⑱ クリスマスイブのブックトーク

 今日は待ちに待ったクリスマスイブ。

 車椅子を卒業できたわたしはももちゃんと並んで、学校の廊下を走っていた。

 サンタさんからのプレゼントももちろんそうだけど、わたしたち文学女子にとって、それと同じくらいすてきなすてきなプレゼントが今日、図書室に用意されているの。

 それはずばり、司書の先生によるお昼休みのブックトーク!

 ブックトークって知ってる?

 一つのテーマに沿って選ばれた本が何冊か紹介されるんだ。

 それ自体一つのストーリーを聴いてるみたいですごく楽しいんだから。

 流行る鼓動を押さえて、わたしは足を速めた。いつもは、廊下は走っちゃだめだけど今日は特別。

 図書室の前に着くと、わたし達はぴたっと止まって一旦息を整えた。

 ちょっとダッシュしすぎたかな。すごい息があがってる。

 ももちゃんがそっと引き戸に手をかける。

「開けるよ」

 わたしはうなずいた――。


 引き戸が開いて、目の前に広がった図書室を見て、わたしはぽかんと口を開けてしまった。

 確かに、片付けられた教室の前にはテーブルが用意されていて、小さなクリスマスツリーと、『クリスマス』と書かれた看板が置いてある。

 なのに。

 ……誰も、いない?

「……はりきって、早く来すぎちゃった感じ?」

 そう言うももちゃんの声もなんか自信なさ気。まるでそうであってほしいって願ってるみたいに。

 ももちゃんも感じてるんだ。

 図書室の雰囲気が、なんかおかしい。

 うまく言えないけど、いつもと違うの。

 本の背表紙が、匂いが、飾られたポップが放つ、親しげでわくわくする空気感がないっていうのかな。

 整えられた、教室をぐるりと囲む書架がなんか色あせて見える。

 それと、部屋の温度。

 わたしもももちゃんもうっすら汗をかいていた。

 走ったあとだからって、今は冬なのに。暑すぎない?

「あ~ぁ、くたびれた。学校の階段の上り下りもこの年になるときついわねぇ」

 わたしたちは救いを求める目線を送った。

 本を抱えた司書の先生が図書室に入ってきたんだ。

 先生はあたしたちを見ると、とても残念そうな顔をした。

「まぁ、常連さんたち。来てくれたのね」

 抱えたたくさんの本を机の上に置きながら、司書の先生は自分の肩をたたいた。

「ごめんね。今日のブックトーク、中止になっちゃった」

「えーっ。なんで?」

 真っ先に声をあげたのはももちゃんだ。

「それがさっぱりでね」

 司書の先生は本を撫でながら、

「校長先生に呼ばれて行ったら、『本校は読書よりスポーツや学問に力を入れたいので、今日のブックトークは中止してください』って言われたの」

「嘘でしょ。あの、ちょっと頭薄くてちょっと幅が広いけど、前はよく図書室に来てくれて『おもしろい本あった?』って声かけてくれたあのおっさんが?」

「……ももちゃん。いくらなんでも失礼」

 一応つっこみをいれたけど、それどころじゃないことはわたしも百も承知。

「運動やお勉強が大切なのはわかるけど、読書だって心を豊かにするには欠かせないものなのに。校長先生ったら急にどうしちゃったのかな」

 ぱん、と司書の先生は右手で机をたたいた。

「えらい! 夢未ちゃんよく言ったわ。教育委員会の指示だかなんだか知らないけれど、そんなの無視無視。あなたたちはどんどん本を読んでいいんだからね」

 司書の先生は机に置いた本を片付けるんだろう、両手で抱え上げた。

 教育委員会って確か学校のいろんなことを決めるえらいところだよね。

 そこがそんなこと言うかな。

 とにかく、変。

「あの、司書の先生」

 わたしはゆっくりと口を開いた。

「やってくれませんか、ブックトーク」

 ぺこりと頭をさげる。

 肩までの髪の毛と、左右にある二つの編み込みが垂れる。

「わたしたち、本の紹介を聴いたってこと、誰にも言わないから。お願いです。せっかく先生が準備してくれたブックトーク、聴きたいです」

 やっぱり、諦めきれないよ。

 ぺちっと音がして横を見るとももちゃんが自分のほっぺたを気合を入れるようにたたいていた。

「あたしも聴きたい! お願い、司書の先生」

 司書さんは本の束をテーブルに置いて、ちょっと感じ入ってるみたいだった。

 そして、大きな胸をたたいた。

「いいわ。例えこじんまりでも、やりましょう」

 わたしとももちゃんは歓声をあげた。

 ふっきれたように明るい司書の先生の声が、図書室に響く。

「さて。それでははじまりました! ブックトーク。今日のテーマはクリスマス。クリスマスと言えばサンタさんよね。でもね、イヴの夜にかわいい赤い服のおじさんじゃなくて、よりによって幽霊に会ってしまったらみんなはどうする? そんな本が、これ――」

 わたしたちは夢中になって聴いた。けど。

 先生がしゃべればしゃべるほど、図書室の気温があがってく気がするのはどうしてだろう。

 先生はエプロンからハンカチを取り出して、おでこの汗を度々ぬぐっていた。


 とはいえ、ブックトークはすごく楽しかった。

 聴き手はわたしたち二人だけだったから、紹介された本も借り放題。ふふふ。

 ももちゃんはさっそく借りた、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を胸に教室までの廊下をスキップ。

「それ、すごくすてきな本だよ」

 わたしはブックトークで紹介された本のほとんどをすでに読んでたから、ついつい口が滑っちゃう。

「先生が言ってた、主人公のスクルージさんが、クリスマスイブの夜に、三人の幽霊と一緒に旅をするところもドキドキするけど。やっぱりわたしがぐっときたのはね、お話の最後――」

「あーだめだめ!」

 ももちゃんはあわててわたしの顔の前で両腕を交差させてバッテンをつくる。

「ネタバレ禁止令、発動!」

「あっ。ごめん。今危なかった」

 わたしたちは、顔を見合わせて笑っちゃった。

 笑っていると、ももちゃんの腕を誰かがきつくひっぱってきたの。

「もも叶。もも叶!」

 切羽詰った顔した白石さんだった。

「どうしたの、みり? なにかあった?」

 白石さんは一瞬、え? って顔をしたけど、すぐにうなずいた。

「そ、そう。大変なこと。すぐ来て」

「白石さん。なにがあったの?」

 そう言うと白石さんは人が変わったようにきっとこっちを睨む。

「本野さんには関係ないでしょ!」

「ちょっと。なにその言いかた」

 ももちゃんが怒ってくれるけど、わたしはびっくりしてごめん、って呟くのがせいいっぱい。

「夢も。こういうときは怒ってよ」

「ももちゃん……」

 わたしのこと、想ってくれてるんだよね。

 なにか言わなくちゃって思ったけど、白石さんがさきに口を開いた。

「もも叶。今日も本野さんと遊ぶの?」

 ももちゃんは呆れたように言う。

「それが、『大変なこと』なの?」

「答えてよ!」

 ど、どうしよう。

 白石さん、ももちゃんがわたしとばっかり遊ぶから怒ってる……?

 それなのにももちゃんは少しもひるまずに言ったの。

「そうだよ。一緒に駅ビルの本屋さんに行くけど」

 白石さんは周りを伺うように見回すと、ももちゃんに近づいて声を潜めた。

「本野さん、ちょっと変だよ。休み時間もずーっと図書室にこもってるし。お父さんとお母さんと離れて暮らし始めたらしいじゃん」

 聞こえてたけど、わたしはなにも言えなかった。

 ほんとうのことだから。

 でも、ももちゃんは違った。

「あたしに言わせれば、そんなことを変って言うみりのほうがよっぽど変だね」

 ばしっと言ったももちゃんに、白石さんもとても怒った顔をした。

「もういい。こっちは心配して言ってるのに。もも叶なんて勝手にすれば!」

 どんっと、白石さんはももちゃんの腕を掴んで突き飛ばした。

 言い返そうとしたももちゃんが、ふいにあれっていう顔になる。

 ももちゃんは心配そうに、白石さんに言った。

「みり。手、すごい熱いよ。近くにいても伝わってくる気がする。なんか火が燃えてるみたい」 

 白石さんが、は? って感じでももちゃんを見る。まだ怒りが収まらないみたい。

「熱あるんじゃない? 大丈夫?」

 ももちゃんが白石さんのおでこに手をあてようとするけど、完全拒否って感じで振り払われちゃった。

「なんともないわよ。変なこと言わないで」

 白石さんはそのまま逃げるように走っていった。

 ももちゃんが白石さんの背中をじっと見てる。

 わたしも、その視線のさきを見る。

 背けられる直前に見た白石さんの目が、赤く光ってる気がしたのは、気のせい――?

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