第156羽

「それ、本当なの?」


 ここはアヤたちが拠点にしている屋敷の一室。

 ラーラから不穏な情報を入手した俺は翌日それをアヤに報告すべく訪れていた。


「見間違いって可能性もあるけど、少なくともラーラはこういうことで嘘をつくようなやつじゃない。普段は自分の欲望に忠実で周囲の迷惑もかえりみず好き放題して甘いものと可愛いものを前にすると女であることを忘れてしまうような残念でおまけにドジッ子要素満載のやつだが、言って良い嘘と悪い嘘の違いくらいはわきまえてるはずだ」


 アヤは微妙な表情を俺に向けると遠慮がちに口を開く。


「レバルト君……、あなたもしかしてラーラさんのこと実は嫌いなの?」

「そんなわけないだろう。ラーラは俺にとってからかいがいのある大事な友人だ」

「大事な友人に対して普通は『からかいがいがある』なんて言葉はつけ加えないもんだけど」

「そうか、それは見解の相違だな」

「まったく……。でも確かに気になる話ね。こちらでも少し調べてみるわ」


 調査を約束するアヤに、俺は話を変えてダンジョンの探索状況を聞いてみる。


「そんな一日や二日で状況に進展があるならこんなに苦労はしてないわ」


 もっともな話だ。フォルス以上にチートなこの女が半年以上も手こずっているくらいなのだから、この別荘の地下にあるダンジョンというのはよほどやっかいなものなのだろう。

 なんせ俺たちが初めて会った時のような小さなダンジョンならひとり散歩感覚で攻略してしまえるほどのチートである。

 そんなダンジョンですらフォルスを含めた俺たちは危うく命を落としそうになるほどだったのだから、いかにアヤの実力がバケモノじみたものであるかがわかろうというものだ。


「広さもトラップの悪辣さも私がこれまで見てきた中では群を抜いているもの。おまけにあたりまえのように竜種が闊歩かっぽして行く手を阻むものだから時間がかかって仕方ないのよね」

「え? 竜種って……ティアがフィールズの大会で出したようなゴーレムか?」

「そういう作り物じゃなくて本物のドラゴンよ。亜種だから大して強くはないけど」


 思いもよらないアヤの言葉に俺は一瞬言葉をなくす。


「そ、それってつまり……今までもずっと俺たちのすぐ近く、足もとでドラゴンが暮らしてたってこと……なのか?」

「言い換えればそうね」


 もはや俺の想像を超える話に、脳みそはオーバーヒートしてシャットダウン寸前である。

 そりゃ本物のドラゴンが闊歩するようなダンジョンじゃあ、アヤたちでも攻略に手間取るわけだよ。

 話の大きさに困惑していると、部屋の扉がノックされてアヤの仲間がひとり入ってくる。


「アヤ、教授が来たぞ」


 その仲間に続いて部屋の中へひとりの人物が入ってきた。


「あら、ずいぶん早いじゃない」


 気軽な調子でアヤが声をかけた相手。その顔を見て俺の目が驚きに見開かれる。

 伸び放題の白いヒゲ。ボサボサの蓬髪ほうはつに薄汚れた長衣。ひと言で言い表すなら『くたびれたおじいちゃん』という感じの人物に俺は見覚えがあった。


「え? 教授?」


 あんた憶えてるかな? 俺とティアがルイを連れて学都に行ったときのこと。

 授賞式出席のために行った先でトラブルに連続して見舞われて、安全確保のためにティアの知り合いであるダンディ様の家に行ったとき出会ったおじいちゃん。

 ティアと同じ魔眼持ちで、魔眼の制御方法を教えてくれた人だ。ずっと教授と呼んでいたが、確か名前は……ベヌールだったはず。

 アヤの仲間に連れられて入ってきた人物は、俺の顔を見るなり意外そうな表情を見せて口を開いた。


「お主……確かレバルトじゃったか? どうしてこんなところにおるのじゃ?」


 それはこっちのセリフだ。


「あら? もしかしてふたりは顔見知りなの?」

「うむ、以前に学都で会うたことがあるくらいじゃがな」


 教授はアヤに答えると、今度は俺の方に顔を向ける。


「ティアルトリス嬢はその後どんな様子かのう?」

「ええ、おかげさまで制御の方も多少できるようになったみたいです。以前よりはずっと楽になったと言ってましたよ」

「そうかそうか、それはなによりじゃ」


 我が事のように教授が喜ぶ。

 そんな教授の気持ちが嬉しくて、つい俺も満面の笑みを浮かべてしまう。


「本人もお礼を言いたがってましたし、しばらくこちらに滞在するのならうちに来てティアに会ってやってください」

「うむ、そうさせてもらいたいのはやまやまじゃが、ちと立て込んでおってのう」

「そうですか、それは残念です。でも驚きました。教授がアヤと知り合いだったとは……。一体どういうつながりで?」


 訊ねた俺に横からアヤが答えた。


「知り合いというか、協力者のひとりね。レバルト君には初めて会った時話したでしょう? ダンジョン中核の影響で濃くなった魔力が胎児に与える影響、という推論」

「あー、そういうことか」


 それを聞いて俺は納得する。

 生まれてくる子供への影響を事前に排除するべくダンジョンの中核を破壊して回っていたアヤと、ある意味自分も魔力異常とも言える魔眼を持ち、その制御方法を伝えている教授。全く無関係のようでいて、実は高い魔力によってもたらされる害から人を救おうという根っこの部分では共通していた。協力関係にあるというのも不思議じゃない。


「それで今日はどうしたの? 訪問の予定はなかったと思うけど」

「いやなに、ちと困った問題が起こったみたいでのう。ここでは話さん方が良いかもしれんが……」


 教授が俺の方をチラリとうかがって言葉を濁す。


「レバルト君なら気にしないで良いわよ。彼、この事件にはさんざん巻き込まれてるし、当事者と言っても良いもの」

「なんじゃ、そうなのか?」


 教授に問われて俺は正直にここのところ関わった事件を列挙した。


疑似中核ぎじちゅうかく絡みという意味なら確かに巻き込まれまくってますね。夏祭りの魔力消失事件にも遭遇したし、『偽りの世界』の拠点へさらわれた女の子を救出する際に派手な立ち回りもしたし、そのせいか知らないけど『偽りの世界』に学都へおびき寄せられて監禁されたり、そのまま拠点を壊滅させたり、つい先日も魔力至上主義者とかいう迷惑なやつらの拠点でバトりましたし」


 なんだろう。巻き込まれるとかいうレベルじゃないなこれ。むしろ渦中と言っても良いくらいだ。


「なんとまあ……。それは確かに当事者と言って良いのう」


 教授も俺の巻き込まれっぷりに苦笑いを浮かべていた。


「そういうことなら構わんか」

「それで、困った問題というのは?」

秋都しゅうとじゃよ」


 どこかで耳にした町の名前が教授の口から飛び出した。


「秋都?」


 問い返すアヤに教授が話を続ける。


「そうじゃ。秋都で大規模な魔力災害が発生して、今は非常事態宣言が出されておるらしい」

「そんな情報入ってきてないわよ」


 いぶかしげな表情のアヤ。

 確かにそんな大災害が発生したなら立体映信のニュースでもすぐに臨時ニュースが流れるはずだ。

 魔力災害に常日頃から神経を尖らせているであろうアヤの耳に入らないわけがない。


「当然じゃろう。秋都全域のみならず、周辺半径二十キロほどが完全に魔力消失しておるらしいからの」

「そんなに広範囲で!?」


 アヤの目が驚きに見開かれる。当然俺もだ。


 これまでにも暴走や消失など、魔力災害は頻繁に報道されてきた。だがさすがに半径二十キロにも及ぶ広大な地域から完全に魔力が消失したなどという話は聞いたことがない。

 というか、それが本当の話ならニュースになっていないのも理解できる。なんせこの世界は魔力ありきで動いているのだ。魔力がなければ自動ドアもエレベーターも動かないし、通信もダウンする。列車だって動かなくなるし、自立ゴーレムによる物流もストップしてしまうだろう。前世でいうところの停電が広範囲で発生したようなものだ。

 事件を報じるはずのメディアだって魔力がなければどこにも情報を伝えられないし、交通手段も原始的な徒歩にならざるを得ない。


「でも、それなら教授はどうやってその情報を入手したんですか?」


 ふと疑問に思って訊ねると、教授は俺が予想していなかった答えを口にした。


「鳩じゃよ」

「はと?」

「そうじゃ、伝書鳩というのを聞いたことはないかの?」

「ああ……」


 これはまたずいぶん原始的な通信方法が出てきたもんだ。

 というかこんな世の中でよくもまあ伝書鳩なんて方法を維持し続けてたもんだな。いや、魔力災害と関わり合いが強い教授だからこそ、こういった事態を見越して準備していたのかもしれないな。

 だがなるほど、伝書鳩なら魔力があろうが無かろうが関係ないし、人間が徒歩で歩くよりもよほど早い。一度魔力消失範囲から出てしまえば、後はそこから通常の方法で通信ができるということになる。


「じきに立体映信でも第一報が届くじゃろうて」

「すぐに行くの?」

「無論じゃ。単純に魔力が消失しただけとは限らんからのう。消失した分の魔力がどこぞに流れ込めば、別の意味で重大な問題が発生しかねん」


 それを聞いてすぐにアヤが動き出す。


「何人か護衛をつけるわ」

「それはありがたいのう。長生きしそうなやつを頼むぞい」

「言われなくてもわかってるわよ」


 何やら俺にはよくわからないやり取りを挟み、アヤは仲間へと指示を出しはじめる。


「ビルとアイク、それとウォーレスに声をかけておいて」


 急にバタバタしはじめた様子を見て、俺は場違い感に襲われた。

 シュレイダーのことで対応を相談するつもりだったんだが、この状況だとそれも後回しにした方が良いかもしれない。


「あー、俺いったん帰るな。なんか邪魔になりそうだし」


 そう口にして退出しようとした俺の腕をアヤがガッシリと掴んで引き留めた。


「ああ、まだ居てちょうだい。別に私自身が出かけるわけじゃないから、指示さえ出せば後は仲間に任せるし。なにより――」


 そこまで口にしたアヤの目が真剣味を帯びる。


「ちょっとレバルト君に話しておきたいことがあるのよね」






 結局俺はその部屋で出されたお茶を飲みながら待つことになった。

 アヤの言う通り、待たされたのも十分程度のことだ。拠点全体はバタバタし続けているのだが、当のアヤは自分のやるべきことはやったとばかりに戻ってきてソファーに腰を下ろしている。


「良いのか? こんな時に俺の相手なんかしていて」

「出すべき指示は出したから良いのよ。いずれ応援の部隊を送り込む必要があるかもしれないけど、それは現地の状況をもう少し確認してからね。そもそも組織としてのトップは私じゃなくて別の人間が居るんだから」


「そうなのか? 俺はてっきりアヤがリーダーだと思っていたんだが」

「私は実戦部隊の長みたいなものよ。自分で言うのもなんだけど実力は一番だし、魔力消失の現場でも支障なく動けるから」


「クロ子もだよな?」

「そうね。あの子も魔力の有無は気にしないわ」


「前から思っていたんだが、それってどういう原理なんだ? そもそも俺は魔力をもってないから魔力が完全に消失した時の辛さとかわからないけど、普通の人間は普段通りの実力なんて発揮できないんだろ? クロ子のやつ今回もそうだったけど、学都でシュレイダー相手に暴れてたときも平然として大槌おおつちを振るってたぞ?」

「私もあの子も元から魔力を使ってないのよ。そういう意味ではレバルト君と一緒ね」


「はあ? 魔力で身体能力の強化もしてないのにあの馬鹿げた力を繰り出してるのか?」

「まあ、魔力とは別の力を使ってると思ってもらえれば良いわ」


 魔力とは別の力?

 そんなの聞いたこともないぞ?


「私個人に限って言えば魔力の無い状態が当たり前だったし」

「それ、前も聞いたよな。魔力の全く無いところで暮らしていた経験があるって」

「よく憶えてたわね」


 意外そうな表情でアヤが感心する。

 確か学都での一件を伝えに来たときだったっけ?

 クロ子とローザがアヤの知り合いだったってのもその時知った話だ。


「そうよ。私、魔力のないところで生まれ育ったの。だから魔法なんて当然知らなかったし、無いのが当然だから魔力消失したところで困ることもないわ。私の育ったところでは電気だけで通信もライフラインもまかなわれてたもの」


 どう考えても日本のことだよな。ちょっとカマかけてみるか。


「その分停電でも起ころうもんなら何もできなくなるけどな」

「そりゃあね。でも大規模な災害が起こらない限りすぐに復旧――」


 俺の言葉へ自然に反応したアヤが不意に声を失う。

 口を開いたまま二度三度と何かを言いかけて、ようやく疑問を絞り出す。


「レバルト君……、今なんて言った?」


 ソファーから腰を浮かして俺に迫ると、動揺をあらわにしながら確かめてくる。

 この世界でも電気は使われているが、あくまでも魔力の補助的な位置付けでしかない。だから電気の供給が止まったところで大して困らない。当然停電なんていう言葉自体が存在しないのだ。


「停電? 停電って言った?」


 予想通りの反応に、俺は精一杯気取ったキザな笑みを浮かべて言い放った。


「日本なんだろ? アヤが育ったところっていうのは」

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