番外編 本贈る日は告白の予感
① 桜の淑女と本贈る紳士
カフェ『秘密の花園』までの道の両側に白い桜並木の道ができてる。
まるで赤毛のアンにでてくる恋人の小道のようなその通りを、わたしは親友のももちゃんと手をつないで歩いていた。違うのは、辺りがのどかな青空じゃなくて、シックな夜の星空に囲まれてるってこと。
ここは、栞町の星降る書店の名作の部屋の向こうにある、不思議な世界。
メルヒェンガルテンっていう本の中の場所なんだ。
「夜桜の下でお茶会なんて、さっすがモンゴメリさん。粋だよねぇ」
ももちゃんが歌うように言いながら、つないだ手を大きく振った。
「どんなスイーツが出るんだろ。楽しみ」
モンゴメリさんは乙女心たっぷりのカフェ『秘密の花園』の店主さんで、言わずと知れた『赤毛のアン』の作者その人。今回は春のお茶会に、わたしたちを招待してくれたんだ。
わたしたちっていうのは、チーム文学乙女のこと。本の中の世界の事件を解決してる三人組なんだ。
「でも、せいらちゃん、残念だったね。来られないなんて」
わたしはもう一人の親友のことを思ってちょっと落ち込むけど、ももちゃんは相変わらず夜桜を見上げて、
「お嬢はお嬢らしく、日本庭園の桟敷でお抹茶でも飲んでればいいんじゃない。ぜったい高級料亭でおいしいものいっぱい食べてるよ」
あらら、食べることばっかり。
「せいらちゃんだって、ほんとはわたしたちとこっちに来たがってたんだよ。ごめんなさい、おうちの都合でどうしてもってあんなに謝ってたじゃない」
ちょっぴりせいらちゃんをかばうと、ももちゃんはあっけらかんと笑った。
「だから、なにをそんなに気にしてんのかって話よ。庶民じゃぜったいできないことなんだからさ、お腹が破裂するまで楽しんでくればいいのに」
それを聞いて、わたし目をぱちくり。
力が抜けて笑えてきちゃう。
なんだ。軽口は出ても、せいらちゃんの今回のお休みのこと、なんとも思ってないんだ。ももちゃんらしい。
そうこうしていると、『秘密の花園』の広いお庭についた。
季節ごとにまるで違う場所みたいに全然違う様子になるその庭園には、今日は真ん中に一つあるひときわ大きな桜の木の下に、白いテーブルと三つ椅子が置かれてる。テーブルにはピンクのはなびら柄のティーカップに入った桜ティーが湯気を立ててる。台座のようなお皿の上に積みあげられた紫とピンクのマカロン。銀色のお皿が三段重なってるケーキスタンドのてっぺんには、ラズベリージャムを挟んだいちごのシフォンケーキ。その下にさくらんぼの乗ったスコーン、一番下に、ホットサンドが乗ってて……。
見た目もかわいいけど、すごいボリューム。こんなの三人じゃ食べきれないよ。
わたしとももちゃんがあまりの豪華なお茶セットにぼうっとしていると、それを用意してあとはお客を待つばかりと椅子に座っていた、完璧な女店主のはずのモンゴメリさんが、ようやく顔を上げた。
「あなたたち。もう来てたの」
今日は紫ピンクのバラ模様に茶色の襟とベルトのワンピースでおしゃれに決めてる。でも……。
わたしとももちゃんは顔を見合わせた。
いつもその装いもばっちりなモンゴメリさんの自慢のまとめ髪が今日はちょっとだけほつれてて、眼鏡の奥の目も元気がない感じなの。
「モンゴメリさん。なにか、あったんですか。……なんか、悲しそうだから」
モンゴメリさんはふっと笑って首をふった。
「あなたたちが心配するようなことではないのよ。さ、お茶会をはじめましょう」
そう言って手を叩いてくれるけど、やっぱり気になるな。モンゴメリさんがそう言うからには、いつもみたいな本の世界の事件じゃないんだろうけど、大好きな人が落ち込んでるときには、やっぱり力になりたいよね。
「モンゴメリさん。また本の中新聞読んでたんですか?」
モンゴメリさんがあ、と声をあげるより早く、めざといももちゃんが、緑色の文字で印刷されてるその新聞をテーブルの上からひったくった。
本の中新聞は、メルヒェンガルテンで読まれてる新聞。本の中の事件のことや、コラムなんかが書かれてる。
「なになに。一面記事は、『くまのパディントン、アルバイトで日本の栞町へ』」
えーっ。
あのすてきな本の主人公、くまのパディントンが、わたしたちの住む町に来てるの?!
新聞を広げたももちゃんの方にぐっと突き出したおでこを、ぴたっとももちゃんに止められる。
「いやいや。ここはとりあえず今はスルー。肝心なのはその下の4月のコラム……『桜の季節に想う、赤毛のアンの作者の苦悩』」
赤毛のアンの作者――モンゴメリさんのことだ!
「『天才女流作家モンゴメリ嬢の夫が実は生前病気だったことが判明。モンゴメリ女史は長年看護に苦しんだすえ、とうとう夫を回復させることができなかった、実は悲劇の女流作家だった』」
ももちゃんは読み終わったあとで、声に出したことを後悔したみたいにうなだれた。
いいのよっていうように、モンゴメリさんが目を伏せて微笑む。
「少しだけしんみりしてしまったの。わたくしは、妻としては、失格だったのかもしれないわね」
テーブルの上でティーポットにそっと触れたモンゴメリさんの白い手に桜の花びらが落ちた。
天才女流作家さんにも、普通の女の人としての悩みがあったんだ……。
さくらの花たちから溢れる光が、わたしたちに大きな影を投げかける。
「やぁ、夢未ちゃんにもも叶ちゃん。それに、モンゴメリ嬢」
いつもふらりと現れる、薄グレーの帽子とフロックコートの、ケストナーおじさんだ。
言わずと知れた、子ども向けの本の天才作家さん。でも、どう見てもいつもひたすら陽気なだけのそのおじさんは、いつものにこにこ笑顔で近寄ってきた。大きな花束を持ってると思ったら、その中身も、いっぱいの桜の花。
力なく、モンゴメリさんが微笑む。 。
「変わった花を束ねたのね。いつもの気まぐれかしら」
ケストナーおじさんは片手で帽子をとりながら言った。
「いや。贈る相手にぴったりのものを選び抜いたのさ」
さぁっと音がして、紫のリボンと包みにぎっしり詰まった薄いピンクの花が、モンゴメリさんの前に差し出される。
「ふだん花束にされない、つつましやかな花がドレスアップした姿こそ君にふさわしい」
ケストナーおじさんは本の中新聞を手に取ると、揺れる春の夜風の中にさらっと離してしまった。新聞は踊るようにどこまでも舞っていく。
「あんな過去などどるにたらない。月並みの女性の幸せを得られなかったことが、そんなにたいしたことかい? 普通の女性が手にできない幸せを、君は得た。それも完全に自分自身の手で」
モンゴメリさんはしばらくケストナーおじさんを見上げると、ふっと息を吹いた。
「ありがとう。気休めでも嬉しいわ」
抱えた大きな花束を顔に近づけて、香りをかぐと、モンゴメリさんの眼鏡の奥の目が、大きくなった。
「ケストナー。……この桜は」
唇がふるえて言葉にならないモンゴメリさんの代わりに、わたしはそっと呟いた。
「プリンスエドワード島。赤毛のアンとモンゴメリさんの故郷の桜ですね」
「桜の中に、なにか入ってる!」
ももちゃんの言葉に頷いて、モンゴメリさんは花束の中から一冊の本を取り出した。
タイトルは『アボンリーへの道』。
耳元でももちゃんが囁いてくる。
「何の本なの、あれ」
「モンゴメリさんの書いた本が映画化されて、それがまた小説になった本だよ」
『赤毛のアン』の登場人物もでてくる。すごくおもしろいんだ。
「時には読者となって、自分の才能を愛でることも許されてしかるべきじゃないかな。ことに生前必死で働いた作家には。実際、君の本から派生した物語群はなかなかのものだ」
ケストナーおじさんの声を伴奏にするみたいに、桜吹雪が踊ってる。
そのさなかで、モンゴメリさんは本を抱きしめた。
モンゴメリさんにしか生み出せなかった、物語。
それは、わたしたちを楽しませてくれる本だけど、モンゴメリさんにとっても、かけがえのない宝物なんだ。・
「ケストナー先生、やるぅ」
モンゴメリさんはケストナーおじさんを見上げて笑った。やっぱりいつもみたく勝気に。
「少し、見直したわ。ケストナー」
目じりに小さな滴が光ってる。それも、桜色。ケストナーおじさんはそれに気づいてないはずないけど、ぜんぜん気付いてないみたいに肩をすくめて笑った。
「なに。しごく当然のことさ。4月とそして文学の才覚に恵まれた女性とくれば、贈り物をしない手はない。サンジョルディの日にはいささか早いがね」
わたしとももちゃんは、顔を見合わせた。
「「サンジョルディの日?」」
とっても、すてきな響きと、予感がしたんだ――。
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