シーズンⅡ 第8話 怪盗紳士にさらわれて
① 今宵、あなたの心をいただきに
放課後の夕暮れ時、司書の先生以外誰もいなくなった中学校の図書室で、わたしは窓辺の席にこしかけて、本をめくっていた。
今日、いっしょに暮らしている星崎さんはお仕事で遅くなるから、しばらく図書室にいてってたのまれてる。
担任の神谷先生や、司書の先生にも話してくれたらしい。
カウンターから女の人の司書さんがにこにこ見守る中、わたしは図書室で本を読んでいた。
今再はまりしていりのは怪盗紳士アルセーヌ・ルパン。
天才的泥棒さんのあっと驚かされる手口は何度読んでも感嘆しちゃうんだ。
そして時折見せる、ふだん大胆不敵な彼のもろい一面もわたしのおすすめポイント。
ある女性がいるそのかげで会いたい、でも会いに行けないと涙するルパン。
自分はこんな泥棒だから。
姿を見せるわけにはいかない。
そこを読んでいると、ぎゅっと胸をしめつけられる。
その人は、ルパンと愛する人との娘さんなんだ。
ルパンさん……。
ぎゅっと、制服の上から胸をおさえる。
じつは小学生のころ、一度だけ、ルパンさんには会っているんだ。
――あ、びっくりしたよね。
じつはわたし、本野夢未は、二人の親友とともにチーム・文学乙女を組んでいて、本の中の世界の トラブルを解決なんかしているんだ。
一年前の秋――あの時、豪華客船の中で。
ルパンさん、わたしをさらいにくるって言ってたけど。
まさか。
そう思ったときだった。
車の音がして、窓にかけよる。
そして、落胆のため息。
もう三回目だ。
窓の外に見える中学校の駐車場を見て、がっかり。
星崎さんの車じゃないや……。
くらっと身体がかたむいて、窓辺に手をついて支える。
ちょっと疲れたかな。
わたし、わけあってたまに薬を飲んでいるんだ。
心がちょっと病気みたいなの。
星崎幾夜さんはそんなわたしを助けてくれた。
星降る書店の店主さんで、お父さんに殴られていたわたしをひきとってくれた人。そして、わたしの大切な人。
わたしがチーム文学乙女の一員として本専門の盗賊集団ブラックブックスと戦っているあいだ、医学に詳しいそのボスと交渉して、わたしの病気をもらってくれようとしたこともあったんだ。
……そんな彼を、好きになるななんてほうが、無理だよね。
今日は一緒に駅のデパ地下によっておだんごを買って、お月見しながら、本のこととかいろいろおしゃべりしようねって、約束なんだ。
今読んでいるこの本の怪盗紳士が女性たちにするように、彼はほんの一言で、わたしの心をたやすく盗む。
星崎さん。
星崎さん……。
ページに手をおいて、うとうとしていると。
また、車の音がした。
窓にかけよると、見慣れた黒い車が見える。星崎さんだ!
それを確認するやいなや、図書室の入り口にかけよって、待つ。
ほどなくして、ききなれた足音がして。
何度も見た、そして見るたびにほっとする笑顔。
「ごめんね、夢ちゃん。予定ではもう少し早く終われるはずだったんだけど」
グレイのシャツを着たその人の腰のあたりに、わたしは抱き着いた。
「星崎さん、星崎さんー」
彼は苦笑して、頭をなでてくれる。
「あれ。中学生が、そんな甘え方していいのかな」
司書の先生が笑いながらやってきて。
「夢未ちゃん、ずっとお待ちかねだったんですよ。車の音がするたび窓にかけよって」
星崎さんはちょっと照れたように、司書さんに言う。
「すみません。お世話をかけました」
するとなぜか、司書の先生の声をひそめて、
「ご事情は、少しだけきいています。若いのに感心ですねぇ」
「え、あ、はぁ……」
星崎さんはちょっと言葉をにごすと、
「もう、もとからの家族のような気がしていますから」
わたしは星崎さんを抱きしめる手を強くした。
星崎さんの運転する車に乗ると、ふしぎ。
疲れているはずなのにおしゃべりがとまらない。
「今日は休み時間、ももちゃんと恋文歌劇団ごっこをしました。わたしがかっこいいルパンで、ももちゃんがそれを追うシャーロック・ホームズなんです」
「へぇ。二人とも男役なんだ」
「あ、お昼休みには、『ヒロインが必要よね?』って、せいらちゃんが、ルパンを欺く侯爵夫人の役で参戦して――」
「ハマリ役だね。せいら夫人に負けないよう奮闘しなくてはね、ルパンさん」
「はいっ」
……あれ?
元気よくお返事舌はいいけど、そこここに漂い出している違和感。これは、なんだろう?
首を乗り出して、車の窓の外を見る。
夢中で話してて気づかなかったけど、駅のほうをとっくにとおりすぎた。
「星崎さん? 今日は駅地下で、おだんごを買うんじゃ――」
車は見知らぬトンネルに入る。
点滅するオレンジのライトの中で、彼は前を見つめたまま。
「ふーん、そうなんだ」
え??
「星崎さん! 忘れちゃったんですか! あんなに約束したのに」
むぅ、と口をとがらせる。
星崎さんがアクセルをぐんと踏み込んで、スピードを増す車。
どうも変だ。星崎さん、わたしを乗せてるときはぜったい安全運転を宣言してるのに。
しかもこの道、明らかにうちへの道じゃない。
栞町を抜けて、知らない街に入ってる。
日本とは思えない、外国のような華やかな建物やお店。
「ここ、どこ……?」
はっ。
わたしは息を飲んだ。
ルパンごっこのときに昼間、ももちゃんたちとした会話がよみがえる。
『にしても、ルパンって、恋多き男だよねー』
ももちゃんが言った一言に、わたしものっかって。
『また女性をさらう手口がいちいちかっこいいんだよね』
『大人の男の人って憧れるわー』
せいらちゃんものりのりで。
そのときだった。
ももちゃんが急に真面目な顔になって。
『夢、王子には気をつけなよ』
『え?』
首をかしげると、ももちゃんはにやりと笑った。
『彼の運転する車に乗ることだってあるでしょ? 気づいたら人気のない場所に連れ出されて、おかしなことされるってこともあるかもしれないんだから』
ぼっと顔に血がのぼる。
やだももぽんたら不潔―とせいらちゃんがやや楽しんでいるような悲鳴をあげる。
『そ、そんなことあるわけないよーっ! ももちゃんのいじわる!』
わかってる。
ももちゃんだって冗談で言ったんだ。
まさかそれがほんとうになるなんて……!
「本の中のフランス文学地方」
端的な答えが急に返ってきて、我に返る。
車がトンネルを抜けた。
わたしは今日何度目かの息を飲んだ。
凱旋門に、華やかな商店街の通り。大きな劇場。これってよくテレビで見る、シャンゼリゼ通り?
「夢未くん。先日お仲間と一緒に、イギリス文学地方に行っただろう? イギリス文学出身のイケメンたちがいる“ヒーローズ”に。まったく、その年でホスト遊びなんていけないなぁ」
その声、その口調、その服。そして。
その顔は、星崎さんのものじゃなかった。
「一年ぶりだね、マドモワゼル」
真っ白いシャツに、紫とダイヤの大きな宝石のついたクラヴァット。
夜空のような真っ黒なパンツ。
紫がかった瞳。さらさらでウェーブがかった、黒檀の髪。
「お次は、フランス文学地方稀代のダーティーヒーローなんか、いかがかな?」
蠱惑的に目を細めた、その人の名前を、わたしは呟いた。
「怪盗ルパン……!」
同じころ。
「さきほど、帰った?」
星崎さんは栞町中学の司書の先生を前に、目をみひらいていました。
「いやだわ。たしかに、あなたが迎えにいらしたじゃありませんか。夢未ちゃんだってあんなに嬉しそうに」
司書の先生は手をふって、笑っています。
「で、おだんご、買われたんですの?」
首をかしげ、星崎さんは車に戻ります。
どうやら、まずい事態だ。
車に近づくと、あることに気づきました。
車のフロントガラスとワイパーのあいだに、封筒が挟まっています。
そこにはこう書かれていました。
本野夢未嬢はたしかに受け取りつかまつる。
四本目の空洞の針の中で待つ。
怪盗紳士 アルセーヌ・ルパン
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