第145羽
「そう。まさか学都でそれほど『偽りの世界』が根を張っていたとはね……」
俺たちが住み慣れた町に戻って三日ほど経っていた。学都で起こった事件とその
「最初からそうとわかっていれば私も同行しておくべきだったわね」
アヤはお茶で口を湿らせるとそう言った。
なんとなく返答するのも
フィールズ大会の後、幾度となくアヤを訪れている俺の顔を彼女の仲間たちも覚えてくれたらしく、お茶やお茶請けを出してもらえるくらいには親しくさせてもらっている。
相変わらずフォルスのヤツは忙しいみたいでなかなか顔をあわせる機会もないが、近況などはアヤの仲間から時折聞くことが出来る。あのチート男もがんばっているみたいだ。
「それだって考えもんだけどな。シュレイダーの口ぶりだと本当の目的はアヤみたいだったし」
俺たちが学都に招待されたのも、おそらくはアヤをおびき出すのが狙いだったのだろう。
ずいぶんとアヤの情報を熱心に聞き出そうとしていたし、シュレイダーが『偽りの世界』の一員である以上、どう考えてもアヤを連れていくのは火薬庫に火種を投げ入れるようなものだ。
あれ? よく考えてみれば俺の本が受賞したのってシュレイダーが強く推したからだったよな? で、そのシュレイダーは俺を通じてアヤの情報を入手するのが目的だった、と……。
つまりはあれか? アヤを釣り上げるために、俺の受賞をエサにしたってことなのか? 俺の書いた本の内容が認められたわけじゃなく、策謀の一環として賞を与えられたってこと?
うわぁ……、ちょっと泣けてきた。
「
うん、知ってる。
それたぶん日本っていう名前の場所だろ?
「まあ逃げられちゃったものは仕方ないわよね。いずれ必ず追い詰めてやるわ」
「その辺は任せるさ。俺としてはこの件に振り回されるのなんてもうごめんだからな」
あとはチートな皆さんで何とかしてほしいものだ。
俺は供されたお茶請けのひとくちフィナンシェをつまんで、ひょいととなりへ放り込んだ。ついでにもうひとつつまんで自分の口へも放り込む。
うん。しっとりとした食感と控えめな甘み、バターの香りが味をさらに上品に感じさせてくれる。さすがフィールズ大会で優勝するほどの実力をもった集団の根拠地。お茶請けの質も段違いだ。
「あーん」
ひな鳥のごとく口を開けて待つとなりへさらにもうひとつ放り込んでやる。モグモグと
「まだ食べ足りません、お父様」
「誰がお父様だ、誰が。勝手に人を子持ちの父親にするんじゃねえ」
「先生、お行儀が悪いですよ」
相変わらず俺の腕を掴んで放さない電波シスターが、人を父親呼ばわりしながら催促してくる。
三人掛けソファーの真ん中へ座る俺を挟むように、左側にはクローディット、そして右側では今にも周囲を氷漬けにしそうな気配を漂わせながらお茶を口にするティアが控えていた。どうしてティアは俺にピンポイントで棘を刺してくるんだろうな。叱るなら俺よりもむしろクローディットの方を叱って欲しいものなんだが。
「ねえ、そろそろ突っ込んでもいいかしら?」
「よーし、どんとこい」
俺とクローディットのやりとりをあきれ顔で見ていたアヤが、耐えきれないとばかりに口を開く。
「あなたたち、さっきから何やってるの?」
さもあらん。
俺たちの前にはお茶の入ったカップと、お茶菓子としてフィナンシェの載せられた皿がそれぞれ置いてある。
よって普通ならば自分の目の前に置いてある皿からフィナンシェを取って食べることになるだろう。個別に皿が分けられている以上、それは当然のことなのだが、クローディットはなぜか自分の皿から食べようとしない。最初から俺に向かって大口を開け、さあよこせとばかりに催促してくるのだ。
仕方なく俺は自分の皿からフィナンシェをクローディットの口へ運んでやる。当然次々と電波シスターへ吸い込まれていくことから、俺の皿はあっという間に賑わいを失っていくにもかかわらず、どうしてだか一向に空となる気配がない。
理由は明確だ。クローディットが自分の皿から俺の皿にフィナンシェを補充しているからである。
クローディットの皿から俺の皿に移されたフィナンシェは俺の手にわたり、俺の手からクローディットの口へと投入されていく。わけがわからん。
だったら自分の皿からつまんで食べろとクローディットに言いたいところだが、この娘、
めんどうだが大した害もないし、妹のニナも幼い頃はこんなかんじだったので、これで大人しくしてくれるならいいかとつきあってやっている。
「
「備蓄」
俺の言葉へ続くように、クローディットもアヤに向けて意味不明な答えを放つ。
それを聞いて、ため息混じりにアヤが困った子を見るような表情を俺へ向ける。
「備蓄はまだわかるけど、餌付けって……レバルト君」
いやいや、『備蓄』に比べれば、むしろ俺の言う『餌付け』の方がまだマシっぽくねえ?
備蓄って何だよ備蓄って。戦略物資を前線に集積してるわけじゃねえんだぞ。
「あなたもあちこちで食べ物を前にして大口開くのはやめなさいよ。そんなに備蓄したいのなら私がしてあげるから、ほら」
と言いながらアヤが自分の皿からフィナンシェをひとつつまんでクローディットに差し出す。すかさず身を乗り出してパクリとクローディットが食いついた。本当に節操がねえな、こいつ。
「アヤたんのもおいしー!」
幸せそうにモグモグと口を動かすクローディット。
それよりもなんだ? 今の一連の会話からすると――。
「お前ら知り合いだったのか?」
互いに境界を感じさせない気易いやりとりは、とても初対面のものではない。
「あら、クローディットに聞いてなかったの?」
初耳だ。
「てっきり知っているから連れてきたんだと思ってたわ」
端正な顔に驚きを浮かべたあと、アヤは妙な事を言いはじめた。
「私たち三人はあるお方をお助けするという共通の目的を持っているの。厳密に言うと違うのかもしれないけれど、まあ仲間みたいなものね」
「ん? 三人?」
アヤの口にした仲間というのもひとりは当然アヤ自身、そして実は知り合いだったというクローディットも人数に入るだろう。じゃあもうひとりは?
俺はキョロキョロと部屋の中を見渡すが、ここにいるのは俺とティア、アヤとクローディットの四人だけだ。となればこの場にいない誰かを指しているのだろうと考えるのが当然であるのだが……。
「ええ。ひとり、ふたり」とアヤが自分をまず指さし、次いでクローディットを指さしたあと「三人」と俺の背後を指さす。
はい?
とっさに振り向くが、当然そこには誰も立っていない。
どういうことだとアヤに問い
なんだ? と思って端末を手に取ると、表示されていたのはここのところ見慣れた真っ黒な画面。その黒へ浮かび上がるように白い文字が現れた。
《私ですよ、大家さん!》
「ローザ?」
「まさかレバルト君が月明かりの一族とも接点を持っているとは知らなかったわ」
驚きで目を丸くする俺をよそに、アヤが何も――俺にだけは――見えない空間へ視線を向けながら話しかける。
「あなたが
その視線を俺が手に持つ端末へと注いでローザに問いかけた。
「というか、今の
「当然です。お父様の端末ですからね」
「へえ、それは不思議ね。レバルト君、魔力ないって聞いてたけど?」
「学都で会ったときも昼間でしたしねー」
時折数秒の間をあけながらアヤとクローディットが俺の背後に話しかける。どうやら俺には聞こえない声でローザが会話しているらしい。ローザの言葉が聞こえない俺にはまったくもって意味不明の会話なんだが……。なんだろう、この
その間、俺の身体を境にして左側と右側の温度差が徐々に開いていくのを感じる。今の俺に右隣へ視線を向ける勇気はない。
うん、今はそっとしておこう。下手に触れると怪我をしそうだ。昔から言うもんな、『触らぬ神にたたりなし』って。おお怖っ。
「知り合いだったならそうと言ってくれれば良かったのに」
俺の苦情めいたボヤキにローザが文字で反論する。
《だって大家さん『めんどくさいことになるから自宅以外では大人しく引っ込んでろ』って言ってたじゃないですか。フィールズ大会の時だってアヤさんと話したかったのに『何があっても絶対出てくるな』って》
いや、言ったさ。確かにそう言ったけど!
そりゃ俺だってローザの姿や声が見聞きできれば、四六時中引っ込んでろなんて言わないさ。でもローザの姿も見えない俺は、余計なトラブルを防ぐために『とりあえず人目に触れる可能性がある外では大人しくしてくれ』としか言いようがないだろうが。
いちいち人目のある場所とない場所を移動するたびに、「ここならいいぞ」とか「ここはダメだ」とか見えない相手へ独り言みたいに伝えて端末越しの文字と会話をするのは面倒だし、そもそも端から見るとあぶない人間にしか見えないだろ。
ひとけが少ない路地裏みたいなところだって、どこに人の目があるか……、ん?
俺はそこまで考えたとき、はたと思い出す。学都クローディットと初めて会った時のことを。
「なあ、クローディット」
「なんですか、お父様?」
「お父様じゃないんだが、まあそれは今置いといて。お前、学都で俺に初めて話しかけて来たとき、もしかしてローザの存在に気が付いてたのか?」
「ローザというのは」と俺の後ろを指さして「月明かりのことですか?」と電波な娘が確認してくる。
「ああ、そうだ」
ローザという名前は俺が普段そう呼んでいるだけで、もともと個別の名前がついていたわけではなかったみたいだからな。
俺が求めた問いの答えはクローディットの口からではなく、端末の黒い画面から返ってくる。
《気付いたのは私が先だったんですよ。最初は大人しく依り代に潜ってましたから》
「最初は、ってことは途中から出てきたのか」
《だってしょうがないじゃないですか。久しぶりで嬉しかったんですよ。まわりに他の人影もなかったし、大丈夫だと思ったんで》
「やっぱそういうことかー」
ようやく俺は理解した。クローディットと初対面の時、妙に会話がかみ合わなかった理由を。
あの時クローディットは俺とじゃなくてローザと会話していたんだ。そりゃ俺との会話がかみ合うわけないよな。
そう言われてみればクローディットがあの時言っていた『四代目
しかしなんとまあ……。三人が顔見知りだったとは。世間ってのはホント、広いようで狭いもんなんだな。
「お父様、お父様。あーん」
驚きの事実に混乱する俺を催促するのは左腕に抱きついたままのクローディット。自分の皿からフィナンシェをひとつ俺の皿へと移動させると、さあ与えろとばかりに口を開く。
「だからクローディット。備蓄したいなら私がやってあげるから、誰彼かまわず迷惑かけるのはやめなさいよ」
その様子をアヤがたしなめる。
そうしてくれ、そろそろ俺の右隣が局地的に冬へ突入しそうだ。
「誰彼かまわずではありません。お父様ですよ、お父様! いくらアヤたんでもお父様のおいしさには敵わないんです!」
妙に俺のおいしさを主張するクローディット。なんか俺が食われるみたいに聞こえるじゃねえか。
「どうしてそこでお父様が出てくるのよ……」
あきれ顔でアヤがため息をついた。
「あなたの言うお父様ってあの方――」
わがままな子供を諭すように口を開いたアヤが途中でハッと固まる。
まるで東京のど真ん中に異世界への扉が開くのを目撃したかのような驚愕の表情を見せると、数秒間口を半開きにさせて俺を凝視した。
「だってレバルト君、魔力がゼロで…………、え? そういうこと?」
何がそういうことなんだかさっぱりわからない。
アヤは自分を納得させようとしているのか「まさか」とか「でも」とか意味のない言葉を口にしながら俺とクローディット、そして俺の背後にいるであろうローザへと忙しなく視線を往復させる。
「確かに魔力ゼロの人間を試しにって……、言ってたけれど……。え? ……自分で? どうして?」
なおも困惑するアヤに向けて、クローディットが偉そうに胸を張った。
「アヤたんはお父様への愛が足りないのです。だから見た目や
言っていることも何だか偉そうだ。そして百ポイントマイナスとは何気に厳しいな、おい。
「しかし……、レバルト君は魔力が……」
何やら受け入れがたい事実を聞かされたように頭を抱えるアヤ。
一方のクローディットは得意げな顔だ。このまま鼻がニョキニョキと伸びはじめてもおかしくない雰囲気である。
「それくらい、お父様ならどうとでもできるに決まってるじゃないですか。誰が何と言おうとこの味はお父様です。ね、お父様。あーん」
そのまま俺に向けて再び大口を開いてフィナンシェを要求する。すでに俺の皿に最初から盛られていた菓子は全て消費されており、今俺の皿にポツンとひとつ載っているのはクローディットの皿から移住してきたフィナンシェである。
もはやそれについて突っ込む気も起きない俺。しかもなんで『味』=『お父様』に結びつくのかさっぱり理解できん。
「なあ、さっきからお前ら何言ってんのさ? 頼むから俺にもわかるように説明してくれねえ?」
至極当然な俺の要求にも、まともな答えはひとつたりとて返って来ない。
「ご、ごめんなさい……。ちょっと混乱してて……。いずれ整理できたらきちんと説明するから、今は何も聞かないで」
まさかのアヤが回答保留。
《大出世! 大出世! 大出世! 大出世!》
ローザは妙にハイテンションになってやがる。出世? 何言ってんだ? しっかり説明しろよ。
「お父様はお父様ということです! 別に変な事は言ってませんよ!」
クローディットは相変わらずの意味不明さ。こいつは他人に理解してもらえるよう会話が出来ないのか? 変な事は言っていないどころか、変な事しか言っていないだろうお前。
俺にちゃんと説明する気のあるヤツはひとりもいないのかよ……。
◇◇◇(終)第八章 表と裏を都合良く使い分けるヤツには気をつけろ ―――― 第九章へ続く
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