⑪ ふつうの人なんかいらない ~side:夢未~

 文学乙女会議からの帰り道。

 雨の中、傘をささずに一人歩く。

『ばか。夢はばかだよ。だからってなんでそうなるの』

 ももちゃん、怒ってたな。

 子どものときからそうだった。

 わたしが理不尽なめにあうと、誰よりも、ときにはわたしよりも、怒ってくれた。

『ももぽん。気持ちはわかるわ。でも、夢っちが考えて決めたことなら、あたしは』

 せいらちゃんは、ほとんど泣いていた。

 人に共感してくれる力が強くて、男前なのに繊細で優しい。

 二人のそんなところが、まえから大好きだった。

 幸せな記憶とととなりあわせのように、子どものころからあるもう一つの想い。

 わたしは、期待外れ。

 わたしは誰からも望まれない。

 わたしはいらない。

 どうしてだろう、こんなに最高の友達がいるのに、やっぱり思ってしまうの。

 このまま雨に流されて消えてしまいたいと思った。

 もし、神様がわたしをつくったんだとしたら、どうしてこんな、欠陥だらけでのでこぼこに作ったんだろう。わたしがこんなだから、誰からも好きになってもらえなかった。お母さんにもお父さんにも。

 一生のうちでただ一人、好きになった星崎さんだって、幸せにしてあげられない。

 水が跳ねる地面に、うずくまる。

 ふと、身体にあたる雨が、やんだ。

 上に傘をさしてくれる人がいるんだ。

「いくら悲しいときであっても、自分を粗末に扱うのはよすんだ」

 とほうにくれたような言葉がふってくる。

「何度言ったらわかってくれるのかな」

「……ごめんなさい」

 顔をあげて、彼を見た。

 頬に伝うしずくを彼の指が、ぬぐう。

「そんな顔しても、今日はほだされないからね。思いきり叱るよ。たとえ恋人じゃないとしても、人間同士として」

 一気にそう言って、肩を抱かれた。

「夢ちゃん。いい加減、自分を大事にすることを、覚えてくれ」

 彼に肩を押されて、ゆっくりと、わたしは歩き出した。

 屋根のあるバス停で雨宿りすることになった。

 彼が肩にかけてくれた黒いジャケットの肩にふれる。

 星崎さんは、ベンチの後ろにもたれて立っている。

 沈黙が気まずいなと思っていたら。

「理由を、きかせて」

 前を向いたまま星崎さんがそう言って、わたしはうつむいた。

 やっぱり、そうなるよね。

「オレが嫌いになったならそれでいい。君がなにを想ってるのか、それを知らないうちは、諦められない」

 雨音が、いっそう強くなった。

 言おうとして、息をすって。

 声のまじらない息を吐いて。

 それをなんどか繰り返すうち、ぼんやりと思う。

 やっぱり、彼に納得してもらわないとだめだ。

 わたしがでこぼこだってこと、正直に打ち明けて。

 心を決めて最後に息を吸ったとき、不思議と音はしなかった。

「わたし、子供が生めないんです」

 あたりの暗さが増す。

「薬を飲み始めて、こころは落ち着いてるけど、代わりに、必要なホルモンのバランスが取れないらしくて」

 だから、星崎さんとは、結婚できません。

 そう繰り返す自分の言葉が、やっぱりいちいち痛い。

 病院でそう言われたあと、まっさきに思った。

 ふつうのお嫁さんにはなれないんだって。

 長い、長い吐息が、耳をなぞっていく。

「ほんとうにきみは、夢ちゃん」

 悲し気に、そして、少しだけ怒ったように。

 彼の声が続いた。

「たまにとても愚かだ。雨のようにあふれる優しさが、君に何もみえなくしてしまうんだうね」

 一瞬、それまで身体の外側にあった寒さがなくなった。

 しめつけるほど強く肩を後ろから抱かれているんだと、気が付いた。

「そんなことで手放すくらいなら、さいしょから愛してなんかいない」

 星崎さん……。

「でも、わたし、星崎さんに幸せをあげたかった。ふつうの女の人みたく。どうしてわたしはいつもふつうじゃないの」

「ふつうの人なんかいらない」

 気が付けば肩に彼の顔がうずもれている。

「夢未。オレはきみがいればなにも、いらない」

 どうして。

 どうしてこの人はわたしのほしい言葉をくれるの。

 そして、その言葉の選び方もかけかたもずっとじょうずだ。

 わたしよりも。

「つべこべ言ってないで、おとなしく奥さんになりなさい。わかった?」

「はい」

 肩の横から、いたずらっぽくのぞきこんでくる目に、答える。

「はい……。星崎さん」

 ふと、彼の目がいつものおだやかなものに戻る。

「――で、ことは相談なんだけど」

「はい?」

 いきなり、なんだろう。

「夢ちゃん。このさきもその呼び方はどうかな」

「え? 星崎さんって呼んじゃだめですか」

「だめじゃないけど、ちょっとね。だって夢ちゃんも同じ苗字になるんだよ」

「あ」

ぽっ。

「別の呼び方で、呼べるかい」

「……じゃぁ」

 わたしは一瞬ためらって。

 勇気を出して、彼を、読んだ。

「星崎様」

 ……。

「よけい他人行儀になってどうするの」

「星崎王子」

「なんだかオレがそう呼ばせてるみたいだからそれもちょっと」

 じゃぁ――やっぱり?

 うう。恥ずかしすぎたんだよ~。

「幾夜さん」

 彼はくすぐったそうに微笑んで、よしと笑った。

「帰ろうか。――夢未」

 気が付いたら雨はやんで、栞街の隙間に虹がかかっている。

 わたしたちの家に向かって、彼のあとに続いた。

 長くなっちゃったけど、これが少し先の、わたしたちのお話。

 いろいろあるけど、やっぱり。

 文学乙女の恋って、幸せです。

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恋せよ文学乙女 ほか @kaho884

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