第15話 ママからのさようなら

母はまるで私から隠すように気絶した弟を抱きしめている。そして私のことをまるで汚らわしいものを見るかのような冷たい目で睨んでいた。


「なんでここにいるの?!あなたは隔離施設に送られたんでしょう?!逃げ出してきたの?!」


「違うの。ちゃんと外出届を出して、それで帰ってきての。法律には外で暮らしてもいいって書いてあって、今はその審査を待っててそれで…」


 あんな酷いところで私は暮らせない。ずっと外で何の問題もなく過ごしてきた。だからこれからだってできるはずなんだ。私はこれからも家族と一緒に過ごしていきたい。母だってそれはきっと同じはず。


「何を馬鹿なことを…。サキュバスが外で暮らせるはずないのに」


 馬鹿な事…?そんなことない。私は他のサキュバス共とは違う。ちょっと失敗しちゃったけど、きっと次はうまくやれる。


「そんなことないよ。私なら大丈夫だよ、お母さん。他の人に迷惑なんてかけないし、他のサキュバスたちと違って男を誘惑して楽しんだりなんかしないもの」


「嘘つき!あなたはいつもそう!嘘ばっかりつく!」


「嘘なんてついてないよ!私はうまくやれるよ!昔みたいに大人しく過ごせるよ!ちゃんとお母さんに教えてもらったとおりに上手くやるから!」


 ちゃんと母の言う通りにやってきた。化粧もしなかった。スカートも短くしない。肌を晒すようなこともしなかった。胸が大きくなってもまわりに気がつかせないように体のラインを出さない服も着てきた。


「嘘つき!小さいころからあなたはそうだった!男の子の目を集めるようにばかリ振る舞ってた!その顔に!私に似てないその顔に群がる男の子ばかり侍らせて女王様気取り!よく覚えてるわ!幼稚園の時!小学生の時も!迎えに行くたびに男の子があなたの後ろをゾロゾロとついてきてた!」


 そんな小さなころの話は覚えてない。私はいつも幼稚園や小学校でお母さんが迎えに来てくれるのを寂しく待ってた。男の子のことなんか考えてない。ずっとお母さんのことだけ考えてた。


「違うよ!違うの!お母さん聞いてよ!私はそんなことしてないの!男の子のことなんか考えたことないの!本当だよ!嘘じゃないの!」


「嘘つき!あなたはいつも男女問題でトラブルばかり起こしてた!中学校のときもそう!意味がわからなかったわ!せっかくあなたに慎ましさを躾けて女子校にいれてあげたのに、何の意味もなかった!」


「そんな!私はトラブルなんて起こしてないよ!たまに変な人に声をかけられてもちゃんと無視したよ!お母さんの言った通りにしてたの!」


「だからでしょう!?ちっともうまくかわしてない!男の目を集めることばかりしてた!それで私は散々な目にあったわ!あなたのことを見知った男たちが私のところへ来て交際許可を求めてくるのよ!権力使った便宜を私に与えてきたり、とんでもない大金を見せびらかしてきたり!なんであんなことを男たちにさせられるのよ…」


「私は何にもしてないの!変な人たちが勝手にやってるだけ!私は知らない!知らないの!」


 母はさっきから何を言っているんだろう?私にそんなことが出来るはずもない。確かに私は根暗だからうまく人を躱せないときがある。でもそれで変なことをする人がいても私のせいなんかじゃない。


「私は知らない?知らないですって!嘘つきめ!あなたは自分のことをよく知っていて、周りを惑わすのよ!だからその卑しい心根を出さずに済むようにみっちり躾けた!男の目を惹かないように、女らしく振る舞えなくしてあげたのに!あなたのためにそうしてあげたのに!」


「わかってるよ!お母さんはいつも私のために色々なことを教えてくれたのわかってるよ!だからちゃんとふしだらな女にならずにすんだの!男に構われて喜ぶビッチなんかにならずにすんだよ!慎ましく端っこで大人しく過ごせるいい子になれたよ!ちゃんとブスだった!だれからも構ってもらえないブスだった!トラブルなんか起こさないいい子だった!これからもそうだよ!お母さん!私はいい子だよ!いい子なの!」


 私はお母さんに心配ばかりされてた。だからちゃんとお母さんの言う通りに振る舞った。私以上にいい子なブスはいない。この世界で一番醜い女の子になれた。だって私はいい子だから。


「なんでせっかくブスの様に振る舞えるようになれたのに、やっと周りもそう思ってくれるようになったのに…どうしてサキュバスなんかに…」


「違うの!お母さん!違うの!私はサキュバスなんかじゃないよ!人間だよ!」


「この大嘘つき!だったらさっきのあれはなに?!勇に向かってあられもなく尻を振ってた!あなた気づいてなかったんでしょ?私すぐ傍にいたのよ。あなたたちが帰って来た時にはもうこの家にいた」


 そんな…。なんで私が帰って来たのに、声もかけてくれなかったの?


「そんな…なんで声をかけてくれなかったの…さみしいよお母さん…」


「そんなのあなたのせいでしょ!色事に惚けてて私のことがちっとも視界に入れてなかった!なんなのあの厭らしい顔は?!ポルノ女優だってあんな顔できやしない!それも弟が相手?!勇が可哀そうよ!魅了されてあなたのことしか見えてなかった!私が近くにいるのに気づいてもくれなかった!ねぇ?!私は勇のお母さんなのよ!なのに…なのに…あなたの尻を見て私のことを忘れるなんて…なんなのよ…どうしてこんな悔しさを知らなきゃいけないの…」


 母の目に涙が溜まってた。私はそれを見て悲しくなった。だから勇がしてくれたみたいに私も母に手を伸ばした。


「お母さん、泣かないで…」


「触らないでビッチ!汚らわしい!」


 母は私の手を叩いた。冷たい痛みが手の甲に広がる。


「お母さん、違うの。さっきのは違うの!ちょっと勇を驚かせて揶揄おうとしただけ、昨日からすごく力持ちになったから、ちょっと腕を挟んでびっくりさせてジャレてみたかっただけ。ただのイタズラなの!」


「イタズラなのに、あんなに甘ったるい声を出すの?頬を赤く染めるの?瞳を濡らすの?馬鹿馬鹿しいのよ、あなたの嘘は!」


「ちがうの!ちがうんだってば!ちょっとおかしくなってただけ!ちょっと疲れてて頭がおかしくなってただけなの!」


「普通の女は!あんな風におかしくなったりしない!」


「ちがうよ!私は昨日あんな事故にあったから、それでちょっと調子がわるいだけなの!」


「昨日今日の話じゃない!生まれた時からずっとずっとずっとあなたは厭らしい女だった!どうしようもないほどふしだらで、救いようもないほど淫らなままだった!サキュバスになったのは私から言わせれば、不思議でも何でもない!あなたは元からただのビッチなのよ!」


 母はとうとう両手で顔を覆って、激しく泣き出してしまった。私はそれを見てただただおろおろしてしまうばかりだった。どうすれば母に私は大丈夫なんだと理解してもらえるのかわからない。どうしたら私がビッチじゃないってわかってもらえるのかがわからない。


「お母さん。違うよ。私はお母さんの嫌いなビッチじゃないよ。ちゃんと勉強頑張ったよ。飛び級もしたし、今度レベルの高いジャーナルに論文も載るよ。すごく頑張ったよ。私すごく頑張ったの!」


「勉強できたから何?あなたみたいな男を咥えこむことしか考えられないビッチに勉強なんか要るの?」


 ふと昨日言われたことを思い出した。勉強できてもブスなら意味がない。そう言われた。だけどそんなの違うって思ってた。お母さんが言うことは正しいから、私はブスだから勉強しなきゃいけない、だから勉強を頑張った。


「お母さん…。何言ってるの?私は醜いブスだから勉強くらいは頑張れって言ってくれたじゃない…。必要だよ!私には勉強が必要なんだよ!ブスが生きていくなら学がなきゃダメってお母さんが教えてくれたじゃない!ちゃんと守ったよ!言いつけをちゃんと守れたんだよ!」


「呆れた…本気で自分はブスだと思い込めてたのに結局淫乱の性を忘れられなかったのね…筋金入りのビッチ。…ふぅ…なんでこんなのが私の娘なの…ちっとも似てないのに…どうして娘なの…」


「おかあ…さん。私は…」


「もういいわ。ビッチに人の言葉なんて通じない。男のことで頭がいっぱいなんでしょ?なのに頑張って躾けようとしたりした私が馬鹿だった。あなたなんて放っておけばよかった。男咥えこんで乱れてそこらへんの頭の悪い家で娘みたいに、そのままこの家から出て行ってくれた方がましだった。獣を躾けようとすることが愚かだったの。私は間違ってた。あなたを人間だと思っていたことがそもそも間違い。…出て行って…」


 冷たい声で出て行けと告げられて、私の体が震えた。怖い。ここ以外に私の居場所なんてない。


「嫌だよ…。お母さん。嫌だよ。ここにいたいの。家族なんだよ。一緒にいたいの」


「あなたはただのビッチ。私の家族じゃない。勇の家族でもない。ただのビッチ。男がいればそれでいいでしょ?私たちなんてあなたには必要ないわ」


「必要だよ。お母さん。だって私は勇の姉で、お母さんの娘だもん。家族だよ。必要なんだよ…。お母さん…」


「だからもういいの。あなたの言葉には意味がないわ。鏡で見たらいいのよ。男のことを考えてる時のあなたの顔は人間の女じゃない。獣の雌でしかない。私は人間だから。獣と家族でいられない。出て行って…今すぐに!!」


 母は大きな声で怒鳴った。俯いたまま玄関の方を指さしている。


「もうあなたは娘じゃない。さようなら。二度と顔を見せないで…」


 私にとって母の言うことはいつでも正しかった。だから出ていくこともきっと正しいことなんだ。そう自分に言い聞かせるしかなかった。私には母の心を変える言葉がなかった。私は玄関に向かって歩く。靴をはいてドアを開く。きぃっと音が響いた。だけど母は私に何の言葉もかけてくれない。もうここは私の居場所じゃないんだって、それでやっとわかった。そして私は部屋から出ていった。

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