⑬ ニセ文学乙女は超大胆 ~もも叶の場合~

 ギムナジウムの一室で、マーティンは、あたしを覗き込んだ。

「昨夜、遅くまで僕のスマホで遊んでたらしいな」

 ぎくっ。

「しかも、僕より多くの機能を使いこなされた気がするのは気のせいかな」

 そりゃ、マーティンくんよりは、最新機器に明るいですからね。

「おしおきだ。それっ」

 ひっ!

 また、ねこじゃらし攻撃?!

「えいっ」

 やめれっ。

「とうっ」

 くすぐったいってば~。

「マーティン、猫ちゃんのほうがあたしよりいいの?」

 がらり空いた、寝室の扉の奥――。

「もも叶。来てたのか」

 そう。もも叶が立っていた。

「ぷーんだ。もういい」

 いじけてる。しまいには。

「あたし帰る」

 自分で言うのもなんだけど、完コピなり。あたしの行動パターンまんまだ……。

マーティンは慣れた様子で、もも叶に近づく。

「猫に妬きもちなんかやいて、相変わらずだな」

「ほっといてよ。やきもちじゃないもん。あたし、マーティンのことなんか好きじゃないもん……」

 マーティンは後ろから、もも叶の肩に腕を回した。

 うっ。ちくしょうっ。あのもも叶が、ほんとのあたしだったら……!

「いじけないで。機嫌なおすんだ、もも叶」

 右へ、左へ、顔を背けるあたし。

 それを、彼の顔が追う。

「ほんとだもん。ジョニーのほうが優しくて好きだもん」

 もも叶の頭に、ぽんと手が置かれた。

「思い出した? 君が好きなのは誰か」

 もも叶は、心地よさに身を任せるように、目を閉じた。

「もうすこしで思いだすかも……」

 もも叶がそっと、目を閉じて、その唇を、マーティンのほうへそっと向ける。そこに、なにかがふれる。それは――彼の人差し指。

「だめだ」

「どうして……?」

 もも叶の頭を撫でながら、諭すように、彼は言う。

「もも叶以外の人と、そういうことはできない」

 すっと、もも叶の目が細まる。

「何故わかったんですの? わたしがもも叶じゃないって」

 気が付くと、マーティンの目が、真剣なものに変わっている。

「もも叶は、ジョニーのことが好きだなんて、簡単に言わないような気がした。あいつの気持ちを、わかってるから」

深く、長い吐息がもも叶の――チェリーの口から漏れる。

「真に好きな相手がいて、でもほかの人を好きだというように振る舞わなくてはならないことだってあるのよ」

「察するに、あなたはカチェリーナか。『カラマーゾフの兄弟』の」

 チェリーは頷いて‐―背の高い、肩までのストレートの髪をきっちり揃えた、清楚な女の人に変わった。

「主人公である三兄弟の中で、父親の恩人であるという理由で長男と婚約したあなたは、自分でもずっと彼を愛していると、自分に思い込ませてきた。でも、ほんとうに好きだったのは、その弟だった」

ふっと、マーティンは優しげに微笑んだ。

「本の中でそれを自覚してよかったんじゃないのかな。だから、自分が人を殺したと思い込むまでに心が弱った次男を、助けに走ることができた。結果的に、二人が結ばれなかったとしても」

 カチェリーナは静かに頷いた。目の端に光るものがある。

それはしだいに夜空の星屑をぜんぶかき集めたような光になって、あたしの目を閉じさせた――。

 もう一度、目を開くと、すぐ目の前に、マーティンの顔。

「ななっ」

「もも叶。……もしかして、戻ったのか?」

そう言った直後、みるみるうちに、彼の顔が赤くなる。

ばっとあたしは後ずさった。

「マーティンてば、あたし以外の女の子ってわかってて、こんな近づいてっ。もう知らないっ」

「待つんだ、それは作戦で」

「じゃぁ」

 あっさりと振り向いてやる。

「今すぐ……ちょうだい。ほんものの、あたしに」

 彼は、頷いて、あたしの両肩に手を置いて。

「……っ」

 真っ赤になって、離した。

「やっぱり、だめだ」

「なんで……?」

 顔を背けて、マーティンはぼそり。

「本物は、緊張するんだ」

「なんだそれ」

 夢の中より長い時間、あたしと彼は笑った。

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