた願望の類だ。私だって今の話にちょっと夢を持ってしまった。だけどそんな不確定な話に縋るわけにはいかない。私は地に足のついた生き方を模索していかないと行けないのだから。
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