番外編 セールスヒロインお断り
① 彼女にふさわしいヒロインは?
みなさん、こんにちは。いつも恋文シリーズを読んでくれて怒涛の感謝です。
まだまだ寒い中、ちらりと春の香りを感じる日差しが注ぐ日曜の午後、みなさんはいかがおすごしですか。
わたしは、だいたい家で原稿を打っています。アイディアがひらめいたときは夜を徹してもラッキー。そうじゃないときはお昼寝をしてもブルー。
そんなわたしは誰かって。じつは、恋文の作者なんです。
このお話は、ほんとは夢ちゃんやももちゃん、せいらちゃんたちからみなさんにお聴かせすることにしているのですが、今回の冒頭部分は、わたしからみなさんにお届けしようと思います。いえーい。
というのが、チーム文学乙女の三人がのっけから大変なことになっていまして、それどころじゃなさそうなので、夢ちゃんから代わりを頼まれましてございますです。
さて、ここは栞町の駅ビルにあるちょっとおしゃれなバー、『ブルー・ストーリーズ』。
青い泡がはじけ、熱帯魚たちが泳ぐ一面の水槽を前に、そんなことも知らず、集っているのは、彼女たちの想い人たち。
「それで、さっそくだけどマーティン、なんだい、オレと龍介に話って」
角の席に座っている星崎さんが話の扉を開きました。ひとりぼっちだった夢ちゃんをひきとってくれたすてきな人です。お勤め先の星降る書店のシフトがお休みの今日は、眼鏡をかけて、薄手のグレーのセーターの下にシャツを着ています。
「……実は、当日まで一か月をきった、ホワイトデーのことなんですが」
真ん中の席で、濃い茶色の猫っ毛の少年がかしこまって座っています。今日集合をかけたなにかと気の利く彼の名はマーティン。児童書『飛ぶ教室』のなかからやってきた、ももちゃんのカレ。今日はカノジョに選んでもらった、ベージュの長ズボンに、薄手の紫のアウター姿です。
「先月みんな、同じ手作りチョコをもらったのなら、なにをお返しするか、打ち合わせておいた方が賢明だと思うんです」
くすり、と星崎さんが笑いました。
「やっぱり、そういうことだったか。確かにね。夢ちゃんたち三人の絆は強いから、確実に情報が伝わる」
「恨みっこなしにするための手立てか。偉い。賢すぎるぞ、少年」
マーティンくんの左隣で少々妙な感心の仕方をしているのは、黒いストレートの髪に、スーツ姿の神谷先生。椅子の下の荷物入れにおいた縦長の鞄の中身はといえば、厚手の参考書類がたくさん。見ての通り、この会合を終えたら即、職場に向かう塾の先生なのですが、せいらちゃんと両想いなんです。
さて、というわけで、ホワイトデーを三週間後に控えた今日び、この三人は、懸命にも、当日彼女たちになにをあげるか打ち合わせるために、このバーに集ったのでした(笑)。
「バレンタインにもらった手づくりチョコ、すごく美味しかったから、お返しでがっかりさせたくないんです」
そう言うマーティンくんの表情はうつむきがちでよく見えないけれど、うっすらと赤くなった頬から想像がつきます。
「まぁ、そりゃそうだわな。小学生トリオであのクオリティーはちょっと驚いたし。わざわざ三人そろって、かなり前から打ち合わせしつつ、わいわいしながら一生懸命作ったんだろ」
「和むねー。目に浮かぶようだ」
大人二人も同感のよう。
「それで、大雑把なイメージなんですが。それぞれの個性も出しつつ、予算はぴったり同じにするのが無難かと。さらに、できたら、本の中の世界の事件解決にがんばっている三人に、さり気なく物語要素の入ったものを用意できたらベストだと思うんです」
マーティンの提案に、神谷先生は思案気に、
「理想的だが、そんな都合のいい贈り物があるかね」
「ないこともないよ」
即答したのは、星崎さんでした。
「そこは、文学に明るい栞町だ。駅ビルや街のスイーツ各店が行ってる、文学にちなんだホワイトデーギフトのカタログを取り寄せてみたんだけど」
少年の澄んだ瞳が、きらりと輝きました。
「それ、ぜひ今度見せてください!」
「今持ってる」
「どんだけ気合入ってんですか」
つっこむ神谷先生でしたが、星崎さんは何食わぬ顔で、鞄からいくつもカタログを出して並べながら、
「マーティンに呼び出された時点で、今日の話の主旨はなんとなく予想してたし、こういうことは資料がないとはじまらないと思って」
「千里眼ですか。もしかして先輩って王子様じゃなくて仙人かなんかじゃないすか」
「ほら、これなんかどうかな」
つっこみ続ける後輩を無視して、星崎さんは一つのカタログの真ん中あたりのページを開きました。
そこには、古今東西の恰好をしたかわいい女性たちのイラストとともに、おしゃれな装丁の本とハンカチーフのセットがいくつも並べられています。特集タイトルはずばり、『星降る書店、カントリーガールコラボ商品 ホワイトデー名作ギフトセット』
さり気なく、自分の書店の商品を出してくるあたりが抜け目ないな、と思った神谷先生でしたが、もうなにも言いませんでした。
カントリーガールとは、小中学生に人気のファッションブランドです。栞町駅ビルの一階にも入っていて、おとぎ話のヒロインや、少女小説のヒロインをモチーフにした服や小物を中心に次々新作を発表しています。
食い入るようにカタログを見つめながら律儀に読み上げるマーティン。
「『名作文学や伝記小説と、そのヒロインにちなんだハンカチーフのセット。贈る相手にあわせてどうぞ、充実の20種類から選べます。今年は少し背伸びをして、大人向けの本のヒロインが多数登場』か……」
熟考して、うん、と一人頷きます。
「いいかもしれない。もも叶たちも、もうすぐ中学生だ。大人の女性にだってじゅうぶん例えられる」
「それじゃ、この中から各自選ぶってことで、いいかな」
「はい! 決まりです!」
星崎さんにマーティンが力強く頷いたその時、
「ちょっと待った」
そう声を掛けたのは神谷先生。
「例えるヒロインの数は20種類もあるんですよね。その中で誰を選ぶかって案外重要じゃないですか」
当然のように、マーティンが頷きました。
「もちろんです。女の子は、自分のことを理解してほしい気持ちが強い。正解を選べば、自分をわかってくれてると思ってもらえるチャンスです」
「そのぶん外せば、なんか違うな、っていう微妙な空気は避けられないだろ」
参ったな、これ悩むな、と呟く神谷先生に、マーティンはふっと勝気に微笑みました。
「自信がないんですか」
「ぐっ」
「せいらは大切な仲間だから、心配なら助言くらいはできますが」
「くーっ、なんでそんなに余裕なんだお前は。外れ選んだらもも叶ちゃん、いじけて帰っちゃうかもなんだぞ」
「僕はそんなヘマはしません」
軽やかに笑って、星崎さんがまとめました。
「誰にどの種類を選ぶか、みんなで考えるとしようか」
かくして、チーム文学乙女たちを、名作の中の乙女に例える会が始まったわけです。
❤
カタログの中にずらっと並んだ女性たちのイラストを見て、最初に話題に上がったのは、我らが主人公でした。
「夢未には……いっそ、伝記のマザー・テレサとか、ナイチンゲールとかがいいんじゃないでしょうか」
マーティンが意見を述べます。
マザー・テレサは、貧しい人々を救った修道女、ナイチンゲールは病気の人々を救った看護婦です。知っている人も多い、心清き女性たちですね。
「だな。彼女まじ天使だし」
神谷先生も頷きます。
それだけで感じ入ったようにそうだねと語るのは、星崎さんです。
「夜遅く仕事から帰ったら夢ちゃんが気をきかせて夕食や洗濯をせっせとしてくれているのを見ると、いつもごめんと思うのと同時に、心に灯がともる想いだよ。『星崎さん、疲れてませんか』なんて心配された日には、抱きしめて離したくなくなるよね」
うんうん。
肩上で切りそろえた髪に、サイドの一部だけ三つ編みにした天使の姿が、カウンターの上空に現れました。
「でもオレが考えてるのは、このヒロインなんだ」
星崎さんが指で押さえたのは、情熱的なバラとヒロインのシルエットが描かれたハンカチーフと、ある有名アメリカ文学のセットでした。
神谷先生が驚きの声をあげます。
「『風と共に去りぬ』のヒロイン!? 古い映画でヴィヴィアン・リーが演じたやつでしょ。
夢ちゃんとは正反対ですよね」
「僕も、その作品なら読んだことがあります」
マーティンも、訝しげに言います。
「わがままで、男をひっぱたくほど気が強く、たくましくアメリカの南北戦場の時代を生きぬいた女性だ」
「それだけじゃない、失恋してやけで結婚し、相手が戦死すれば、妹の恋人を横取りして結婚し、三度目の結婚はお金のため。これでもかというくらいしたたかなんだ」
平然と付け加える星崎さんに、神谷先生は蒼白。
「そんな女性に例えられたりしたら、夢未ちゃんショックで寝込みますよ。それともなんですか、あの優しい子にひっぱたかれるようなことでもやらかしたんすか」
星崎さんはそれでも笑顔を崩さず、
「夢ちゃんが彼女だっていうより、もっとこのヒロインのように、自分に素直に言いたいことを言って、奔放になってもいいんじゃないかと思って。彼女、あの年でいろいろとらわれすぎだと思うんだ。もう少し、自分を解放してほしいんだよね」
神谷先生と、そしてマーティンとのあいだにほっとした空気が流れます。
「そういう意味か」
「去年のクリスマスだって、お父さんに脅されたのを隠して、オレのために自分を犠牲にされたときには、切なくて」
マーティンも頷きました。
「確かに夢未はちょっと気を遣い過ぎだと思います。一緒に遊んでいても、いつも僕らのことを優先して」
「その通り。あの天使ぶりでは、将来ぜったいに余計な虫がつくから、そういうのを撃ち落とせるくらいにはなってもらわないと。このヒロインが戦争中銃を手にし、危険に脅かされたとき兵士を撃ったように」
「先輩が一ミリも冗談じゃなさそうなのが怖いです」
けど、と神谷先生が続けました。
「そういうことなら、いいんじゃないですか。アメリカ超大作ヒロイン」
「星崎さんがそうきたなら、僕は、ロシア文学でいきます」
そう言ってマーティンが指差したカタログの上には、確かに、ロシア文学の名前と、作品に登場するヒロインの名前が何人か、描かれていました。
「『カラマーゾフの兄弟』? また、すごい大作を選んだね」
星崎さんが感心して呟きます。
「えっらい分厚い本だったよな、確か。ヒロインの名前だってここに三人も出てる」
神谷先生のぼやきに、星崎さんは補足。
「にも関わらず、全篇を通して、最高傑作に違いない。晩年ドストエフスキーが書き上げた、最後の著作だ。一生に一度は読むべきだね」
「ドストエフスキーか。敷居が高いですけどね」
「ところが、はまればやみつきになるよ。キャラクターがたっている、どころじゃない。その心理描写まで驚くほど深く、徹底していてぶれがないんだ」
ヒロインたちの説明書きを読んだ神谷先生は、その中の一人の名前をさしました。
「もも叶ちゃんなら、このヒロインか」
その説明書きには、
息子と父親、両方を虜にした魔性の女性。でも心の中は純粋で、少女のようなところがある。
うむ、とマーティンは思案気に頷きました。
「確かにもも叶は、たまにドキッとするくらい女の子っぽいところがある」
「どんななのかな」
微笑ましそうに訊く星崎さんに、マーティンは俯き、
「ふとしたときに、耳をかまれたり、上目づかいでねだられると、叶えてやりたくなったり……」
こそっと神谷先生が少年に耳打ち。
「色っぽいっていうんだよ。そういうの」
咳払いした少年は、続けました。
「そして、純粋というのもあってる。彼女は夢未のことを心から心配しているし、せいらのことも想ってる。でも、僕が選んだのは、魔性のヒロインではなく、彼女と対照的に描かれているもう一人のヒロインなんです」
おお、とどよめく周り。マーティン少年の選んだヒロインの説明は、こうでした。
気高く知性的な女性。誇り高いあまり、自分の愛している人を勘違いしてしまうことも。
「……この本を、ギムナジウムの図書室で読んでいたら、思いだしたことがあって。一年前のバレンタインシーズンの想い出です。もも叶に助けられた時のことで」
「海の魔女と対決して、小鳥の姿にかえられた君を救い出したんだっけ」
星崎さんに頷きながら、マーティンは大切なものを確かめるように真剣な目で、
「この作品の中の、自分がほんとうに好きな人は誰か悟ったヒロインが、裁判にかけられた恋人を救う証拠を叫ぶシーンを読んで、なんだか同じような気持ちになったんです」
星崎さんが、優しく言いました。
「本のシーンになぞらえて、勇気ある行動に、感謝の気持ちを伝えるんだね。頑張って」
「はい……」
そんな彼らを見て、途方にくれてしまったのが神谷先生です。
「二人ともすげーいろいろ考えてるな。オレどうしよ」
「まずはシンプルに、せいらの好きなところを考えてみればいいんじゃないですか」
マーティンが宣言通りのナイスアドバイス。
「なるほどなぁ。大人ぶって奥さんみたいなこと言うのもかわいいし、女の子らしい服装や仕草が苦手なとこも逆にぐっとくるし、いろいろあるけど」
「のろけるね、お前も」
今度は星崎さんがつっこんでいます。
「やっぱり、サバサバしてるように見えて、案外気にしいなとこかな」
「そうなんですか。せいらにそんな一面が」
驚くマーティンに、神谷先生は、
「あいつ、もも叶ちゃんや夢未ちゃんが落ち込んでると、絶対相談に来るんだよ。ドンと構えてるように見えて、どうしたらいいか、友達のことをいつも気にかけてるっていうの?」
「それなら、彼女なんてどうだい」
星崎さんが提案したのは、世界の伝記のあるヒロインでした。
その名前にマーティンはちょっと考えて、
「でも、さすがに彼女は……かなり、冒険では」
「うん。悲劇の女性ではあるね。悪いイメージも確かにある。でも、学説の中には、彼女は心優しい女性だったとする説もあるんだ。歴史が専門の龍介なら詳しいだろ」
差し向けられた神谷先生は、
「まぁ、そうですね。処刑される直前、うっかり靴を踏んでしまった人のことを気遣ったのが最後の言葉だった、とかいう話もあるくらいで」
と、おもしろい歴史の先生らしく豆知識を披露。
「そう考えると、彼女も、せいらみたく、優しさをなかなか万人にわかってもらえなかった、不器用な女性だったのかもしれねーな」
「それに、民衆に大人気のものすごい美しさだったっていうじゃないか。ますますせいらちゃんにぴったりだね」
「まぁ……悪くないですよね、ツンと強がる表情も、怒ってる顏も、笑顔は特に」
「結局、そこなんですか」
「マーティン少年、そうは言うけどな、カラマーゾフのヒロインだって、知的で清楚な美女って書いてあるぜ」
「……もも叶は、きっと、はつらつとしたきれいな人になる」
ちなみに、風と共に去りぬのヒロインは炎のような美貌の持ち主です。
「夢ちゃんにはなんとしてでもあのままのかわいい人になってほしい」
と、それぞれがいろいろと呟いたところで、ホワイトデーのための会合は幕を閉じました。
❤
結構な長話となってしまったので、帰り道、三人が帯紙公園の前を通りかかったときは、金色のお月様が真上に出ていました。
よくよく見ると、それぞれの手には、色こそ違えど、同じ本のマークがついた小さな紙袋を持っています。描かれている本の表紙には、桜の花と、それぞれ違ったモチーフが。
「あとは、それぞれ反応を待つだけってところかな」
桜と一緒に束ねられた真っ赤なバラの柄のついた袋を大切に小さなかばんにしまいつつ、公園の前の道を歩きながら、そう微笑むのは星崎さん。
その隣から、桜を葉っぱの耳に飾った、白い雪うさぎがプリントされている袋を揺らしながら、応じる声がありました。
「星崎さんのおかげで、いいプレゼントが用意できました」
殊勝なマーティンのその言葉に、星崎さんは笑って首を横に振りました。
「いや。そもそも今回のことを提案してくれたのはマーティンだから。助かったよ」
そうだよな、龍介、と声を投げた先には、さくらに囲まれた宮殿の描かれた袋を持つ神谷先生。
「二人ともほんとマメだよな。オレなんかホワイトデーなんて存在すら忘れてたから、えらい目に遭うとこでしたよ」
そこで少年が思わず足を止めたので、数歩先を言った大人二人が、何事かと足を止めました。
「……信じられない」
マーティンは、呆然と呟きます。
「記念日を覚えておくのは基本中の基本だって、このあいだ星降る書店で買った本にも書いてあったのに」
神谷先生はこれを受けてちょっといじわるく微笑み、
「へぇ、教えてくれよ。いったい何の基本なんだ?」
「それは」
ちょっと顔を赤らめていいよどみ、しかしマーティンも負けじと答えます。
「つ、つ、つきあって――」
絶妙なタイミングで、にゃぁ、と叫ぶ声が響きました。
公園の中からのようです。
素早く声の方へ視線をやった星崎さんが、涼やかな目元を見張りました。
「あれは……」
視線が交わされ、誰からともなく、公園の中へと足を踏み入れました。
ブランコの隣、置かれた段ボールをマーティンが険しい顏で見つめました。
「ひどい。誰がこんなこと」
月の光をあびて、助けを求めるような目をしてそこに佇んでいたのは、とてもかわいい、 三匹の、それぞれ種類の違う、子猫たちでした。
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