第10羽
重い空気が俺たち四人を包んでいる。
あれから俺たちは転移直後に目が覚めた最初の部屋へ戻ってきた。途中でモンスターに出くわさなかったのは幸運だったと言えよう。
部屋に入るなり無言のまま腰を下ろした俺たちは、誰もが疲労を顔に浮かべていた。
たかだか一戦しただけ、しかも相手はたったの三体だ。いつもならフォルス一人で片付けてしまうほどの取るに足らぬ戦いだったろう。だが今は誰の顔にもそんな余裕を感じさせる表情はうかがえない。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかないのも事実だ。重々しくフォルスが口を開いたのも俺と同じ事を考えたからだと思う。
「現状を整理しよう」
そして俺たちがおかれた状況をまとめ始めた。
「まずひとつ目。僕たちは現在自分の居る場所がどこなのか把握できていない。ふたつ目。この場所から脱出するための出口の場所および方法がわからない。三つ目。僕らに傷を負わせることのできる見たことのないモンスターが徘徊している。ここまでが確定した状況。良いね?」
わかりきったことをフォルスが確認する。
だが今の俺たちに必要なのはパニックにならないための平常心だ。言うまでもないことをあえて指折り数え、思考することで感情の暴発を防ぐという意味では大事なステップだと思う。
わかっててやってるんならさすがフォルスだし、知らずにやってるんならさすがチート男である。
俺たち三人の反応を見て、フォルスが話を続ける。
「じゃあ次に……。ああ、その前にいくつか確認したいことがあるんだ」
「なんだ?」
「さっきの戦闘で、レビィが言ってたよね? 移譲が出来ないって」
「ああ、さっきはすまなかった」
「いや、別に責めてるわけじゃないんだ。ただ地図の表示も出来なかった。加えて装備の移譲も出来ないとなると……、もしかするとダンジョン内でのサポート機能は全く機能していないって事なのかな?」
フォルス言葉を聞いて、即座にラーラとエンジが自分の端末を操作し始めた。俺とフォルスも同様に自分の端末機能を確認する。
やがてラーラが焦りのにじんだ声で告げた。
「だめです。通信機能も含めて、どれもこれも動作しません。戦闘履歴は残っていますし、過去のデータは閲覧できるので壊れてはいないと思うのですが……」
「こっちもダメっす」
エンジも両手を左右に広げてお手上げのポーズを取る。
「さっきの、人骨の形をしたモンスターとの戦闘履歴は入ってる?」
フォルスの問いかけに俺たちはすぐさま自分の戦闘履歴を確認する。
「入って……ない」
俺は驚きに声を漏らした。
戦闘履歴は勝利敗北にかかわらず全てが記録されるようになっている。それをもとにダンジョンでの各個人やパーティ毎の成績が決められるのだ。
まして先ほどの戦闘ではラーラの魔法によって人骨モンスター三体共を沈黙させている。機能が有効であるならば記録されていないはずがない。
「ということは……、つまりこの場所はダンジョン運営者の管理外であるという可能性が非常に高い、というわけだね」
フォルスの言葉に、重苦しかった空気がさらに重量を増したように感じられた。
ダンジョン運営者の管理外。
それが意味することを四人とも理解していたからだ。
ダンジョン内ではモンスターに傷つけられることはない。死亡判定を受けても実際には無傷でダンジョン入口へ転送される。
もちろん帰りたい時にはいつでも入口へ帰ることが可能だ。そしていざとなれば運営者へコールをして助けを求めることも出来る。
サポート機能が働かないと言うことは、それらの恩恵を一切受けられないということである。
それだけではない。俺は先ほど対峙した人骨モンスターのことを思い出した。
管理区域外に存在するモンスター。
殺傷力の高い直剣を装備し、人間を躊躇無く叩き伏せようとするあの動き。ダンジョン内のモンスターなら普通はあり得ないことだ。
「ということは……、あの人骨ども。もしかして野生のモンスターって事か?」
「マジっすか!?」
エンジが驚きの声をあげる。
「その可能性は高いね。さっき剣を交えて感じたけど、あれはダンジョンの管理下に置かれたモンスターとは全然違った。骨だから表情なんかはわからないけど、少なくとも体さばきや剣筋はあきらかに僕を殺しにかかってきていた」
「エンジはどう感じた?」
「オレっすか? そうっすねー。確かにちょっとやりにくかったっすけど……」
俺が訊ねると、エンジはそのクセっ毛を指でいじくりながら答えた。
「やりにくかったってのは?」
「よくわかんねっすけど、頭とか首とか普通に狙われたっす」
ダンジョンの管理下に置かれたモンスターは、人間の安全を第一に制御されている。そのため基本的には頭部や股間など、人体における急所への攻撃は厳しく制限がかかっているはずだ。
殺傷能力のある武器で頭や首を狙ってきた、その一点だけでもあの人骨どもがダンジョンの管理下にないということがわかる。
「遠慮なしに命を狙ってくる野生のモンスター。そして完全に使えなくなったサポート機能……、か」
それはつまりダンジョン内で人間の命を守っているセーフティが両方とも役に立たないということを示している。
だからこそつぶやきひとつとっても苦々しい口調となってしまうのは仕方がない。
俺の背中にじっとりとした汗が浮かび上がってくる。
初めてダンジョンに恐れを抱いたのは、八歳の頃に初めて家族で来た時のことだ。今、俺はその当時の恐怖を呼び起こされていた。
ダンジョンをテーマパークたらしめている『安全』という名のサービスが、今の俺たちには何ひとつ保証されていないということを否が応にも理解させられたからだ。
「転移元の部屋に戻れないものでしょうか?」
ラーラがポツリとつぶやく。
「転移条件がわからないからね。どうして突然転移が発動したのかもわからないし」
フォルスの言うことはもっともだった。
「あの時、ラーラが魔法を発動しようとした瞬間に異変が起こったんだろ? ということは魔法を使うことが転移の発動につながっていたんじゃないのか?」
「んー、でも兄貴。オレひとりで部屋を見てた時、探索用の魔法何回か使ってたっすよ?」
「魔法の種類、あるいは魔法を発動する術者の立ち位置が関係していたという可能性もあるけど……」
どっちにしてもここからでは確かめる術がない、とフォルスは言った。
試しに転移が双方向である可能性にすがって、魔法を唱えてはみた。同じような立ち位置に全員を立たせ、ラーラが転移した時と同じ魔法を使ってみせる。
もちろんダンジョン内でのサポート機能が働いていない以上、まともに魔法を食らうとエンジの命が危険にさらされるので壁に向かって放ってもらう。
だが結局その試みもむなしく、転移は発動せず何も起こることはなかった。
もしかするとあの時ラーラが動かしていたガラクタの配置が関係していたのかもしれない。
だがそれもフォルスが言った通り、転移元の部屋にいるのであればともかく、ここでは確かめる術もない。
転移が発動しない以上、取れる手段は多くない。俺はフォルスに向かって問いかける。
「コール……、するか?」
フォルスはしばらく目を閉じて思案していた。こうなった以上は運営者にコールして助けを求めるか、あるいは野生のモンスターが徘徊するダンジョンを探索して自力で出口を探すかのどちらかを選ばざるを得ない。
もちろんいずれも選びたくはない道だ。
前者を選べば、おそらく俺たちは全員立ち入り禁止区域へ踏み込んだペナルティで、出入り禁止を食らうことは避けられないだろう。犯罪とまではいかないまでも、経歴に傷が付くことは間違いない。
オレやラーラ、エンジはともかく、優等生だったフォルスには痛いはずだ。
だが後者を選ぶということは命の危険に身をさらすということである。命を落としてしまえば経歴うんぬんどころの話ではないのだから。
「コールしよう」
ゆっくりとまぶたを上げたフォルスが俺に向けて答えた。
「良いのか?」
「何がだい?」
「不名誉なレッテルを貼られるぞ? 俺たちはまあ、別に今更だが……」
「それはひどいっす。オレだって不名誉なレッテルとハンバーガーのピクルスだけは断固お断りしたいっす」
エンジが口を挟んでくる。というかピクルスとか、今はどうでもいいだろうが。
「二枚重ねのレッテルが三枚重ねになったところで、たいして変わりゃしないだろ?」
「剥がす手間が増えるっすよ」
「心配しなくても剥がれるこたぁねえよ」
「剥がれないと優良企業には入れないっす!」
「優良企業にこだわらなくても、仕事さえ選ばなきゃ食ってはいけるさ」
「オレは兄貴みたいに窓で日雇いの仕事探すようなプーにはなりたくないっす。ちゃんとした定職に就きたいっす」
「あんだと、てめー! 石井さんディスってんのか、あー!? ちょい表出ろや!」
「まあまあ、ふたりとも」
フォルスが俺とエンジの間に割って入る。
「僕はそういう不名誉とかレッテルとかどうでもいいんだ。もちろん自らすすんでもらいたいとは思わないけど、名誉にしてもまわりの評判にしても、仲間を危険にさらしてまで守りたいものじゃあない」
むはっ! こんな時でもイケメンはイケメンか。
「じゃあ、僕が代表でコールするよ?」
俺とエンジが返事をする横で、ラーラが心配そうに訊ねた。
「あの、フォルさん。もし……、もしですよ? コールがつながらなかった時は……」
ラーラの懸念ももっともである。
そもそもダンジョン内のサポート機能が全て使えなくなっているのだ。コール機能だけが問題なく使えると思うのはあまりにも楽観的すぎる。
だが俺たちはそれをあえて口にしなかった。
コール機能が使えないという状況になった場合、俺たちにはほとんど選択肢が残されていないということを全員理解していたからである。
――なあ。あんたならどうする?
そりゃ、ここに留まって助けが来るのを待つというのも、選択肢のひとつとしてはありなのかもしれない。
だがコールというのは最終手段、最後のセーフティだ。
他のサポートが機能不全に陥っても、コールだけは多重化された堅牢な別システムで運用されている。そのコールが使えないとなれば、それはつまり俺たちの今の状況を運営者側に知らせる術が何一つない、ということになってしまう。
確かに入場の記録自体は残っているため、いずれ未帰還者がいるということに運営者も気づくだろう。
しかしダンジョンの探索というのは日帰りとは限らない。中にはダンジョン内でキャンプをして数日間滞在する者たちもいるのだ。三日や四日戻らなかったからといって捜索は行われないだろう。
第一、運営者側が捜索に乗り出す前に、コールで救助要請が先に届くのが常である――コールがつながらないという事態を想定しなければな。
俺たちは日帰りのつもりでダンジョンに入った。だから水も食糧もほとんど持ち込んでいない。
真綿でじわじわと首をしめられるように追い詰められるよりは、自力で脱出ルートを見つける可能性に賭けた方が良いんじゃないか?
いや、そうじゃないな……。単に体を動かして嫌な想像をする余裕のない方が、心理的に負担が少ないと無意識に考えているだけなのかもしれない。
食糧が潤沢にあれば救助を待つという選択肢もあり得る……。だがもとよりこの部屋が安全であると決まったわけではない。
今この瞬間に扉の向こうからモンスターが飛び込んでくるという可能性だってあるのだ。
食糧と安全、この二つが確約されていれば、留まって助けを待つということも考えただろう。だが実際にはその両方共が俺たちには与えられていない。
助けを待つという選択肢は、コールがつながらない場合セットで消え去る。極小の可能性に賭けるよりも、未知の可能性に賭ける方がまだましだろう。
つまりはこういうことだ。
『コールが出来ないなら実質的に選択肢はひとつだけ』
この場にいる全員がわかっていることだろう。
それでもラーラがあえてその不安を口にしたのは、はっきりとその言葉を聞いて覚悟を決めたかったからなのかもしれない。
だからそれを察したフォルスは一瞬ためらったものの、次の瞬間にはしっかりと言い切った。
この部屋唯一の扉へ視線を向けながら。
「その時は……、進むしかないね」
そして――。
三度にわたる試みにもかかわらず、フォルスのコールが運営者につながることはなかった。
結果としてただ時間だけが無情に流れていく中、俺達は不本意ながらも覚悟を決めることになる。
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