第162羽
その後、家の戸締まりをして外に出ると、俺たちはラーラの家へ向かう。
ラーラの母親は娘と同じくらいの魔力を持っているようで、かなり具合は悪そうだったが意識はハッキリしていた。
ラーラの助言で過剰魔力を放出するとすっかり体調も良くなり、快くパルノとルイを預かると請け負ってくれた。ありがたい。
「ふっふっふ。なんせうちのお父さんは便秘持ちですからね!」
一方でわりと平気そうな顔をしていた父親の方はラーラや母親よりもずいぶんと魔力が少ないのだろう。
母親を甲斐甲斐しく看病していた父親のことを、ラーラは誇らしげに紹介してくれるのだが、
その薄い胸を張ってアピールするのが便秘持ちであるという点なのは残念にもほどがある。
自分の恥ずかしい秘密をあっさりと娘の友達に知られてしまった父親の恥ずかしさたるやこれいかに。
俺やエンジはフィールズ大会のときに聞いた事のある話だから、別に今さらなんだが、そんなものは父親にとって何の慰めにもならないだろう。
ラーラの家を後にした俺とクロ子はエンジを家まで送り、そのまま町を出てアヤの別荘まで行く。
ユキの巨体はクロ子が背負っているのだが、背負われる側の体長が背負う側の身長の倍以上ということもあり、遠目に見れば白いネコが後ろ足で立ったままフワフワと浮いているようにしか見えないだろう。
すまんなクロ子。
だが俺にはユキの体を背負って何キロも歩くのは無理なんだ。
そうやってたどり着いたアヤの別荘。
外から見る分にはこれといって変化は感じられない。
もちろん背景となる空の色が明らかにおかしいため、目に入ってくる光景が異常なのは間違いないのだが。
さすがにアヤの仲間は過剰な魔力に対する対処法をすでに身につけているらしく、全員が平気な顔で俺たちを迎え入れてくれた。
以前、フォルスから聞いた魔力酔いの対処方法をアヤに伝えておいて正解だったな。
話の流れでたまたま口にしただけだったが、あれを聞いてなければアヤたちも平気ではいられなかっただろう。
というか、人一倍魔力の高い人間ばかりが集まっているんだろうから、下手をすればティアみたいに意識不明になっていてもおかしくない。
偶然とはいえあの時の俺、グッジョブだったんじゃないか?
「さて、と。レバルト君、状況はどれくらい把握してる?」
応接間に案内された俺にアヤは開口一番訊ねてくる。
「とりあえずあの町だけじゃなく、世界中でとんでもない魔力暴走が起こってるってことは確かだろ? 空の色が変わったり、空間が断絶したような現象。結晶化する人体と、突如異次元に持って行かれたかのように消える手足。炎やら氷やらが突然前触れもなく生まれては消える事象。どれもこれも自分の頭がバグってるんじゃないかって思うほどの非現実的な光景だな。自分ひとりなら夢でも見てるんだと思うだろうが、そうじゃないことは立体映信を見ても理解できる」
「説明の必要は無さそうね。それじゃあ原因も大体想像がつくでしょう?」
「やっぱり
「ええ、おそらくは。それもひとつやふたつじゃなく、とんでもない数でしょうね」
一体どれだけの疑似中核を使えばこんな世界規模の災害が起きるのだろう。
ただ疑問は残る。
「しかし、魔力暴走の原因が疑似中核だっていうのはまだ理解できるが、空の色が変わったり空間ごと切断されたような光景までもが疑似中核のせいと決めつけるのは安直すぎないか?」
「中核の影響で人体が結晶化した事例はこれまでにもたくさんあるわ」
それはアヤと初めて会った時に聞いたことがある話だった。
ダンジョン最下層の中核によって近隣で生まれる子供に影響があるとかなんとか。
腕が結晶化してしまった子供の話もその時に聞いたはずだ。
「確かに結晶化の原因が中核によるものだと科学的に解明されたわけではないけど、過去の事例を調査分析した結果、因果関係がないとはとても思えないのよ。多分だけど強すぎる魔力は人体に思いもよらない影響を及ぼす。いいえ、人体だけじゃないでしょうね」
ひと呼吸おいてアヤが真剣な表情で俺を正面から見据えた。
「レバルト君。この世界ではありとあらゆるものに――それこそ生き物からそこら辺に転がっている石ころまでも魔力を持っているのは知っているでしょう?」
「俺はその例外だがな」
「魔力って、何?」
俺のボヤキを無視してアヤがシンプルな問いを投げかけてくる。唐突に何を言い出すのだろうか、この和風美人さんは。
「は? そりゃ魔法を使うためのマジックポイント、燃料だろ?」
「本当に? 誰がそれを決めたの?」
俺の答えを予想していたかのように間髪入れずアヤが再び問う。
「ねえ、レバルト君。ここはゲームの世界じゃないのよ。単に魔法を使うための目安、数値として魔力が存在するなんて、本気で考えてる? 魔力のなかった地球でも、自然環境や生物は人間が想像するよりも遥かに高度で絶妙なバランスの上で成り立っていたわ。地球を滅ぼせるほどにすさまじい破壊の力を手に入れるほど科学が進歩しても、人間の目や耳の精密さを再現することすらできていなかったでしょう?」
そんな緻密で複雑な生物に宿っている魔力という存在が、数値で表現できて単一の目的に使われるだけの力であるわけがない。
とアヤは続けた。
確かに言われてみればそうかもしれない。
魔法を使えば魔力を消費し、魔力がなくなれば魔法が使えなくなる。それは紛れもない事実だ。
しかし面と向かって指摘されれば、あまりにも単純な見方に思える。
たとえば血液。
血液には栄養や酸素を全身に運び、逆に老廃物や二酸化炭素を全身から改修する役割がある。
それ以外にも体温調節やウイルスなどに対抗するため免疫細胞を運んだり、当然全身に水分を運ぶという役目も持っている。
だがまだ医学という概念すらなかった古代において、それを理解していた人間など当然いないはずだ。
人体にとって大事なものであるという認識は経験的にわかっていただろうが、おそらく『体を傷つければ血が流れる』『血を流しすぎると死ぬ』程度の認識しかなかっただろう。
もしかすると俺は前世での知識に縛られるあまり『魔力=魔法の燃料』と無条件に思い込んでしまっていたのではないだろうか。
かつてこの世界に転移してきた日本人たちも、『剣と魔法のファンタジー』という名のもとに、誰ひとり深く考えていなかった可能性すらある。
むしろこの世界にもともと住む現地人の誰よりも、あっさりとそれを受け入れてしまったのかもしれない。
「疑似中核絡みの事件を追っていて、結晶化のような事例を多く見る中で私が感じたのはね。私たちが考えているよりも魔力は生命の、いえ、この世界の根幹にかかわっているんじゃないかってことよ」
「この世界の、根幹?」
アヤの突きつけてくる推測に、俺はかろうじてオウム返しをするだけだ。
「これまでに経験した事のない魔力の暴走。それが今、世界の法則すら歪めているというのは……考えすぎだと思う?」
「……」
自分の顔から表情が消えていくのを感じる。
世界の法則が歪められている。それは確かにこの異常事態を表現するのにふさわしい言葉だった。
しかしそれはあまりに突拍子もない考えだし、何よりも全く嬉しくもなんともない不吉な仮説だ。
にもかかわらずそんな不快な推測を妙に拒否感なく受け入れてしまいそうな自分がいた。
俺の中で繰り広げられるちぐはぐなせめぎ合いに、言葉が出てこない。
「アヤたん、今はそれよりも優先することがあるのでは?」
重苦しい雰囲気を変えたのはそれまで大人しく俺たちの話を聞いていたクロ子の言葉だった。
アヤは「そうだったわね」と返事をすると、表情を少し和らげる。
「クローディットにレバルト君を呼んできてもらったのはね、月明かりの一族に協力をしてもらいたいからなの」
「それはクロ子に聞いたんだが……。もちろん詳しい話は聞かせてくれるんだろうな? 結局ローザに何をさせようってんだ」
「純粋に戦力として考えているだけよ。以前レバルト君に教えてもらった魔力暴走時の対処法を伝えておいた甲斐もあって、この状況でも仲間の大部分は動けているわ。もちろん平常時ほどの力は発揮できないでしょうけど」
さっき見た感じでは平気そうな様子だったけど、顔に出ていないだけで実は大変なのだろうか。
「戦闘力という観点ではあまり期待できないわね。もちろんそれでもこの状態でまともに動けるというのは彼らが有能だからとも言えるけど」
「というかそれ以前の話なんだが、そもそも戦う前提なのか? 誰と戦うつもりなんだ?」
「そうね。そこから説明しなきゃね」
どうにも話の順序がごちゃごちゃだ。さすがのアヤもこの事態に動揺しているのかもしれない。
アヤは自分自身を落ち着けるようにひとり掛け用のソファーへ腰を下ろすと、俺とクロ子にも座るよう促した。
「レバルト君は魔力を持っていないからわからないのかもしれないけど、今あの町はとんでもなく濃い魔力に包まれているの」
まあ、そうなんだろうな。俺にはとんと感じ取れないが。
「で、町から少し離れたこの建物も町に負けず劣らず濃い魔力で満たされているのよ。というか、むしろ町よりも濃い魔力が漂っているわ」
「そうなのか? えーと、それってつまりどういうことだ?」
単に濃い魔力の範囲が広いとかいう話じゃないってことだよな?
「結論を言うとね、どうもこの一帯を包んでいる濃い魔力はこの一帯を中心にして周囲へ広がっているみたいなのよね」
「え……この別荘を中心に、か?」
「正確にはこの建物の下、地下深くと言った方が良いかしら。もちろん真下というわけじゃないわ。実際には山をひとつ超えるほど離れているし……」
そこまでアヤが続けたところで俺は以前聞いた話を思い出した。
「おいおい、それって……」
以前、アヤたちはこの別荘の地下にあるダンジョンを攻略中だと言っていた。同時に攻略に手間取っているとも。
「そうよ。ここの地下に広がるダンジョンってとても広くてね。多分山ひとつ向こうの辺にもつながっていると思うわ。どうもそこがこの一帯で発生している魔力暴走の中心地みたいなの。もしかしたら発生源そのものかも」
「それはまた……」
つまりこの魔力暴走の原因を突き止めるためには、アヤたちですら手こずっているここのダンジョンを潜っていかなきゃならないってことか?
おいおいおい。マジかよ。
確か前に聞いた話じゃ竜種が闊歩するほど危険なダンジョンなんだろ?
「えーと……。あえて確かめるのも何だが、一応訊くぞ? ローザの力を借りたいって言ってたのは、つまりダンジョンに潜るためってことだよな?」
「そうよ。もともと広さもすごいし、危険なダンジョンだから無理はせず慎重に攻略していたんだけど、この異常事態ではそんな悠長なことを言っていられないでしょう? もちろん私たちも全戦力を投入するつもりだけど、普段よりも苦戦することは明らか。だから今は少しでも戦える人間が必要なの」
どうやらアヤは座して事態の好転を期待するのではなく、危険に自ら赴いて事態を動かす方向に舵を切るらしい。
「もちろん行政府にも情報は伝えて対応を要請しているわ。過剰魔力への対処法も伝えたから多少は動ける人間も増えているはずよ。ただ、あっちも目の前の問題へ対処するのに手一杯であまり支援は期待できないの。『出会いの窓』にも緊急で依頼をかけたいところだけど、そもそも組織としてまともに機能しているかどうかも怪しいし」
そりゃそうだろう。
比較的魔力の少ないラーラやエンジですらあれだけ体調を崩してたんだ。
平均以上の魔力を持つ人間はまともに動けたもんじゃないだろう。
対処方法がわかれば多少動けるようになる人間はいるだろうが、あの異常事態の中では動けるようになればそれで良いというものでもない。
「もちろん悪いことばかりじゃないわ。過剰な魔力は人間だけじゃなくダンジョン内のモンスターにとっても影響があるみたいでね。モンスターとの遭遇回数はかなり減っているの。もしかしたら人間と同じように身動きできなくなっているモンスターも多いのかもしれない」
なるほど、確かに魔力の暴走が人間だけに影響を及ぼすとは限らない。
というか、人間だけに悪影響があると考える方がおかしい。
実際ユキも影響を受けていたしな。……凶暴化という方向への影響だが。
「そういうわけで、レバルト君。ダンジョンの調査をするために月明かりの一族の力を借りたいの」
それってつまり俺にダンジョン調査へ同行しろってことだよな。
うーむ……、その前にひとつ気になるんだが。
「ローザってそんなに強いのか? 正直俺にはポンコツ幽霊としか思えないんだが……」
俺の言葉に続いて、首からぶら下げていた個人端末がピロリンピロリンとやたらメッセージの着信を告げる。
だが俺は連続して鳴り続ける音を華麗にスルー。
どうせローザが抗議のメッセージを送りつけているだけだろうし。
「まあ、いろいろと残念な発言は多いと思うけど、こういう状況だととても頼りになる一族よ。信じられないかもしれないけど」
アヤは俺の疑問に苦笑いを浮かべながらそう返してきた。
残念なところは否定しないんだな。
さて、どうするかね。
俺には魔力がない。
つまり戦闘においてはほとんど無力だ。
魔力消失という状況下においてなら別だが、今は魔力が過剰にあふれている暴走状態。当然俺にアドバンテージなどない。
できることなら危険なところへは行きたくないが、だからといってこの異常事態をそのままにしておくのはまずいと思う。
これが自然災害的に発生した問題ならば、じっと耐えて事態が沈静化するのを待つというのもひとつの手だろう。
しかしそれはあまりに楽観的すぎる考えだ。
立体映信のニュースを見る限り、この異常は世界各地で一斉に発生していた。
それは今回の事態が人為的にもたらされたものである可能性を
もちろん自然災害でも世界規模で起こることはあるかもしれない。
だがその場合、同時多発的に起こるのではなくおそらく波が広がっていくようにもっと連鎖的に被害が及んでいくだろう。
星の裏側で全く同じ時間帯に同じ災害が発生するというのはやはり考えにくい。
アヤの言葉を借りるなら、世界の法則すら歪めるほどの異変だ。
まともな感性を持っていれば放っておくべきではないという結論に至るだろう。
ティアやパルノの顔が思い浮かぶ。
…………何とかしなきゃならんよな。うん。
幸い転生チートのアヤと一緒だ。
クロ子だって化け物じみた力を持っているし、ローザも実は結構有能らしい。
大丈夫。多分なんとかなる。
「わかった。協力しよう」
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