② 新生活のびっくりその1

 入学式を終えて、一年A組の教室に戻ってきた、のはいいんだけど。

 わたしたちは早くも、大事件に遭遇していた。

「せいら、とりあえず座ろ? 落ちつこ?」

「せいらちゃん、深呼吸」

 そう。

 なかでもせいらちゃんのパニックがすごい。

 さっきの入学式で、かなりショックなことがあったんだ。

「夢っち、ももぽん。あたし……ちょっとヘンになってるのかしら」

 せいらちゃんは制服のポケットからハンカチを出して、額の汗をぬぐう。

 そんな状況でも、大和なでしこのように上品なしぐさを失わないところはさすがお嬢様。

「きっと、中学生になって緊張してるのね。だからあんな幻覚を見たのよ」

「幻覚って。まるでおどろおどろしい怪物にでもでくわしたみたいじゃん」

 椅子に座ったせいらちゃんの背中をさすりながら、ももちゃんが苦笑する。

「でも気持ちわかるよ。わたしも信じられないもん」

「でもさー、あたしも夢も同じ姿を見たわけだし、校長先生が呼んだ名前だって聞いたんだよ。てことは」

 ぼっとせいらちゃんの顔が真っ赤に染まる。

 それがかわいくてついふきだしちゃった。

「せいらちゃん、すなおに喜んでいいんじゃないかな」

「せいらの中学生活、バラ色決定だね」

 ももちゃんもはやしたてるけど。

「ででででも、こんな、こんなことって」

 本人はまだ混乱してるみたい。

 ももちゃんは頭の後ろで手を組んだ。

「だけど、あーぁ夢。あたしたちにはちょっとまずい面もあるかもね?」

「えっ、どうして?」

「だって。せいらばっかおいしい思いしてさ~。このぶんだと、『恋文シリーズ中学編』の主役はせいらに交代なんてことも」

 えっ。

 それは、困る!

 わたしが危機を感じたそのとき。

 がらがらがらっと、教室の扉が開いて。

「みんな揃ってるか」

 さっきから噂のその人が現れたんだ!

 さらさらの黒い髪。

 大きな瞳に、通った鼻筋。きりりとした口元。

 真っ白いシャツに今日はびしっとスーツ姿。

「一年A組の担任になる、神谷だ。よろしくな」

 それは、去年までせいらちゃんが通っていた、奥付学習塾の先生だったの!

 あちこちからかみやーんという歓声があがる。

 きっと、学習塾に通っていた子だちだ。

 あちこちにいる顔なじみに軽く目で応えてから、先生は言った。

「みんな大丈夫か? がちがちに緊張した身体でただだっ広い体育館の中、あんな長い時間たちっぱで、オレはくたびれたわ」

 そこここで、笑いがおきる。

 神谷先生はにっと笑った。

「緊張してるのは、先生もいっしょだ。なにせ学校の教師としてはド新人だからな。みんなから教えられることだってあるかもしれない」

 どん、と神谷先生が黒板をたたいた。

「今日、言うことは一つだ。なにがなんでも、中学生活、楽しめよ」

 その言葉が、すっと胸に入ってくる。

「いまきみたちがいるのは青春の入り口。夢を追って友達をつくって、基本的に人生でめちゃくちゃ楽しい時期だ。ただ、いろんなことを吸収するぶん、なにかで心をくじく人も多い。つらいことを乗り越えるのが青春っていう人もいるが、先生は、苦労しすぎで心をちぢこめることなく、大人になってほしいと思う」

 挨拶の最後に、わたしたちの先生はにっこりと笑ってこう言った。

「ま、あんまかたくならずに、ぼちぼち行こうや」

 お昼休みになって、わたしたちはお庭で持ってきたお弁当を広げていた。

「わー、夢っちのお弁当かわいい」

 横からせいらちゃんがのぞき込む。

「星崎王子、相変わらず女子力高いよね」

 ももちゃん、おかしな言い方しないでってば。

「なにはともあれ、無事中学に入学できたことにまずはお祝いね」

 せいらちゃんが言って、それぞれ水筒に入ったお茶で乾杯する。

「ほんと、そうだよねー。本の中もこのところ平和みたいだし」

 ももちゃんも同意する。

 あ。

 ここでちょっと説明ね。

 わたしたち三人『チーム文学乙女』には、それぞれの恋をがんばることのほかに、もう一つ任務がある。

 それは、本の中の世界で起きる事件を解決すること。

 チームの企業秘密だけど、星崎さんのお勤め先『星降る書店』と本の中の世界はつながっていて、行き来ができるようになっているんだ。

 小学生のときは、本の中の悪役さんたちが悪さをしたり、いろいろ大変だったの。

「とうぶん、それぞれの恋に専念できるってとこかしらね」

 水筒のお茶をすすりながらそう言うせいらちゃんの肩を、ももちゃんがたたく。

「さっそく、その恋が来たよ」

「えっ、ごほごほっ」

 ほんとだ!

 校舎の方向から歩いてくるのは、神谷先生!

 じつはせいらちゃんとカレ、両想いなんだ……!

 あ、これも文学乙女の企業トップシークレットだから、ひみつね。

 カレがこっちに来て、わたしとももちゃんが一年間よろしくの挨拶をしているあいだも、せいらちゃんは相変わらずせき込んでいた。

 そんなせいらちゃんを見て、くくっと笑うと、神谷先生はそっと言った。

「せいら。ちょっと話せるか」

 せいらちゃんは目を見開いて、ぱちぱち。

 わたしはももちゃんと口パクで叫んだ。

『きゃーっ』

 「ちょっと、夢、見えないって」

 「ももちゃんこそ、前出すぎだよっ」

 こちら、夢未。

 茂みの奥、神谷先生に呼び出されたせいらちゃんを、ももちゃんといっしょにのぞき見……いいえ、見守り中です。

 桜の木の根元にもたれて、神谷先生は苦笑した。

「びっくりさせちったかな」

 数秒間時間をおいて。

 せいらちゃんは一気に言葉を吐き出した。

「そりゃもう! 入学式で担任の発表聴いて心臓が止まるかと思ったわ! あたしは今でも、好きな人に会いたすぎて、幻を見てるんじゃないかって」

 さっと神谷先生が赤くなる。

「好きな人とかはっきり言うなアホ」

「あ。……ごめんなさい。ここではまずかったわ」

 口を押えたせいらちゃんに、神谷先生はいつになくもごもご。

「そーじゃなくてだな。その、照れるだろうが」

 ……。

 二人とも、恥ずかしそうに黙っちゃって。

 きゃーっ(二回目)。

「塾、せいらが卒業して晴れて堂々とできると思ってたのに、秘密が長引いちまって、悪いな」

 ちょっとだけつらそうに言う神谷先生に、せいらちゃんは両手を首元であわせてふるふると首をふる。

「そんなこと。毎日会えることにはかえられないもの……!」

 言ってしまってからはっとして、

「え、えっと、そそ、そうね。たしかに秘密が長引くのは困るけど、まぁ、許してあげるわ」

 神谷先生の口元から笑いが漏れる。

「無理すんなって。嬉しいんだろ」

 せいらちゃんはくやしそうにきゅっと口を結んで、

「そうよ。めちゃくちゃ嬉しくて死にそうよ。悪い?」

「よろしい。先生は正直な子が好きだぜ」

「――っ」

 せいらちゃんはぐっと声のトーンを落とした。

「でもどうして栞町の中学に?」

 神谷先生は軽く肩をすくめる。

「大学卒業したらやっぱり教えて食ってきたかったからな。親父を説き伏せた」

「そうだったの」

「ここに決まったときは、しめたってほんの少しは思ったかな」

 神谷先生の人差し指が、せいらちゃんの額をつつく。

「毎日顔見れば、つっぱしりすぎてないかわかるだろ」

「なによ、人をいのししみたいに」

 文句を言いながら、せいらちゃんは幸せそうな笑顔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る