⑨ いたづらな本の魔法

「みんな。ごめん。原因はわからないけど、これはデータをとりまとめてるオレの責任だ。

この事態にみんなを突き合わせるのは忍びないから、約束通り、午後はカラオケに行ってくれ」

カウンターの前で、みんなにそう言う星崎さんに、わたしはすぐに答える。

「そんな。星崎さんを残していけません!」

斜め後ろから応戦する声が。

「そうだよ。あたし最後までやる!」

「当然だ」

「乗りかかった船ですわ!」

ももちゃん、マーティン、せいらちゃんの声に、わたしまで嬉しくなる。

「星崎さん、みんなでもう一度探しましょう。USB」

「みんな……」

星崎さんも、感激してる。

「きっと見つかるわよ」

にこっと笑ってくれるせいらちゃんの横で、神谷先生が、参ったなと笑う。

「だが、見つかんなかった場合また一からだろ。先輩、気を付けてくださいよ」

「ごめん。少し目を離したすきに」

「本のデータぜんぶ読み込んだ作業のあとで、肝心なデータがないって、唇奪ったあとに告白するみたいなもんだぜ」

 ! な、なんか、どきっとする例えだね。

 告白の前のキスって。……わたしも一回だけされた覚えのあるような。

 星崎さんは、心から申し訳なさそうな顔をして、

「龍介。いいんだ。恋愛でも順序をふめないオレのことはかまわずに行ってくれ。ただその場合、棚卸のとき、生徒を働かせて自分だけ一人カラオケに逃げた塾講師として、星降る書店史という本に残るけど」

 そんな本、見たことないけど。

 神谷先生は両手を上げてすぐ降参した。

「わかりました! 手伝いますよ、オレも! ……たくぜってーさいしょっから策略だよこれ」

 星崎さんを見ると、きれいに笑ってる。

「時には順序や秩序なんてぜんぶ飛んでしまうことがあるってことだよ。仕事でも、恋愛でもね」

 それ、どういう意味なんだろう。

 ついじーっと星崎さんを見ると、目が合って、微笑みかけられて。

 わたしはあわててガラス張りのお店の壁の外を見てるふりをした。

 窓の外には真昼なのに白く三日月がでていて。

 いきなりのキスってびっくりしたけど。

 ……もう一回、されてみたいな。

 ってわたし、何考えてるの。

 一人で恥ずかしくなって、ごまかすみたいにわたしはUSBの大捜索へと立ち上がるみんなに加わった。

 みんながカウンター周辺、わたしは事務室の捜索にあたった。

 床によつんばいになって、USBが落ちてないかくまなくさがすけど、やっぱりない。

 ここじゃないのかな?

 頭をあげようとすると、なにかが頭の上に飛び降りて来て、ぴょんと弾んだ。

「きゃっ。な、なに?」

星崎さんお仕事用のデスクの上に、しっぽをふって笑ってる黒い影……!

「あーっ、黒猫王様!」

「どうじゃ? カレの力になれそうかの」

 わたしのTシャツにお茶をこぼした黒猫さん。

 わたしは、USBがなくなってから、ずっと思っていたことを言った。

「データ、あなたが持ってるんでしょ?」

楽しげに、黒猫さんは首をふる。

「さて、なんのことかの~」

 やっぱり、そうなんだ。

 さっき、休憩中に星崎さんがUSBのささってるパソコンから離れたのは、ほんの一瞬。

 今わたしが着てるブラウスを取りに行ってくれたときだったの。

 そのとき、カウンターのすぐ近くを自由に行き来できたのは、猫さんしかいない。

わたしは手をさしだした。

「USB、返して。星崎さん困ってるの」

「ひとぎぎのわるい。われは、そちの願いを叶えたのじゃ」

「どういうこと……?」

「カレの力になりたいのであろう? ならば、カレが窮地に陥らねばはじまらぬ」

 がくっと、全身脱力。              

「極端すぎるよ! もう、疲れてるカレを余計疲れさせちゃった……」

 ぴょんと、猫さんはデスクの上の本に飛び乗る。

「ヒントをやろう。USBは、この店の本の中の一冊に挟んだ」

「ほんと!?」

「それは」

猫さんは目を糸みたく細めた。

「いたづら好きな本じゃ」

 ……。

 なにそれ~!

「そちもきっと、この本に恋のいたづらをしかけられてしまうじゃろうて。くくく、愉快愉快」

 猫さんは大きく弧を描いて、デスクから飛び上がった。

 今だ。つかまえなきゃ。

 わたしはジャンプして両手を伸ばしたけど、猫さんの高さまで届かない。

 事務室の床に着地したときにはもう、黒い影の姿はなかった。

 「いたづらな本」を捜して、わたしは星降る書店をぐるぐる回った。

でも、それらしき本はない。

 まだ捜してない場所っていったらただ一つ。

 わたしは今事務室の本棚で、脚立に上って捜索中なんだ。

「夢ちゃん、もういいよ」

 デスクで今日の作業の片づけをしていた星崎さんの声がかかる。

「そこにある本は商品じゃないし、今日は触ってないから、たぶん関係ないんじゃないかな」

 でもでも、諦めたくないの。

「星崎さんなら、心当たりありませんか。いたづら好きな本が、データを持ってるはずなんです」

「え?」

「あ。いえ、その」

わたしはなんとかごまかした。

「もう、本がいたづらしてUSBを隠し持ってるとしか思えません」

 本棚とは背中合わせになっているにデスクから、軽やかに笑う声がする。

「夢ちゃんの発想はゆめゆめしくていいね」

「あはははは」

 ……はぁぁぁ~。

「いたづらか」

 星崎さんがいきなり真剣な声を出したので、わたしは思わず動きをとめる。

「昔読んだ本で、こんないたづらもあるのかって感心した本ならあるかな」

 さすが、星崎さん。

「どんないたづらですか?」

「ターゲットが何の気はなくいった願いを、真実に変えて驚かすんだよ。例えば、憂鬱なことがあると、こんなふうに言うことがあるよね。『明日槍が降らないかな』」

そんなことがほんとうになったら怖いな。

「それに難しそう。自分の思うままの願いを、相手に言わせなきゃいけないんですよね」

「そう仕向けるんだ。言質を取るとか、かまをかけるっていうやつだね。案外簡単だよ」

えー、そうかな。

「もし、小さな願いが叶うとしたら、夢ちゃんならまずなにを願う?」

「願い、ですか?」

そう言われると、なんだろう。わたしは考えた。うーん。

「そんなに悩まなくても、その年ならいろいろあるでしょ。遊園地で思いきり遊びたいとか、お菓子を好きなだけ食べたいとかさ」

 あ、夢ちゃんなら好きなだけ本を読むほうがいいかって笑う星崎さんを見て、わたしは思いついた。

「ずっと、一緒にいたいです。星崎さんと」

 星崎さんはぱちりと指を鳴らした。

「言ったね。絶対だよ。いやがっても閉じ込めるからね」

「はい。ん、え?」

 あまりにふつうの口調で言われたから、思わずはいって言っちゃったよ。

「これが、その本にでてくるいたづら。もしオレがするならって考えたんだ」

 ってことは……わざと、言わされたってこと?

 星崎さんと一緒にいたいって。

「うわぁ、やられた~」

 何気なく言ったことがほんとうになる。

 言った本人がいちばんびっくり。 

 わたしはひらめいた。

「それって、『公園のメリーポピンズ』にでてくるお話ですか?」

 バンクス家の男の子、マイケルは、家中の誰も相手にしてくれなくて、退屈な日の夕暮れ時に、一番星を見ながら、なにかラッキーなことないかなって呟く。

 そしたらほんとうになってしまうの。

 翌日の朝はなにもかもが思い通り。ふだんは厳しい家庭教師のメリー・ポピンズでさえも、好きにやりたいことをやらせてくれる。

 でも、それだけじゃなかったの。

 公園で猫をおいかけていたら、なんと、猫星という星にきてしまうんだ。

 そこには猫の王様がいて、手厚いおもてなしを受けるんだけど、あとで大変なことに……。

 これだ!

 いたづらな本の正体、それは猫の王様が住んでる本。なんで気付かなかったんだろう。

 この部屋にもあるかな。

 脚立に立ったまま急いで棚に目を走らせたら、あった!

 きれいな緑色の表紙には、桜の木と枝にかかっているオウムの柄の傘が描かれてる。その下で編み物をするメリーと、傍らに寝そべるジェインとマイケル。

 わたしはさっそくその本を開いた。

 すると、勢いよくなにかが飛び出してきて。

「大正解じゃ~。褒美をやろう!」

 でてきた黒猫王様は星崎さんに聞こえないように小声で囁く。夢にまで見た小さな筒型のUSBが、しっぽにからまって、こっちに近づいてくる――!

「ほれ、でこぴん」

 猫さんのしっぽが、わたしのおでこを弾いた。そのまま舞い落ちたUSBはキャッチしたけど。

「わ、わわっ!」

 わたしはバランスをくずして、脚立から滑り落ちた!

 倒れた脚立が本棚にあたって、たくさんの本が落ちてくる――。

 ばたばたばた――。

 あれ? 痛くない?

 倒れたわたしはそっと目を開けた。

 そして、ひっと声をあげる。

「星崎さん……!」

「大丈夫、夢ちゃん」

 目の前に、カレがいる。

 床に手と膝をついて、わたしをかばうようにして。

「あまり、無茶をしたらだめだよ」

 ごめんなさい。でも。

 わたしはぱっと、USBを差し出した。

「ありました! 大事なデータ」

 ほんと、よかった~。

 なのに。

 あれ。

 星崎さん?

 なんでそんな切なげな目をするの?

 彼は何も言わずに、すっと右手を伸ばして――わたしの首元にもっていく。

 そして、首元のリボンをほどいて、上のボタンを二つ、外した――。

「星崎さんっ? どど、どうしちゃったんですか――あっ」

 胸元に感じる、温かい感触。 

 ブラウスのはだけた、首の少し下。そこに、彼が口づけてる。

 少しだけ沁みる、なのに限りなく甘い感覚。

 心臓の音聞かれないかなってくらい、どきどきいってる。

 この時がずっと続けばいいと思う。

 顏を上げた彼が拭う唇にはかすかに赤い跡が。

「これから、ちゃんと手当しよう」

 わたしはようやく気付いたんだ。

 脚立から落ちる時、本の角があたったそこを、軽く怪我してたの。

「星崎さん……あの」

「なに?」

「立ち上がってくれないと、体勢的にわたしも立てなくて」

そのとき、バタンと勢いよく、事務室の扉が開いた。

「夢! どうしたの?! すごい音した……け、ど」

そこまで一気に言ったももちゃんが、わたしたちを見てきゃっと息を飲む。

「ごめん。どうしよ、超いいとこ邪魔しちゃった!」

 隣で開けた扉を押さえてるマーティンも、顔を真っ赤にしてお魚みたいに口をぱくぱくさせてる。

後ろで、逆に青褪めてるのは神谷先生。

「……先輩、さすがにまずいっすよ。あと5年は待たないと」

 いやーって高い声を出すももちゃんの横から、せいらちゃんがやってきて。

 無言で、扉を閉めた。

 また、彼と二人きり。

 なんか、ものすごい誤解されたような。

 そう言うと、星崎さんは肩をすくめるように笑った。

「そんなこと、夢ちゃんは気にしなくていいよ。なんなら、その誤解も、真実にしようか」

 え。

 どういうこと?

 首を傾げたら、星崎さんが近づいてきて――。

「もう少し、このままでいようかってことだよ」

 煙に巻くみたいにそう言われちゃった。

 でも、いやじゃないから、わたしはただ、頷くしかできないんだ。

「はい。……もう少し」

 ゆっくり目を閉じて、時の流れに身を任せながら、わたしは思った。

 これも猫さんのいたづらなのかな?

 だとしたら……大成功だね。

 上から、星崎さんの声がふってくる。

「一日お手伝い、ありがとう」

 胸の横に落ちてる緑の表紙に黒い小さなシルエットが加わって、にっと微笑んでいた。

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