⑰ でっちあげ恋人の正体

 夢の中に、大好きな彼がでてきた。

 先を歩く彼をあたしは追ってる。

「かみやん、ごめんなさいっ」

 届くように必死で叫び続ける。

「ほかに恋人がいるなんて言って。でもあたし、やっぱりね、かみやんが好き」

 立ち止まって、声を限りに、叫んだ。

「かみやんにはどうでもいいことかもしれない。でも、どうしても謝りたくてっ!」

 彼が、振り向いた。

 その顔は悲しそうで。

「だから、泣くなよ」

 え?

 あたしはそのときはじめて、ほっぺたが濡れてることに気付いた。

「そういう顔させたいわけじゃないんだって、言っただろ」

遠くにいるのに、彼の声がすぐ近くから聞こえる。

「せいら」

 あたしを、呼んでる?

「せいら」

 そこで目が覚めた。

 あたしは坂本さんの足元に頭をもたれかけてた。

「このままでいい。離れないでください」

 たくさんの機械。目の前に、船の梶。ここは……船の操縦室?

 目の前のガラスに広がる先の海には、相変わらず死の国々が不気味に浮かんでる。

「今から、死の国を抜けます」

荒波が襲ってきて、坂本さんはそれでも力強く梶をきってる。

一瞬、それが、車のハンドルに見えた。

どうしたのかしら。頭が……熱い。

そこへ、ぎしっ、ぎしっと鉄が床を踏みしめる音がする。

「無駄だ、坂本とやら。お前がいくら梶をきっても、逃れられるのは荒波だけ。どこにも辿りつけぬ。せいら姫はわが花嫁となる」

で、でたぁぁっ。

「わが腕から逃れるには、せいら、そなた自らの手で行うしかないのだ」

 悔しそうに、坂本さんが死の国の騎士を睨む。

「ヴェールをかけた姫が謎を解けばこの船は暴走を止める。だが分からないだろう? うぬぼれのせいら姫よ。お前には、怪盗ルパンが仕掛けた謎の答えなど」

「せいらさんはうぬぼれ姫ではありません」

坂本さん?

「友達に心配かけないために、恋人を作ったんです」

にやりと、騎士の顔を覆った鉄の割れ目の部分が、口みたいに歪んだ。

「ほう、ほんとうに好いている男に背いてか?」

悲痛そうに、坂本さんも笑い返す。

「いいんです。せいらさんを悲しませる人のことなど」

しゅっと空気を切る音をさせて、騎士が腰から剣を抜いて、坂本さんに向けた。

「せいらよ。回答のチャンスは一回だ。心して答えよ。この男を何者と解く」

あたしは目を閉じて、心を落ち着けた。

大丈夫。

今度はほんとうに、大丈夫、

ゆっくりと、推理披露を始める。

「坂本さん。あなたはセーラからの贈り物ではなかった。あの手紙は、ももぽんがセーラになりきって書いてくれたもの。そして、ルパンの変装でも、ない。証拠は、死の国からあたしを逃がそうとしてくれる、あなたのその行動。本の中のルパンはフェアな勝負を好むわ。進んであたしだけの味方をしたりはしないはず」

坂本さんは額に汗を浮かべて、じっとあたしの声を聴いていた。

騎士が口を出す。

「ごたごたと御託はたくさんだ。時間稼ぎのつもりなら、潔く降参するんだな」

あたしは、騎士を見た。

ふっと、口元に小公女探偵の笑みを浮かべて。

目の前に現れた恋人、坂本さんを指さす。

「坂本竜平さん。あなたの正体は」

あたしにはわかったの。

「かみやんね」

そう言ったと同時に彼が光に包まれて。

白いタキシードじゃない、ワイシャツ姿で、さらさらの髪。きりっとした目は、今はひどく疲れてる。正真正銘のかみやんがそこにいた。

「バレたか」

それでもすがすがしそうに、彼は言う。

「むむ、無念っ! あと一歩だったものを……!」

騎士の鉄の仮面が、鎧がバラバラになって崩れて、消えた。

ほっとしたのもつかの間。

がたっと大きく船が傾く。

素早く、彼が梶に手を戻した。

「荒波は自力で乗り切れってか。まぁいい。運転には多少覚えがあるからな」

「手伝うわ」

二人で勢いよく梶をきって、なんとか船の態勢が戻る。

「さんきゅ、せいら。あとは任せとけ」

「オーケー。全神経使ってへとへとよ。誰かさんのおかげで」

あたしはその場に座り込んだ。

「けど、なんでわかったんだ」

「つめが甘いのよ。抱き上げられた時、タキシードの胸ポケットから、これがちゃんと見えたわ」

あたしがバッグから取り出したのは、キャンディーの包み紙だった。隅にはこう書いてある。“ルパン・キャンディー”。

「ほんと、よく見てんのな」

「大雑把なとこ、直したほうがいいわよ?」

「今回ばっかりは異論なしだ。なんでもかんでもやたらと試すもんじゃねぇな。まさかほんとに顔かたちまで変わるなんて、さすがにびびったぜ」

「でも、どこで手に入れたの?」

海の向こうを見つめながら、かみやんは語り出した。

 マーティンに、塾の前でせいらが船上パーティーに出ることを知らされた、直後だったんだ。

『神谷先生っ』

傘をさした泉先生が、後ろから歩いて来て。

『なに深刻な顔して歩いてるんですか? まるでちゃんと人生に悩んだりする人みたいですわ』

『泉先生、いい加減オレへの評価改めてもらえますかね』

『ふふん。わたしをふって選んだ本物の恋が、うまくいってないんですか?』

『……』

『図星ですね。じゃ、傷心の神谷先生に、いいものあげます。手出してください』

すとん、と彼女がオレの手に落としたのは、しゃれた赤い包みで包まれた飴玉だったってわけだ。

『これはどうも』

『駅前で配ってたんです。ただの飴ちゃんと侮るなかれ。じつはこれ、特別な飴らしいんですよ。配ってる人がそう言ってたんです』

声を潜めて、泉先生は耳元で囁いた。

『――なんてね。ほんとうなわけないけど。お菓子を配るのに、随分とおしゃれな演出ですよね。それじゃ』

白いハンドバッグを振りながら去って行く泉先生を見て、思ったんだ。

せいらの婚約者ってどんなやつだろう。どうせならなってやるかって。

柄にもなく、なんにでも縋りたい心境ってやつだ。

例え、ただの洒落た演出にでも。

そこまで聴いてあたしははっと思い至った。

モンゴメリさんの、言葉。

『くれぐれもあなたたちは手を出さないこと。その間は高熱状態でいなければなれないっていう副作用付きの危険な商品なの』

 ねぇ、ってことは今、彼。

 かみやんの呼吸は荒くて、相変わらずひどく汗をかいてる。

 嘘でしょう。

 彼が演じた坂本さんはスマートで、余裕で。

 ぜんぜん、気づかなかったじゃない!

「かみやん、どうしてそこまでして」

「……そのままの姿で、せいらの隣に現れる勇気がなかったんだ」

 どういうこと?

「オレは別にいいよ。なんて言われようとかまわない。ただ、かわいがってる生徒が悪く言われたり、そのために重荷を背負ったりするのは、いやなんだ」

「……先生と生徒だから?」

 それだけで、そこまであたしのこと……?

 彼は、それには答えなかった。

 代わりに、別の話題を出した。

 ちらりと、あたしの足元を見て。

「悪かったな」

「え?」

「せいらのミュールのひも、切っちまって。あのデザインなら秋まで履けたろうに」

 あぁ……。

 もう、なに言ってるのよ。

「あれは、メルヒェンガルテンで悪者の策略で線路にあたしのミュールがはまったとき、迫ってきた汽車からあたしを助けるために、タイピンでミュールのひもを断ち切って助けてくれたんで……」

はっ!

しまった。

あたしは口を押えたけど、もう遅かった。

真剣な顔で、彼が海の向こうを見てる。

「やっぱり、夢じゃなかったんだな」

どうしよう。

バレちゃった……!

「汽車がせいらに迫ったあのとき、この世が終わるかってほど焦ったんだ。はっきりわかったんだよ」

彼がこっちを向いた。その目は見たこともないほど、真面目で。

「お前はただの生徒じゃない。先生じゃなければよかったと、何度も思った」

 まだ波は高いはずなのに、辺りがとても静かで。

 ふいに、自嘲するような表情がその目に浮かんだ。

「正直どうしていいかわかんねーよ。ただただかわいかったお前に、こんな気にさせられるなんてさ」

手が、肩が、足が。

全身が小刻みに震える。

ねぇ。

足りないわ。

そんなんじゃ。

怖くて、それでもたまらなくて、あたしは彼にしがみ付いた。

「かみやん、言って。お願い、やめないで」

「残念ながら」

彼の声以外、もうなんの音も聴こえなかった。

「神谷先生じゃなきゃいけないオレは、一人の生徒に参ってるんだ。おませで、がんばり屋なその子のことがかわいくて、仕方なくなった」

荒波が消えて、船の行く先に光が射してきたことにも、あたしは気づかずにいたの。

ちょっと途方にくれたように笑った彼の顔から、目が離せない。

「オレが好きだって言ったら、困るか。せいら」

力が抜けて、頭が自然と彼の肩にもたれる。

涙が流れて、とまらなくなって、小さい子みたいに彼にすがって、あたしはすすり泣いた。

それが返事になった。 

穏やかな時間の波がいつまでも過ぎていった。

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