④ いちごとミルクと好きの理由 ~夢未の語り~

 レジを覚えて、ブックカバーのかけかたを覚えて、本の入庫や出庫(在庫管理のときに使う用語らしい)の仕方を覚えたら、午前中はあっという間に過ぎちゃった。 

 お昼は交代制みたいで、一人、誰もいない事務室で買ってきたお弁当を食べる。

 本がたくさん積まれた、パソコンのある事務室。ちゅーといちごミルクを飲んで、考える。

 星崎さんはいつもお昼、こうして一人で食べてるのかな。

 寂しいよね……。

「お疲れ様。少しは慣れた?」 

 ふりかえると、本がどっさり入った段ボールを持った星崎さん。

 わたしのいるテーブルから少し離れた窓辺のデスクにいる。

 段ボールから本を取り出してバーコードにあててはパソコンを睨んではお仕事しながら、話しかけてくれたみたい。

「ええと。やっぱり町中の店舗は忙しくて」

 うまく答えられたかな?

 かすかに微笑んで彼は、

「本野さんは、一つのことに集中してとりくむタイプみたいだね」

 思わずいちごミルクをのどにつまらせそうになる。

 こんな少しの時間で、そこまで見られてたなんて。

 しかもその特性がお仕事にでていたなんて、自分ではまるきり気づかなかった。

「……すみません」

 一つのことをするともう片方の手がお留守になるって、よくお母さんや先生にも言われたっけ。

 ところが返ってきたのはこれまで受けたような叱責じゃなかった。

「複数の作業に順序をつけて、一つのこととして覚える方法もある。心配することはないよ。

個々の特性にあわせて工夫すればいいんだ」

 あ――。

 ちゅっと、いちごの甘い香りとミルクの音が心にしみこむ。

 星崎さんがすてきだと思う理由。

 そして、きっと、いろんな人からすてきだと思われる理由の一つ。

『あなたはペースが遅いんだ』

『そんなことではこの先苦労するわよ、夢未』

 ほかの人がわたしにするように――、いろいろな場所が、人生が、状況が要求することじゃなくて。

 その人を基準にして、物事を見てくれる。

 あらためて彼のあたたかな特性に包まれている気がして――。

 わたしはストローを口にくわえたまま、事務用いすに深くもたれた。

 余韻にひたっているうちに、福本さんと成瀬さんがやってきた。

「本野さん。どう、うちは?」

「あ」

 食事をする手をとめて答えようとすると、ああいいよ、と福本さんが手をふる。

「忙しくて死にそうでしょ。わかってるって」

「いえ。だからこそわたしが来たんですから!」

「お。たくましいなぁ」

 こぶしをつくって力んでいると、傍らで成瀬お姉さんと星崎さんが話しているのが目に入る。

「成瀬さん。……つらいときは、休んでていいからね」

「ありがとうございます、社長」

 ――ん?

 成瀬さん、ちょっと頬を染めて微笑んで。

 そんな彼女はとってもきれいで――。

 ずきりと胸が嫌な音をたてる。

 さっきまでの甘いいちごの香りは消えてしまっていた。


 夕暮れ時。

 午後の時間もあっという間に過ぎて、気が付けば退勤時間間近だ。

 なんとか仕事はこなせたと思う。

 お昼休みに気遣わしげだった星崎さんと、嬉しそうな成瀬さん。あれからずっと胸はどんより重いけど――。

 事務室に入ると、星崎さんがいる。

 バーコードを持った手をとめて、じっと窓の外を見つめて。

 思わずその様子に見入ってしまう。

 その目にはいつになく、影がある気がして。

「社長」

 机に腰掛けている彼の隣で中腰になって、問いかける。

「なにか悲しいこと、あったんですか?」

 オレンジの実のような夕日の中で、かすかにカレの瞳が見開かれた。

 そのまま時がとまったように静止する。

「あの。……社長?」

 彼の目が、気まずげにふせられて。

 なんとかこの感じをふりきらなきゃ。

「そうだ! 今日みんなで、飲みいきません?」

 えへ。飲みにいくなんて言葉、つかったのはじめてかも。

「成瀬さんも、福本さんも、一日だけだったけど、もっとお話したいねって言ってくださったし。星崎社長の話、わたしきいちゃいます!」

 どんと胸をたたくと、うん、われながらグッドアイディアな気がしてきた。

 大人なわたしになら、普段は言ってくれないことも、星崎さん相談してくれるかも。

 いつもわたしは頼るほう。

 こんなときこそ、彼の力に――!

 そんなことを思っていると、ふっと彼がほほ笑んだ。

「いいよ。行こう」

 立ち上がり、事務室をでるさい、彼は言った。

「みんなに伝えておくよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る