⑲ 恋の気遣いってむずかしい?
「ねぇ、ももちゃん」
かわいいもの、おしゃれなものがたくさんのショーウインドーが並んだ駅前通りで。
わたしはさっきから、同じことをももちゃんに質問していた。
「白石さんが怒ってたのってわたしのせいだよね」
「違うって言ってるじゃん。これ以上訊いたら怒るよ」
気がついたら、星降る書店についていた。
クリスマスツリーやクリスマスリース。
中でも、自動ドアの上にきらきら光る聖母マリア様が両手を広げていて、すごくかわいい。
「だって。ももちゃんが、落ちこんでる気がするから」
「まぁ、正直言うとね」
ももちゃんはとうとう答えてくれた。
「たまに思うんだよね。クラスのみんなとは楽しく話してるけど、みんなはほんとはあたしのこと好きじゃないんじゃないかなって」
「――え?」
すごく、意外だった。
「なんでそんなこと思うの?」
いつも笑顔で明るくておもしろいももちゃんはみんなの人気者なんじゃないの?
「あたしもさ、みんなの前じゃ言いたいことがまんしてるとこあるんだよね。結構きついわけよ、これでも」
「えっ」
これもびっくりだった。
「ごめん。気づかなくて」
「無理ないよ。気づかれないようにやってたし、それに夢の前じゃなんだって言えるもん。あんたは、そんなことであたしを嫌ったりしないって安心できるから」
ももちゃん。
「でも、嫌われないように振る舞ってる自分に気づくとすごくいや。そういうのってかっこわるいよ」
うつむくももちゃんの横顔がとてもつかれてるみたいに見えた。
「でもよかった。夢に言えてなんかすっきりしたよ」
ぎゅっとわたしは拳を握りしめた。
「ちょっと夢。なんで泣いてんの。もう、大袈裟すぎっ」
「ごめん……」
ももちゃんの口調はあっさりしてたけど、そこにはとっても深い寂しい気持ちが潜んでる気がして。
気がついたらわたしは喋ってた。
「クリスマス・キャロルの中にね、『あなたはあんまり世間を恐れすぎるんですわ』っていう言葉があるんだ」
ももちゃんは一瞬きょとんとしたけど、
「読む前で、予告編になっちゃうけど、この話、聴いてくれる?」
そう言うと、静かにうなずいてくれた。
主人公は、お金儲けしか興味のないスクルージっていうおじさん。
クリスマスイブの夜、スクルージさんは三人の幽霊に連れられて不思議な世界を旅するんだ。
一番最初にやってきたのが「過去の幽霊」。過去の世界で、スクルージさんは昔の恋人にお別れを言われる自分を見るの。
『あなたは変わってしまった。もうわたしを愛していない。だからお別れしましょう』って。
そのときに恋人が言うの。
『あなたはあんまり世間を恐れすぎるんですわ』って。
どうしてスクルージさんがお金ばっかり大切にするようなってしまったのかっていうヒントがこの言葉に詰まってる気がして。
『世間』っていうのは世の中、つまり周りの人たちのこと。
人にばかにされないようにとか、えらく思われようとか好きになってもらおうって、
そう思うことだってあるけど。
「でも、それより大切なことがあると思うんだ」
ももちゃんは目を伏せて言った。
「彼と、同じこと言うんだね」
ももちゃんの好きな彼も、そう言ってたんだ。
言いそう。なんたって、上級生にも刃向うマーティンだもんね。
「夢は、その大切なことってなんだと思う?」
うーん。
ちょっと考えてわたしは答えた。
「ほんとうに自分のしたいこと、かな」
みんなに好きになってもらおうってあまり思いすぎると、自分の心がわからなくなって、クリスマスさえ楽しめなくなっちゃうんじゃないかな。
だからね、わたし、この物語の終わりでクリスマスを楽しむスクルージさんのことを読んでほっとしたんだ。
わたしのこと嫌いっていう子もいるし、お父さんもお母さんもわたしのこと好きじゃないみたいだけど、それでもいいのかなって。
クリスマスを一緒に楽しめる大好きな人たちがいる。そういうわたしを好きでいていいんじゃない? って。
ちょっとだけ思えたの。
「もしもクラスのみんながある日突然ももちゃんのこと大嫌い! って言ったとしても。わたしは大好きだからね。だから、いつもみんなの好きなももちゃんでいなくていいんだから。それは覚えといてね」
「……ありがとう」
わたしはももちゃんに続いて自動ドアをくぐった。
そして立ち止まる。
え。こんなことって。
お店の中にお客さん、誰もいない……。
ほんとならクリスマスは大忙しなはずなのに。
お客さんを一人でも見かけるように祈りながら奥に向かうけど、お店の人以外、やっぱり誰もいない。
がらんとした文庫の新刊コーナーで、一人、星崎さんがクリスマスフェアの看板を直している。
こんな状態なのに、星崎さんはわたしとももちゃんを見かけるといつもと少しも変わらない笑顔を浮かべた。
「二人とも。今帰り?」
「はい。星崎さん、あの、お店」
どん、と腕をつつかれる。
つついてきたももちゃんを見ると、首を横に振っていた。触れちゃだめ、って口パクで言ってる。
「えっと」
わたしは、もともとの用件を思い出した。
「今日のお夕飯、何にしますか? わたし、お買い物して、作っておきます」
「ほんと? 助かるなぁ。そう言えば、夢ちゃん、料理得意だったね?」
恥ずかしくて、わたしは俯いた。
「得意ってほどじゃないけど……。お母さんと二人だったとき、やらなきゃならなかったので」
「今夜はクリスマスイブだし、ごうちそうにしようか。帰ったらオレがローストチキンでも焼くから。
カラフルなオードブルとか、ケーキとか地下のスーパーで買っておいてくれる?」
それはだめ。
わたしはいつもの癖で、このときつい思っちゃったんだ。
「あの。わたし、普通のご飯がいいです。今日は、白いご飯と納豆の気分というか」
お金がないときは、そんな贅沢は、だめだから。
でも。
……。あれ?
ちょっと、変な空気になった??
星崎さんは笑顔だけど一段、低い声で言った。
「夢ちゃん、騙されないよ。お客さんがあんまり来ないから、オレが困ってると思って気を遣ってるんだろ」
「え……。あの」
どうしよう。まさかばれちゃうなんてっ。
「見くびってもらったらこまるな。小学五年生の、それも西洋文学が大好きな子がさ。クリスマスイヴに普通のご飯でいいなんて、そんなわけないでしょ」
う、うう。それは、ほんと言うと、クリスマスのお料理にはずっと憧れてるし、ケーキだって大好きだけど……。
星崎さんは膝を折って、わたしの肩をぽんと叩いた。
「心配しないで。これでも夢ちゃん一人、お腹いっぱい食べさせるだけの稼ぎはあります。オレのことを想うなら、今日は地下のスーパーで思いっきり、食べたいものを買ってきてください」
え、で、でも。
「はい、これそのお金ね」
くまさんのがま口財布を渡される。
お金がいるときは、この中に入れて渡すからねって星崎さんが用意してくれたものなんだ。
星崎さんはさらに続けた。
「ももちゃん、頼みたいんだけど」
呼ばれたももちゃんはすまして答える。
「はい、なんでしょう」
「夢ちゃんの買い物に付き合ってあげてほしいんだ。今日の夕飯をちゃんと買いきるように見届けて。余りで、ケーキ一切れくらい買えると思うから、それがバイト代でいいかな」
ラッキーと言いながら、びしっとももちゃんは敬礼した。
「ラジャーですっ」
「ありがとう。……それじゃ、オレは仕事に戻るから」
看板を直し終わった星崎さんは、レジの奥に戻って行った。その背中がいつもより小さく見える。
星崎さん、なんかちょっと落ち込みぎみ?
やっぱり、お客さんこないから、お仕事がうまくいってなくて、それでつかれちゃってるのかな。
なにか力にならなくちゃ。
七階への階段を登りながら、やっぱり、同居人としてお金のかかることは避けて……とか、頭をフル回転させていると、
「あ~ぁ、夢やっちゃったね」
「え?」
ももちゃんが、きれいな眉毛を下げて、両手を広げていた。
「女の子にお金の心配されるって男の人としては相当ショックだと思うよ」
えっ。
原因は、わたし?
「そ、そうなの? わたし、ただ、星崎さんを困らせたくなくて」
くいっと肩を掴まれて、目の前でももちゃんの細い指がちっちっと動く。
「気遣いもちょっと的外れだと、逆効果だから注意ね。こと男の人に関してはそう」
「うう、むずかしすぎるよ~」
「簡単だよ。プライドさえたててやればいいんだから」
「なにそれ。ぜんぜんわかんないよ」
お金の心配しちゃ、逆にいけないなんて。
そんなこともあるんだなぁ。
お母さんと二人になってから、欲しいものはガマン、節約生活が当たり前だったから、すごく不思議。
「でも」
今度はももちゃんの笑顔が目の前に近づいてきた。
なにかを含んだような、大人っぽい笑顔。
「お金の心配させたくないなんてさ。夢、これひょっとしてひょっとするよ。星崎さんの中で奥さん候補とかになってるんじゃない?」
「え? うそっ」
ぼっと赤くなる。
こういうときのももちゃんの予言って結構当たるんだよね……。
「これは今夜、埋め合わせにクリスマス・デザートでも作ってプレゼントしてみたらいいかも」
ももちゃんが言ってくれてるけど、頭がぼーっとしてちゃんと入ってこない。
『奥さんになるのはいや?』
夢の中で星崎さんが言ってた言葉が蘇る。
「いやじゃないですっ!」
思わず大きい声で言っちゃって、はっと口を押えて辺りを見回す。
どどどうしよう。本屋さんの中で大声なんて。
でも、驚く人も、迷惑そうにこっちを見てくる人も、いない。
七階も、お客さんが誰もいなかったんだ。
しんとしたフロアに、ももちゃんの声がいやに強く響く。
「なんか変だよね」
わたしは大きく頷く。
「校長先生がブックトーク中止にしたがったり、図書室にもあたしたち以外誰も来ないって、司書の先生言ってたし。活字離れとかはもともと言われてるけど、それにしてもみんな本から遠ざかりすぎっていうか」
うん。
本が大好きで、そのよさをたくさんの人にわかってほしい。
本のことを少しでも誰かと話したいわたしとしては、悲しいなぁ……。
「そうだ。今日の夜、『名作の部屋』で、ケストナーおじさんたちに相談してみようよ」
わたしが言うと、ももちゃんが今度は顔いっぱいの笑顔になった。
「夢、ナイスアイディア!」
ぐっとふたりで親指を突き合わせたときだった。
「きゃっ」
「あつっ」
急にかっと全身が熱くなったの。
暖房がきいているとはいえ、冬にこの暑さはふつうじゃない。
まるで大きな炎で焼かれてるみたい。
天井に不気味な赤い光がいくつも現れて、ものすごい速さで端から端へと駆けぬけてる。
なにこれ。わかんないけどすごくいやな感じ。
赤い光達はしばらくフロアを行ったり来たりすると、自動ドアや窓からお店の外に出ていったんだ。
急に暑さがおさまって、もとの温暖な空気に包まれて、ひとまずほっとする。
「なんだったんだろう、今の赤い光。も、もしかしてお化けっ!?」
やだ! 幽霊とかすっごい苦手なのに。
こういう話になるといつもおもしろそうにわたしをおどかしてくるももちゃんは、今は真剣な顔でしっと人差し指を口に当てた。
「なにか聞こえない?」
う、やっぱり脅かしてるんだ。
「やめてよももちゃん」
「『少女文学』の棚の辺りから、ほら」
やだやだ、お化けの声聞きたくないっ。
でも聞こえてきたのは怖い声じゃなかった。
「大丈夫かいモンゴメリ嬢。けがは」
「えぇ、なんとか」
聞き慣れた声……!
ももちゃんと目を合わせて頷いて、少女文学の棚の反対側に走った。
やっぱり。そこにはしゃがみ込むモンゴメリさんと、それに手を差し伸べるケストナーおじさんがいた。
いつもおしゃれなモンゴメリさんのまとめた髪は乱れ、せっかくのチューリップ柄の緑のドレスはあちこち焦げてる。ケストナーおじさんもパリッとしていた茶色のスーツがぼろぼろだよ。
「あなた、案外紳士的なのね。見直したわ、ケストナー」
「おや。僕は子どもの頃から生粋の紳士だったよ」
「あの、そんな小粋な冗談かましてる場合じゃないと思うんですけどっ」
さすがももちゃん。ナイスつっこみ。
「なにがあったんですか。二人とも服がぼろぼろ。ちょっと休んだほうが」
思わずそう言ったわたしにモンゴメリさんが首を横に振る。
「心遣いありがとう。でも残念だけれど、今休んでいる暇はないの」
ケストナーおじさんはその言葉に真剣に頷いた。
「緊急会議を召集しよう。みんな、『名作の部屋』に集合してくれるね」
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