④ ありのままのきみを

 彼に連れられて、とぼとぼと歩いて。

 星降る書店の名作の部屋の棚の奥を進んで、本の中の世界のパレ駅から列車に乗る。

 昔なじんだ景色のせいか、彼――マーティンが、ゆっくりした歩調で歩いてくれたせいなのか、

 ルートをたどるうちに、少しずつ鼓動が正常の速さに戻っていく。

 メルヒェンガルテンを走る列車内はがらがらだった。

 気まぐれな旅人がぽつりぽつりと乗っているくらい。

 その一角にドレスとタキシード姿の二人は、かなり異様なとりあわせだと思う。

 マーティンがボックス席をとってくれたおかげで、疲れ果てた姿を誰にも見られることなく、あたしは彼と向かいあっていた。

 車窓からはブーフシュテルンの星々と、それを包む花々と。

 幻想的な景色が現れては消えていく。

 気がつけば彼によってパンプスも脱がされて、姿勢もかなり楽になった。

 ところがだ。

 シートに沈み込んでぐったりと動かない体に相反して、あたしの頭はオーバーヒートしたように高速で回転していた。

 せっかくの記念日なのに。

 そうでなくても、プレゼントを用意するのを失敗しちゃったんだよ?

 こんなんじゃ、台無し。

 ちら、とこちらをうかがっている彼を見やる。

 スマートなベージュのタキシードに、ワイン色のネクタイ。

 目を少しだけ細めて、車窓にひじをついて、そっとあたしを見ていて。

 確認した途端、ぶわっと汗がふきだす。

 いくら優しいカレでも、とんだ番狂わせだって、思っているかもしれない。

 早く考えなきゃ、彼が、楽しんでくれる方法を。

 とっておきのデートを、建て直さなくちゃ――。

「ご、ごめんね、マーティン」

 彼の目がさらに戸惑ったように、大きくなる。

「ごめんって、なにが?」

「決まってるじゃん」

 姿勢を低くして、指を折り、自分のしでかした失敗を数え上げる。

「パーティーにいられなくなっちゃったし。あたし、ちゃんといい記念日にできなくて。マーティンにだってなんにもしてあげられてない。あたしって、だめなカノジョだよね。あは、あはは……」

 その笑いはむなしく車内に響く。

 彼は笑わずに、やっぱり黙ってこっちを見ていた。

 やっぱり怒ってるのかな。

 その想いが、さらに焦りに拍車をかける。

「ごめん、わけあって、記念日のプレゼントも用意できなかったの! だからね、考えたんだけど、キルヒベルクに着いたら、とりあえずスーパー行くのはどうかな? あいや、マーティンの世界だと、スーパーじゃなくて、市場とかになるの?」

 彼の瞳が、ますます怪訝そうに細まっていく。

「あたしなんのとりえもないけど、これでも料理は得意だから! いっぱいマーティンに、ごちそう作るから!」

 せいいっぱいの提案だったのに、彼の瞳はやっぱり痛ましそうに細められて。

 やばい。つけ焼刃と思われてる?

「手作り料理じゃやだ? じゃ、じゃぁね、もう一回バイトがんばって、いいレストラン一緒に行こ! あたし、がんばってリサーチするよ!」

 これも渾身の再提案。

 なのに彼はうつむいて、静かに首を横にふった。

「もも叶、違う」

 あぁ、言わないで。

 マーティンだけは、あたしを嫌わないで。

 猛烈に先をききたくなくて、あたしはさらにまくしたてる。

「や、やっぱり手料理がいいの? しょうがないなぁマーティンは。じゃ、今度作ってあげるってば! これでもうまいんだからね。春野菜のシチューなんてどうかな?」

 って、なに基本中の基本の料理提案してるのあたし。

 でも焦りのガソリンがかかった口は止まらない。

「まず白菜とにんじんとじゃがいもと鶏肉を切って、それから味付けは。ええっと」

 そう思った直後だ。

 エンストのように、ふいに口が止まったのは。

「あれ?」

 うそでしょ。まってよ。

 故障した口車を、無理やり押し出そうと懸命に言葉を探す。

「ルーはどうやって作ったっけ。味付けはどうしていたっけ。ええっと」

 車輪が溝にはまったように、思考がぱたりと止まってしまった。

 絶望に額をおさえつつ、それでもまくしたてる。

「待って。ほんとに作れるの! レシピは完璧に頭に入ってるのに! なんで――」

 彼の顔色が、暗雲に覆われたように曇っていく。

 それに比例して、どんどん不安になる。

「ほんと、ほんとなんだよ。ぜんぶ任してくれて、だいじょうぶなんだから……!」

 刹那、目の前が真っ暗になって。

 温かい温度が全身を包んだ。








 いつの間にかとなりの席に移動したのか、彼の手があたしを抱きしめていた。







 ふいに一筋の水が瞳からこぼれたのがわかる。

 故障した車から出る細い煙のように、言葉が漏れる。

「ごめん、マーティン。もしかしたら今は、作れないかも……」

 彼の胸でふさがれた視界のせいで、情けないその声が余計にくっきり響く。

「そんなことは、どうでもいい。僕が今、懸念しているのは料理のことじゃない」

 背中に彼の右腕を感じる。

「もも叶が、もも叶でなくなっていることだ」

 しばらくそのまま、ゆっくり時が流れる。

 少し距離をとってあたしの視界を自由にしたあとも、マーティンはあたしの両手をにぎったままだった。

 寂しげな瞳で、次に放たれた言葉は、

「いつもなら、きみは記念日に遅刻した僕を怒ったり、おわびに高級レストランをおごれぐらいのことは言うはずなのに」

 涙をはじいてはは、と力なく笑う。

「ひどいなぁ、マーティンのあたしのイメージっていったい……」

「つまり、きみは今、自分を失っている。いったいどうしたんだ」

 なにか、あった。そうなんだな。

 その言葉は張りつめていたあたしの中のなにかをぷつんと切ってしまった。

 ぽつりぽつりと二粒目、三粒目の涙がこぼれて。

 小学生のようにみっともなく、声をあげて泣くまでに時間はかからなかった。

 背中を撫でてくれる彼の手を感じながら、ぽつり、ぽつりと語り出す。

 学校での人間関係がうまくいってないこと。

 これといって打ち込めることがなくて、がんばって輝いている親友たちを見て、感じた焦り。

 バイトでした失敗。

 彼は黙ってじっときいていた。

 話し終えて、反応を待つ。

 しばらく目を閉じて時間をかけて考えてくれて。

 彼が放った第一声は。

「僕が、さいきんハマった本がある」

「……は?」

 あのう、マーティン。

 あたし今、渾身の打ち明け話をしたんですけど……。

「恐竜たちのいた時代にタイムスリップして、人間社会の便利な道具を売り込もうとする男の子の話なんだ」

 つっこもうとするも、そう切り出されて、悲しいかな本好きの血がさわいでしまう。 

 へー。……けっこうおもしろそうだな。

 そういえばマーティンって、聖獣とか好きだったよね。趣味が男子らしいって思った記憶あるもんな。納得。

「ある恐竜が、群れのリーダーになるために懸命に天敵と戦う場面があるんだ。戦いには勝利するものの、大事なツノを失ってしまう。もう彼は戦えない。役立たずになった恐竜を群れは見放して去っていく」

 どきり、と心臓が音を立てた。

「彼は強い子孫すなわち、子どもを残せない自分は群れには必要ないと静かに言う。便利な道具を勧める主人公に、その恐竜が言うんだ。人間社会は便利になって、幸せになったのか。仲間外れはなくなったのかって」

 ごくん、と無意識のうちに唾を飲んだ。

 ふっと寂し気にそして優しく、マーティンが微笑んだ。

「たくさんのものを生み出すとか、便利にするとか。役に立つ道具になるとか。人間にあった生き方って、そういうものじゃないんじゃないかって」

 ふいに窓から光が差し込んだ。

 メルヒェンガルテンの宇宙空間を抜けて、本の中の町に入ったんだ。

「僕がきみを好きなのは、役に立つからじゃない。料理がうまいからじゃない。もちろん、自分の子どもを産んで育ててくれるからでもない」

 いや最後の、別の意味でドキッとしちゃうんだけど。そんなあたしをよそに、彼はあくまで真面目な顔で言い切る。

「気が強いくせに泣き虫で、それは人の心にどっぷり浸ってしまうからで。人を楽しませることが大好き。人の泣き顔がつらすぎていやだ。それがもも叶――きみだ」

 彼の背景の車窓に、露をあびて光る花の野が広がる。

「村人の平和と笑顔のために、自ら生贄になったアンドロメダ姫のように」

 と、かなり恥ずかしいセリフを吐くと、にこりと笑って、

「そのドレス、よく似合ってる」

 少しだけ赤くなってそう言ってから、

「思い出してくれ。そういうきみが、きみだってきらいじゃないだろ」

 くしゃっとゆがめられた彼の顔が、一年でいちばんきれいな陽光に照らされて、光る。

 あぁ、同じだと思った。

 小学生のとき湖で釣りをして、

 水をふっかけられてはしゃいで笑ったときと、マーティンはなにも変わっていない。

 いつも、弱っているとすかさず手を差し伸べて、安全なところへ連れ出してくれる。

 彼はあたしの騎士――アンドロメダ姫の窮地にかけつけてくれた、ペルセウス。

「キルヒベルクに着いたら、そのまま、列車を乗り継いで、ヘルムスドルフへ――僕の家へ行こうか」

 ……あの、ペルセウス、今なんて?

 ぱちくりと三度はまばたきしてしまった。

 ちょっと照れたように、騎士は手を差し伸べてきた。

「母さんに、はやくきみを紹介しろってせっつかれているし。きみに、我が家自慢の野菜スープを飲ませたい。……いいかな、もも叶」

 飛び上がらんばかりに手をとって、あたしは叫んだ。

「いいに決まってるじゃん! マーティン、あーもう、マーティン、大好き!」

「わっ、走行中にいきなりはあぶないぞっ」

 飛びつきながら叫んだその声はすっかりいつもの活力を取り戻していて。

 われながら正直かつ、現金だ。

「自分だってしたくせに。――ふいうちハグ」

「なんだ、そのネーミングは」

 シューっと徐々にスピードを落として、汽車は優しく、あたしたち二人を彼の町へと送り届けた。


※お断り※


作中でマーティンが言及する、恐竜が登場する小説については、「カクヨム」掲載のせりもも様作『ハッピー♡ダイノサウルス』をイメージしており、作者様の許可を得て使用させていただきました。

考えさせられるところの多い楽しい児童文学で、おすすめです(^^♪

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