⑥ 身代わり契約 ~マーティンの語り~
こうして僕らは三手にわかれ、それぞれの標的に向けて出発した。
僕はジョニーと一緒にもも叶を助けに行く。
とは言っても。
大魔法使いの魔法の館がどこにあるのか、それは誰も知らない。
メルヒェンガルテンのパレ駅の大きな路線図の前で、僕とジョニーは立ち往生していた。
「大魔法使いは、『大泥棒ホッツェンプロッツ』に出てくる人物。区分けで言うとドイツ文学になる。となると、僕らの住まいと案外近い場所にいるかも……」
ジョニーの推測に、僕は首を横にふった。
「魔法の館はこれまでメルヒェンガルテンの様々なところに現れてる。どこにでも現れることのできる、神出鬼没の城なんだ」
「それじゃ、僕らが追いかけているあいだにも」
その通り。
「移動するかもしれない」
僕らは黙った。
最初から行き詰まりだ。
「お困りかね、お二人さん」
僕とジョニーは振り向いた。
大きな旅行鞄を持って、緑色の蛇柄のワンピースに黒いつばつき帽子を被った、海の魔女が立っている。
「なんの用だ」
「おやおやマーティン坊や。ご挨拶だねぇ。そんなに怖い顏しなくてもいいだろ? バカンスついでとはいえ、せっかくあんたらをもも叶嬢ちゃんのところまで案内してやろうっていうのにね」
気を緩めず、海の魔女を睨む。彼女も魔族の一員だ。かつて捕えられて、商品にされそうになった身としては、簡単に信用するわけがない。
「今度はどんな見返りを要求するつもりだ」
「はっは。さすがはかつてのあたしのお得意様だ。話が早いねェ」
海の魔女は黒いつばの下の目をぎろりと、僕の隣に向けた。
「あんたの親友だよ」
そして、打って変わった猫なで声で言う。
「ジョニーや。あんたのその詩的感性が手に入れば、芸術のインスピレーションがじゃんじゃん浮かぶ薬が作れるんだよ。これが高く売れるんだ。ただし、あんたは一生あたしの奴隷だよ。別にかまやしないね? 才能を失くしたら、どの道作家になれる望みはないんだからね。
そうそう、奴隷になってからさからおうなんてお思いでないよ。あたしはこのあいだ大魔女さまが開発した、超強力な力が出せるグローブを手に入れたんだ。あんたたち坊やなんかひとひねりだからね」
ジョニーはうつむいて拳を震わせながら――僕にはわかった――すでに、決心している。
ジョニーの身柄とその夢か。
なるほど。彼女らしい高額な代償だ。
ジョニーが悲痛そうな目でこっちを見る。
「僕、行くよ。海の魔女はしたたかな商人には違いないけど、対価は必ず支払うから」
その通りだ。
そして、ジョニーがこう言うことも、予測がついていた。
「マーティン、好きな子を助けるのを、ためらうな」
僕は頷いた。
「海の魔女。契約の申し出を受ける」
魔女が鋭い歯を見せてにっと笑う。
「ただし、お前の受け取る対価はジョニーじゃない。この僕だ」
ジョニーが驚いて僕を見る。
「マーティン?!」
「お前の商品の材料になってやる。だからジョニーを必ずもも叶のところまで案内するんだ」
海の魔女はふふんと鼻を鳴らした。
「ま、どっちだってかまやしないさ。マーティン、あんたの正義感や人を想う気持ちも、相当高価な薬になるからね。それじゃ、契約書にサインしな」
海の魔女が鞄から差し出した紙とペンをためらいなく受け取る僕の手を、ジョニーは掴む。
「どういうつもりだ、マーティン」
「わからないか? もも叶を頼む」
「そうじゃなくて、この契約を受け入れたら、君は一生魔女の奴隷だ。もも叶ちゃんにだって会えなくなる」
ペンを走らせながらそっと僕は片目をつむる。
「こっちはなんとかする。君たちのリーダーが、海の魔女ごときに負けると思うか」
ジョニーは少し考えると、自分の首から、オレンジのリボンを外した。僕の紫のリボンにもすっと手をかけてほどくと、さっきほどいた自分のオレンジのリボンを巻く。紫のリボンはジョニーが自分の首の周りに結んだ。
「どうしてリボンを」
「文学にあやかった、ちょっとしたおまじないだよ」
僕は少し考え、すぐに彼の意図がわかった。
『大泥棒ホッツェンプロッツ』にでてくる大魔法使いの屋敷にとらえられた少年がいる。彼は友人とあらかじめ帽子を交換していた。そのために、大魔法使いが少年を呼び出すために帽子を使って、その持ち主を呼び出せる魔法を使ったとき、呼び出されたのは、帽子の真の持ち主である友人だった。こうして二人は大魔法使いをだしぬいたんだった。
確かにこうしておけばなにか役に立つことがあるかもしれない。
さすがはジョニーだ。
僕は彼に向き直り、きっぱりと言う。
「君は、もも叶に伝えなくちゃいけないことがある」
それだけ伝えると、僕は海の魔女に駆け寄った。
「きっと、彼女を助けてほしい。ジョニー」
海の魔女が黒くて長い爪をスッと掲げる。
僕と魔女の身体が透き通って行く。
「……っ、鋼の、誓い」
最後に、ジョニーがそう叫ぶ声が聞こえた。
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