第144羽

 警戒しつつ意気込んで警邏の屯所とんしょへ向かったものの、俺の心配は結局ただの杞憂に終わる。

 ハーレイは取り調べにも素直に応じているらしく、警邏の人間も対応は穏やかなものだった。


 まあ、だからこそ被害者である俺との面会も許されたのだろうし、何よりこの場に同行している連れの少女ふたりがいる以上、今さら悪あがきが出来るとも思えない。

 左腕にしがみついて離れない電波シスター少女と右腕をガッチリと放さない銀髪チート少女に挟まれた俺は、まるでどこかへ連行されている人間のようだ。むしろハーレイよりもよほど容疑者っぽい扱いである。これが見目の良い少女ふたりではなくむさいおっさんふたりだったら間違いなく涙目になる自信があった。


「その節は大変申し訳ありませんでした」


 面会するなり後頭部を見せつけるかのようなお辞儀でハーレイが謝罪を口にする。


「謝って済むことではないとわかっていますよね?」


 右隣から冷たい声がハーレイに向けて飛んだ。事件の時列車の中で散々耳にした相手を射抜くようなティアの声だ。


「もちろんです。ですがだからといって謝罪しなくて良いというわけではありませんので……」

「彼は君から強奪したお金を返したいと言っている。それで罪がなくなるわけではないが、謝罪は受け取ってあげなさい」


 横から立ち会いの警邏がハーレイに助け船を出した。余計なお世話と言いたいところだが、ここで警邏ともめても良いことはないだろう。諦めていた二百万が戻ってくるならそれに越したことはない。


「ん? 多いぞこれ?」


 警邏の端末を介して戻ってきた金額を目にし、俺は馬鹿正直に申告する。

 俺がハーレイに強奪されたのは二百万円。ところが今俺の端末に入ってきた金額を見ると、何度確かめても四百万円ある。


「お詫び、というわけではありませんが受け取ってください」

「そりゃあ、くれるってんならもらうけど……。被害額をそのまま返済すれば法律的には良いんだよな?」

「厳密には違うが、概ねそうだな」

「普通は上乗せしたとしても一般的な金利水準に合わせた金額です。この短い期間で二倍にして返さなければならないという法はありません」


 俺の問いかけに警邏のおっさんとティアがふたりして答えてくれた。


 良いのだろうか?

 確かに俺は被害者なんだからハーレイから何らかの補填を受ける権利があるかもしれない。だがそうは言っても追加分の二百万円だって大金だ。俺としては失った分の二百万円が戻ってくればそれで十分なんだけど。


「変なお金じゃないんだろうな?」

「上乗せした二百万は私が護衛や警護の仕事をして稼いだ真っ当なお金です。誰かを不幸にして得たお金ではありませんので安心してください」

「それならまあ、断る理由はないけど……。良いのか?」

「構いません。どうせ私にはもう必要ないお金ですし……」


 つぶやいたハーレイの言葉を無視できず、俺はつい疑問をぶつけてしまう。


「必要ないってどういうことだ?」

「えっと……、それは……」


 ハーレイは言葉を濁すが、このままじゃこっちはスッキリしない。

 盗られたお金が倍になって戻ってきたのは幸いだが、だからといってモヤモヤとした気分が消えるわけじゃないんだ。もういっそのこと洗いざらい話して欲しいと求める俺に、観念したハーレイは事情を語り出した。


「そもそもの発端は私の母が病に伏せたことです」


 うわっ。いきなり重い話からはじまったぞ。


「治療の難しい病気だったのが問題でした。一応治療法は確立されていますが、治療費が高くて父の稼ぎではとても払うことなど無理でした。対症療法に頼り症状の悪化を防ぐのが精一杯で、生活費と治療費を稼ぐため父は次第に追い込まれていったようです」


 あかん、コッテコテの不幸話になってきた。


「やがて父は精神的にまいってしまったのでしょう。宗教に救いを求めるようになりました。仕事をおろそかにし、家に寄りつかなくなり、とうとう家の私財を全て宗教団体へ寄進し姿をくらませてしまいました」


 うわあ、家族の病気がきっかけで宗教にまって家庭崩壊とか、古今東西ごまんとありそうな話だな。


「その頃には私も成人して働いていましたので何とか生活は出来ましたが、余裕のある状況ではありませんでした。父の行方を探しながら必死に働いてお金を貯め、ようやく母の治療費までもう少しというところで……」


 母親の容態が悪化したらしい。


 二級戦闘資格保有者の稼ぎが一般人より多いとはいえ、毎月定まった収入が得られるわけではない。ハーレイがいくら頑張っても、仕事にありつけなければ短期間に稼げる額はしれているだろう。


「このままではひと月もたないと医者に言われ、なんとかお金を工面しようと奔走していた時、レバルトさんに出会いました。当時の私はレバルトさんをヤツらの仲間だと思っていたので――」

「ちょっと待て、仲間って何だ? ヤツらってのは?」

「シュレイダーたち『偽りの世界』ですよ」

「はあ? なんで俺があんなカルト集団の仲間だと思ったんだ?」

「シュレイダーが共悠きょうゆう出版の新人賞選考委員の筆頭であることは知っていました。その彼が強引に受賞させた相手がレバルトさんです。不自然じゃないですか、他の委員の反対を押し切り新たに賞を作ってまで受賞させるなんて。でもレバルトさんがヤツらの仲間なら説明がつきます。教団に都合のいい内容の本を広めるために立場を悪用したんだろうと。ヤツらの仲間なら騙してもお金を巻き上げても気は咎めない。あの時の私はそう思っていました」

「ひどいとばっちりだ……」


 あれ? でもおかしいぞ。その頃ってまだ『偽りの世界』もあまり世間から注目される存在じゃなかったはずだよな?


 今でこそ危険なカルト集団として危険性が知れ渡っているが、あの頃はまだ単なる新興宗教のひとつくらいにしか思われてなかったはずだが……。

 そのことを俺が口にすると、ハーレイは以前から『偽りの世界』の正体に気付いていたと語った。


「父が宗教にのめり込んだとお話ししましたよね?」

「ああ、さっきの話だろ? ……って、もしかして?」

「はい。父が入信し、私財を全て寄進したのが他ならぬ『偽りの世界』だったんです。私は父の行方を捜すと同時にヤツらについても調べていました。というより、父を捜す過程で必然的にヤツらのことを知ることになったわけですが……」


 既に周知の通り、内実は危険極まりない破滅的思考の集団だったというわけだ。


「先ほどもお話ししたように、私はレバルトさんもヤツらの仲間だと思っていました。だからレバルトさんを騙してお金を奪い取ることに何の罪悪感もなかったんです。もちろん今はレバルトさんがヤツらの仲間でないことは理解しています。むしろ敵対関係にあるみたいですし」


 なんてこった。俺がハーレイにロックオンされたのは、いくつかの偶然と誤解が混じり合った結果だったらしい。


「今回私がシュレイダーの屋敷に護衛として潜り込んでいたのも、父の行方を調べるためでした。普段なら簡単には雇ってもらえないところを、臨時に多数の護衛を募集していましたから。まさかレバルトさんたちを掴まえるために雇われるとは思ってもみませんでしたけど」


 ハーレイはシュレイダーが『偽りの教団』の一員であることを知っていたらしい。情報収集のために護衛として入り込んだ屋敷で、まさかの人物を目にすることとなった。それが俺だ。


「最初は『やはり』と思いました。レバルトさんも教団の一員なんだと。ところがシュレイダーからはレバルトさんたちを拘束するよう命令が下りますし、どうも考えていたのと様子が違う。もしかしてレバルトさんはヤツらの仲間ではなかったのだろうか、と思いはじめました」


 ハーレイの表情が暗くなる。


「目の前が真っ暗になる思いでした。父をたぶらかし、家族を不幸に陥れた教団へ一矢報いたと思っていたのが、実は無関係なレバルトさんを巻き込んだあげく逆恨みしてお金を奪い取っただけだったのですから」

「なるほどな。だから『罪滅ぼし』だったわけか」


 ようやく事情が理解できた。俺がハーレイに狙われた背景も、彼がシュレイダーの屋敷に居た経緯と、俺たちが逃げる手助けをしてくれた理由も。


 俺は隣に立つティアへ視線を送る。

 彼女は俺の方へ顔を向けると小さく頷いた。その瞳が見通すのは人の胸裏きょうり。ハーレイの言葉に嘘がないことをティアは見抜いたに違いない。


 ハーレイも決して根っからの悪人というわけではなかったのだろう。母親が病気にならなければ、父親が失踪しなければ、俺の本がシュレイダーの目に留まらなければ、犯罪に手を染めることは無かったかもしれない。

 情状酌量の余地は十分にあると俺は思うんだが、あんたはどう思う?


 甘い?


 そうかもな……。


「ひとつ、聞いて良いか?」


 ただ、ちょっと気になる点があるんだよ。本当は気付かないふりをした方が良いのかもしれないけど。


「考えてみれば最初の疑問にまだ答えてもらってない。その……、『どうせもう必要ないお金』って言ったよな? お袋さんの治療費にしようと考えていたお金が不要になったってことは……」

「……はい。母は……、間に合いませんでした」


 やっぱり、そういうことか。


「レバルトさんからお金を奪い取った後ですぐさま故郷へ戻りましたが、結局私は母の最後を看取ることが出来ませんでした。きっと罰が当たったんでしょう。人様からお金を不当に奪い取ったりしたから。神様はちゃんと人間の行いを見ているってことでしょうね」


 泣きそうな顔で無理やり笑みを作りながらハーレイが自虐的な物言いをする。

 結局ハーレイは母親を治療することが出来なかった。あと一年か二年、時間があれば自力で治療費を作ることが出来たかもしれないが、たらればを言っても仕方が無いだろう。


 でもなあ……。天罰、ねぇ。


 俺が元日本人だからなのか、いまいちそういう考え方を素直に受け入れられない。

 良いことがあれば『神様のおかげ』で、悪いことがあれば『天罰』といった都合の良さが気に入らないのだ。明治維新前の日本はそれが普通だったのかもしれないけど、俺は二十一世紀に育った人間だからな。


 別にはなから全否定するつもりはないけどさ。

 『神の恩寵』だの『神罰』だの、それが適切にかつあまねく適用されるなら文句はない。でも実際には成功を掴んだ者全員が人徳者とは限らないし、法の手から逃れて不幸を撒き散らす犯罪者が絶えることもないだろう。


 俺は神様がハーレイに罰を下したのだとは思っていない。本当に神様がハーレイを見ていたのなら、彼に与えられるべきは罰である前に救いであるべきだった。散々艱難辛苦かんなんしんくを与えておいて、ろくに救いの手も差し伸べず、苦し紛れに足を踏み外した人間へ罰を与える無慈悲な神様だったらこっちからお断りだと吐き捨てたい。


 ふと俺の左腕が軽くなる。

 クローディットが抱き込んでいた俺の左腕を解放したらしい。


 あれ? なんか急に血の巡りが良くなってしびれてきた。クローディットのヤツ、どんだけ力込めて俺の左腕を締め付けてたんだよ。


 当のクローディットは二歩三歩と前に出てハーレイの正面に立つと、何の前振りもなくいつもの電波を口から吐いた。


「『ごめんなさい』と十回言ってください」

「はい?」


 唐突な十回クイズ(?)にハーレイの目が点になる。立ち会っていた警邏のふたりもポカンと口を開けていた。右側にいる銀髪少女は若干眉間にシワをよせ、当の俺はというと作品名『またかよ』といった苦々しい表情である。


「『ごめんなさい』と十回です」


 だから何の説明もなしにいきなりそんな事言われても、大抵の人間はすぐに反応出来ねえっての!


 というかこの状況で十回クイズとか何考えてんだ、この電波少女は?

 いや、電波少女だからこそ場の雰囲気が読めないのか?


「私は見ての通り神に仕える身。神へ許しを請いたいと願うならば、今この場で『ごめんなさい』と十回唱えるのです」


 あー、うー、んー、まあ確かにクローディットは見た感じシスターそのものだし、普通に考えれば犯罪者に懺悔を促すのって間違っちゃいないんだろうけど。でもクローディットだしなあ。


「えーと……、それは……」


 ほら見ろ。ハーレイも複雑そうな顔してるじゃねえか。


 そもそもハーレイにしてみれば父親が宗教にのめり込んだってのも原因のひとつだ。確かに『偽りの世界』とクローディットが信仰する神様は別物なのかもしれないが、ハーレイにとってはそんな違いも今さらだろう。

 第一『ごめんなさい』を十回唱えろって……、それハーレイが実際に唱えたら絶対お前クイズ出す気満々だろうが。少しはこの重い雰囲気を汲み取れっての。


「お気遣いありがとうございます、シスター。でもそれは遠慮しておきます。私は神の許しを得たいと思っているわけではありません。犯した罪の分はこの身で償います。もし許しを請うのであれば、それは罪を全て償った後であるべきでしょう。お気持ちだけいただいておきます」


 ハーレイの口から出てきたのは『ごめんなさい』の連呼ではなく、なんとも生真面目そうな言葉だった。根は悪い人間じゃないんだろうなあ……。


 とりあえずこのまま放っておくとろくなことを言いそうにない電波シスターはひとまず回収するべきだろう。俺がまだしびれ気味な左手でその襟首を掴んで引き戻そうとした時、クローディットが流れるような動作で祈りの印を切った。

 その動きは普段の電波的言動から想像もつかないほど洗練されていた。無駄を一切省き、おごそかな一連の動作が幾千回幾万回と神に捧げた彼女の時間を想起させる。


 あっけにとられたその場の全員を置き去りにして、クローディットが口を開く。


「今、あなたの懺悔は神の御許みもとへと確かに届きました」


 聞く者へ安らぎを与え、至誠しせいを呼び起こすかのような清らかさを感じさせる声。


「その心持ちを失わない限り、神はきっとあなたをお許しになるでしょう」


 優しくそうハーレイへ伝えるクローディットは、今この瞬間だけを切り取ったならば間違いなく神へその身を捧げる僕に見えたが――。


「と、いうことでよろしいですね? お父様」


 突然俺の方へ振り向いてなぜか同意を求める姿は、いつも通りのクローディットだ。


「よろしいも何も、俺に聞かれても困るっての。というか何度も言ってるが俺はお前の父親じゃねえ」

「うふふ。お父様ったらおかしいの」


 パタパタと駆け寄って来て、当たり前のように俺の左腕に抱きつくクローディット。

 さっきのは何かの錯覚だったんだな。やっぱこいつは電波だわ。


 クローディットにより重苦しかった雰囲気が微妙な空気へと変えられたところで面会時間は終わりを告げ、俺たちは警邏の屯所を後にした。


 何というか、後味の悪い結果になったもんだ。

 奪われたお金は戻ってきた。それも倍に増えて。

 それは良かったのだけれどいまいち気分が晴れない。様々な事情も明らかになったが、モヤモヤは消えてもこの暗たんたる心地は自分自身で消化していくしかないのだろう。

 ハーレイを取り調べた警邏の人間たちも同じような気持ちなのかもしれない。彼らのハーレイに対する接し方を見るに、あながち見当違いとも言えないはずだ。


 もちろん取り調べを受けたハーレイが虚偽を口にする可能性はある。

 しかしこちらにはティアの魔眼があるのだ。このチート娘が魔眼を使ってハーレイの言葉に虚偽が無いと断定した以上、彼の話を俺が疑うことはない。


「なあ、ティア」

「なんでしょうか?」

「列車でハーレイがルイを人質に取ったよな。あの時ハーレイはルイに向けて何か小声でしゃべってただろ? あれ、お前にはんじゃないのか?」


 若干の間を置いて、ティアがしぶしぶと白状する。


「……そうですね」

「やっぱりな。……ハーレイはあの時なんて言ってたんだ?」

「見間違いでなければこう言っていたはずです」


 ティアは何かスッキリしたような表情でその言葉を明かした。


「『怖い思いをさせてゴメンね』と」


 翌日、俺は警邏の屯所に赴いて被害届を取り下げた。

 もちろん俺が被害届を取り下げたところでハーレイが釈放されるわけじゃあない。爆発を起こして列車の運行を妨害したことや学都のホテルでボヤ騒ぎを起こしたことは帳消しにならないのだから。


 しばらくの間ハーレイは刑務所暮らしか強制労働刑で危険な土地へと放り込まれるだろう。二級戦闘資格保有者であることを考えると、野生の獣が襲いかかってくる入植地での労働刑あたりがあてがわれそうだ。

 そんな言い方をすると聞こえは悪いが、この世界、非人道的な刑罰は既に廃止されている。実態は入植者の安全を守る護衛の仕事みたいなものだからハーレイにとっては手慣れたものだろう。もちろん逃亡が懸念されるような犯罪者にそんな仕事を割り当てることはないが、ハーレイの場合はその心配も少ないと判断されるだろう。


 そこからはハーレイの頑張り次第になる。彼にとって次の仕事につながる戦闘経験も積めるだろうし、まじめに働けばそれだけ刑期も短くなる。もう会うことはないかもしれないが、俺の知らないところで次の幸せをつかめるよう祈るくらいは良いだろう。


 それから数日、俺たちはトレスト翁の屋敷へ滞在しながら学都見物を堪能すると、自分たちの町へ向かって帰路についた。

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