⑪ ブーフシュテルンは渡さない!

 ゲストルームに戻ると、そこはものすごいことになっていた。

 神谷先生とパーシーさんは胸倉をつかみあい、マーティンとエドワードさんはフロアに転がってもみあっている。

 星崎さんとシドニーさんは、それをとめもせず、お互いに牽制するようににらみ合っていた。

 その空気が、わたしたちを見て、一変する。

「もも叶? 夢未、せいらも。その仮面」

 マーティンがみんなの想いを代表するように言った。

 そう。

 わたしたちはみんな、華やかな仮面をつけて戻って来たの。

 得意げに答えたのはせいらちゃん。

「どうかしら? 斬新なお色直しでしょ?」

 気の抜けたように、男の人たちの争いは休止になる。

「ともかく、待ってたよ、夢ちゃん」

 星崎さんが、場を進める。

「きみが決めてくれ。どんな方法でオレと彼が勝敗を決めるか」

 シドニーさんもうなずく。

 待っていたように、わたしは口を開いた。

「みんなで仮面舞踏会を開くってどうですか? 星崎さんとシドニーさんが、踊ってる間にわたしに愛をささやいて、うっとりしたほうが勝ち!」

 星崎さんは蠱惑的に微笑んだ。

 まるでこの瞬間に勝利を手にしたみたいに。

「だそうだ。異存はないかい、シドニーくん」

 対戦相手の彼は、うなずく。

「でくの坊は、惚れた女性を喜ばせることが得意なんです。恋は、愚か者のほうがむしろ優れているものですんでね」

「どうかな。では、知性あふれる相手役が本気を出したらどうなるか、証明してみせよう」

 星崎さん、今何気に、自分のことを知性あふれるって言いました?

 わわっ。

 突っ込む前に、引き寄せられちゃった。

 これが合図のように、ほかの二組も、ももちゃんやせいらちゃんを奪い合いながら踊りだす。

 星崎さんに身体を揺らされながら、耳元で囁かれる。

「オレ以外のホストと遊んで、楽しかったかい。お客様」

「う、でも、星崎さん。一週間外出禁止は、ひどいです」

くいっと、片手でほほを挟まれる。

「口答えするのは、この口かな」

「ふ、ふぇっ」

「一人で危ない行動に出たのを反省するどころか、ほかの男と楽しむなんて。外出禁止あらため、監禁にしてもいいんだよ」

「ひ、ひひょいっ(ひどい)」

 ぱっと手を離したかれに、訴える。

「わたしは、はやく、大人になりたい。できれば星崎さんもわたしをたよってくれるくらい。もう中学生になったんだし、自分で解決できるところを見せたかったの」

 星崎さんは、笑った。

 優しく。

「急いで大人になることなんかない」

 ――あ。

 それはホストじゃない、星降る書店の星崎さんだった。

「そんなにたよりがいのある中学生になってごらん。保護者は寂しいよ」

 誠実で頭がよくて、優しいお兄さん。

「育てているオレに恩義を感じる必要はない。ただ、きみがあまりにいい子だから、思わずしたことなんだよ。ちょうど、マリラがアンを、アルムのおじいさんがハイジを育てたように」

 頭をなでてくれるカレに身を預ける。

 この瞬間が、大好きだ。

「子どもは大人にたくさん心配をかけて、大きくなっていくものなんだ」

「星崎さん……」

「かっこよく決めていますが、星崎さん」

 わっ。

 ふいに肩がつかまれて、そのままくるっと回される。

 シドニーさんが、わたしの腰に手を回して、語りだす。

 彼の反撃が、はじまった。

「ほかのホストと遊ぶ彼女を黒王子的に叱るからには、あなたはキャバクラにいったことなどないのですね」

 神谷先生が、せいらちゃんを抱きつつ横から応戦してくれる。

「ばかにしちゃいけませんよ。この星崎先輩がそんなとこ行くわけないでしょ。大学時代からずっと正統派王子だったんだから」

 ももちゃんをエドワードさんから奪いかえそうと奮闘しながら、マーティンも言う。

「星崎さんとそういうところのイメージは、つりあわないな」

「外野は黙っていてください」

 ぴしゃりと、シドニーさんが言う。

 星崎さん。

 さっきから黙ってるけど……?

 その口が、開いた。

「まぁ、なくはない、かな」

 がらがら……。

 目の前のなにかが、崩れていく。

「夢っち」「しっかり!」

 せいらちゃん、ももちゃん、助けて。

「最悪だ、この形勢」

「最低だ、人として」

 神谷先生とマーティンも言っている。

「いや、これでも自営なんてことをやってるとね、学生や公務員にはないつきあいもあるんだよ」

「なんだよそれ! 学生やオレたち公務員はダメで、自営業者はキャバクラ行っていいっていうんですか? どこの国にあるんすかそんな法律!」

「神谷先生、論点ずれてます」

「夢未さん。僕は、本職はしがない弁護士ですがね、消してキャバクラなどに行ったりはしません。夜はかならずそばにいて、愛をささやいてみせますよ。こんなふうに」

「シ、シドニーさん……!」

 ぐっと彼の唇が耳に触れそうなほど近づく。

「ゆっくりお休みになってください。明日きみとまた過ごせますように。――僕のねむり姫」

 そんなこと言われちゃったら恥ずかしいよ。

 ぐいっと、腕を掴まれて、再び引き寄せられる。

「夢ちゃん、ありきたりで平板な口説き文句より、こんなのはどうかな?」

 目の前でわたしの腰を支えながら、星崎さんが、微笑んでいる。

「今夜は眠くないって? しかたのない子だね。起きていていいよ。ただし、身の安全は保障しない――」

「はい、強制終了」

 えっ。神谷先生。

「わたしとしては、続きもききたいです」

「うん、残念だけど、中学生にはちょっとむりだから、次行こうね」

「あーもう、拉致あかない! ももがまとめてあげる!」

 ももちゃんがマーティンの腕のなかで、ぱんぱんと手をたたいた。

「ヒーローとして見せ場と言え、かげながらヒロインを支えること。というわけで、王子と弁護士さんに最終問題です。透明人間になって夢にひそかになにかしてあげるとしたら?」

 あー。その設定いい!

 彼がしてくれる親切を、わたしは気づかないんだね。

 ロマンチック~。

「……夢未さんが車にひかれそうになったとき、身を投げ出します。その程度にはおろかですよ、僕は」

 えっ。う、うわ~。

「さすが、模範解答です、シドニーさん!」

「いやでも、ちょっと待ってくれ。透明人間だったら車そのまま突き抜けて――」

「マーティン、夢のない理論で水ささないの」

 いい感じ!

 わたしは目の前の人を見て促す。

「じゃぁ、星崎さんは? わたしにわからないように、なにをしてくれるんですかっ」

 きらきらと目が期待に輝いてしまっているのがわかります。

「うん……そうだね……それは……」

 あれ。

 星崎さん、ぱっと答えそうなのに。

 なんで視線をそらすんですか?

「ここでは、ちょっと、言えないかな」

 ……え?

「出たよ、最悪の答え。『言えないことをする』」

 神谷先生の言葉を星崎さんは否定しなかった。

「まぁ、そういうことになるね」

「星崎さん、言えないことってなんですふぐっ」

後ろからももちゃんに口をふさがれてしまいました。

「じゃぁ、このへんで判定してもらいましょうか」

 神谷先生とパーシーさんと手をつなぎながら、せいらちゃんがまとめてくれます。

「どっちを勝ちにするの、夢っち?」

 星崎さんが、シドニーさんが。

 みんなが、わたしを見ています。

どうしよう。

 うーんどうしよう――!

 困りに困ったそのとき。

 ばん、と勢いよく音をたてて、ゲストルームの扉が開きました。

 バタバタと入って来たのは、黒ずくめの服をきて目つきの鋭い男の人たちです。

 ぴりりとその場に緊張した空気が満ちました。

「パーシー・ブレイクニー」

 口火をきったのは、真ん中にいたひときわ鋭い目つきの男の人でした。

 黒い服、黒い靴、黒い帽子までかぶっています。

「約束の、女性たちの恋心の結集を渡してもらおうか」

 さっと、せいらちゃんを口説いていたパーシーさんを見ると。

 一瞬その目に苦みが走ったのが見えた。

 でもするにそれは、おどけた表情の中に消えてしまう。

「やぁ、これはこれは親友のムッシュ・ショーブランくん、あいかわらずファッションセンスが残念なことになっているねぇ」

 冗談ににこりともせず、ショーブランと呼ばれた黒い人は続ける。

「まだ減らず口をたたくか。この手がお前たちの愛しいヒロインたちを預かっているのを、忘れたのではあるまいな」

 ショーブランさんが目で合図すると、後ろの下っ端らしき人たちがさっと左右に散った。

 パーシーさんの表情が目に見えて動揺する。

 そこには、縄に縛ら布で目隠しをされた三人の女性たちがいた。

 どの人も美しくドレスできかざっている。

「マルグリット!」

 パーシーの震える口が叫んだ。

「さぁ、パーシー卿。恋心の結集を渡す気になったか」

「パーシー」

「パーシーさん」

 エドワードさんとシドニーさんも、それぞれ人質の女性たちに悲痛な視線を投げかけながら、ナンバーワンホストさんに合図する。

 パーシーさんはあきらめたようにうなずき、胸元から、一つの袋を取り出した。

 白い布ごしにも、中身がきらきらと宝石のように光っているのがわかる。

 あれはブーフシュテルン 。

 ホストクラブ“ヒーローズ”にやってきた女性たちのロマンスにあこがれる気持ちや、恋心の結集。

 それが今、パーシーさんの手から、ショーブランさんの手に渡ろうとしている。

 わたしは叫んだ。

「待って!」

 パーシーさんの手がとまる。

「ヒーローさんたち、悪役さんに、ヒロインさんを人質にとられて脅されて集めたブーフシュテルン。それを渡す必要は、ありません!」

 周りの視線をあびても、ひるまずに、わたしはひたとホストさんたちを見据える。

「夢未さん。僕らをとめないでください」

 シドニーさんが暗い表情で言う。

「悪役に協力するなど、不本意です。情けないことだとわかっている。しかし、僕らはこうするしかないんです。――愛しい人を救うために」

 わたしはにっこりと、彼に笑いかけた。

「必ず助けるって、約束しましたよね、シドニーさん」

 怪訝そうに、彼が眉をひそめる。

「ヒロインさんたちならすでに、ヒーローさんたちの腕のなかに帰ってきています」

 ホストさんたちが、ざわめく。

「おい、どういうことだ」

「残念だが、僕にもまったく」

 エドワードさんとパーシーさんの疑問の声に導かれるように、ももちゃんとせいらちゃんが、仮面に手をやる。そしてわたしも、仮面をとりさった。

 くっきりと、シドニーさんのあっけにとられた顔が見える。

「そんな。まさか」

 いたずらっぽく、微笑む。

「えぇシドニーさん。わたくしですわ――『二都物語』であなたとお友達だったヒロイン、ルーシー・マネットです」

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