① Take Off!
ここは、KB社航空機ファーストクラスの機内。
膝を伸ばして横になることのできるゆったりした席に、傍らにはサービスのキャンディー。たまにCAさんが通りかかって、お飲み物はいかがですか? とまできいてくれる。
空港もはじめてで、飛行機ってこんなホテルみたいなところなんだって言ったら、ももちゃんに、違うから、神谷先生の実家会社の力でファーストクラスをとれただけだからってつっこまれた。
ぐるりと身を乗り出すと、通路を挟んだ向こう側に、そのももちゃんと、カレのマーティンが楽しそうにおしゃべりしてる。とくに、マーティンの目の輝きがすごい。
それはそうだよね。カレの出身地はドイツ。久しぶりに、故郷に帰れるんだから。
「美術館、楽しみだな…。デューラーのあの有名な絵が見られるんだ……!」
と思ったら、思いっきり観光客気分みたい。ももちゃんも苦笑してる。
「絵を見られて幸せなんて、なーんか、よい子が読む名作の主人公みたいだよ?」
「僕はよい子が読む名作の主人公だ」
目の前の美術館ガイドブックをぱたんと閉じて、マーティンが真顔で反論する。
そう。実は彼の住んでいるのは、ドイツの名作『飛ぶ教室』という本なんだ。
「いや、そうだけど、あたしが言うのは、別の作品のさ」
ももちゃんはそう言うと、マーティンがなにかに思いいたったような顔をして、瞼をこする。
「なんだか、とても眠くなってきたんだ。疲れたよ。……ももカッシュ」
「ワン! って、思わず犬の役やっちゃったじゃん!」
ははは、という笑い声。
マーティンもすっかり、ももちゃんのノリをつかんでいる。
反対側の席を見ると、星崎さんはあいかわらずソフトドリンク。でも……。わたしはさっきから気になっていた。なんだか顔色が悪い気がするんだよね。
「先輩もぶれませんねぇ。機内でも夢未ちゃん同伴の場合は禁酒っすか。せっかくオレのおかげでファーストクラスに乗れてんですから、じゃんじゃんやってくださいよ」
後ろの席から、キャビンアテンダントさんにビールをわたしてもらってご機嫌に飲む神谷先生が話しかけてきても、
「もうそれを持ち出すな。地味にダメージが深いんだよ」
星崎さんが広いテーブルスペースに置いたコーヒーが揺れてる。
あらら。やっぱり落ち込んでる。
じつはこういうわけなの。
星崎さん、わたしがどうしてもドイツに行きたいってわがまま言ってから、夜な夜なネットで航空券の最安値をいろんなサイトで比較してたのを知ってるんだ。もちろんエコノミー席。
ある日、それを見た神谷先生が一言。「あ、それうちの会社の経費で落ちますよ」
「オレが苦心して探した席を一瞬で……。オレがこの世でいちばん嫌いなものは、金持ちに生まれた男だ。だいたい、生まれる家柄を選べないなんて、まったく不平等な話で……いや、まだあきらめてはいない。いつか、そういうぼんぼんたちをあっといわせる額を稼いでやる」
空になった紙コップを握り締めて……星崎さん、キャラ変しちゃってます。
でも、これは今のうちだ。
そそっと、わたしは左隣とすぐ後ろの席にささやく。
「だいじょうぶかな、ドイツにいる本の世界の住人さんたち」
そう。
じつはこんなわがまま言ったのは、ケストナーおじさんからチーム・文学乙女にまたまた依頼をうけたからなんだ。
わたしたちは本の中の事件を解決する、なんでも屋みたいな感じになっているの。
ドイツに住む物語の中の登場人物さんたちが、今大変なことになっていて。
なんでも、「時間さかさま組織」に、悪さをされているらしいんだ。
心配かけるといけないからこのことは星崎さんはじめ、彼たちにはナイショにしとこうってことになっ たんだけど。
「そんなことよりさ、ドイツってなにがおいしいの?」
がくっ。ももちゃん。
「あ、任せてくれ。それなら――」
「はーい!」
マーティンを遮ったのは、ガイドブックを手にしたわたしのすぐ後ろの席の、せいらちゃんだった。
「観光のことなら、このせいらにお任せよ! かかせないのはブルストね。大きなソーセージなの。白いのもあるのよ。何種類かワンプレートにとった盛り合わせもあるみたい。でもせいら的マストは、黒い森のケーキかしら。なんで黒かっていうとね、驚くなかれ、これはさくらんぼのことで……」
ぺらぺらと、まるでガイドさんのように説明してくれるせいらちゃん。マーティンが、「ぼく、地元民なのに……」といじけてる。
いつもならチームのたづなをしめてくれるせいらちゃんまで、得意の旅行のことになるとこうだもんな。
とほほ。だいじょうぶかな?
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